さて、これが、東洋、日本国となりますと、厄落としに四辻へ行って、人に気づかれないように櫛や金(かね)を落として来る、なんてえ、まじないがあったそうで、これからお話しします怪談も、そうした四辻にまつわる風習、古いしきたりから生まれたものなのでございます。
さて、ある地方には、亡くなった方の遺骨をお墓に納めた帰り道、最初の四辻を曲がるまで決してふりかえってはならない、という風習がございます。
この、ふりかえってはいけないというタブー、これも神話や伝説にいろいろと残っておりまして面白うございますな。
西洋ですともちろん、詩人のオルフェウスが毒蛇に噛まれて死んだ妻を地獄へ連れ戻しにゆくお話が有名です。
ふりかえっちゃあイケナイ、見ちゃあイケナイといわれると、あべこべについ見たくなる、人間てのはオモシロイもんですな。
えー、いくぶん話しが脱線してまいりましたので、本題に戻りましょう。
日本のとある地方、「とあるとある」といって、いったいどこなんじゃいとお怒りになる方もいらっしゃいますでしょうが、このお話を私に聞かせてくれた人自身がですね、今から三十年以上も前に聞いた話を思い出し思い出し話してくれたものですから、
もとはどこのお話、言い伝えやら、私にもよく分からないのでございます。
さて、日本のとある地方には、先にも申しましたように、亡くなった方の遺骨をお墓に納めた帰り道、最初の四辻を曲がるまで決してふりかえってはならない、という風習がございます。
このお話はそこで実際に起こった出来事なのでございます。
この地に高校2年生になります、そうですね、仮に村田伸二君としておきましょうか、桂文珍でもよろしいんですが、あんまり落語家じみた名前じゃ迫力がありませんし。
えー、この伸二君の遠い親戚にあたるおじさんが、蚋(ぶよ)に刺された痕からばい菌が入ったのがもとでぽっくり亡くなりまして、まあ、野良仕事で汚れた手で「ぶよ」に刺された首筋をボリボリ、バリバリと掻きむしったのがいけなかったんでしょう。
一家の大黒柱が突然亡くなったということで、家の方々の驚きよう、嘆きようは大変なものであったと申します。
今は落ちぶれたとはいいながら、その家が本家筋にあたるということで、なんせ田舎のこと、親類縁者一同うちそろいまして、しめやかにお葬式が行われたそうでございます。
それから七七、四十九日がすぎまして、法要と納骨が行われることになりました。
伸二君のところも遠い親戚とはいえ本家筋の法要、出るのは当然のことなのだけれども、お父さんも兼業農家でなにかと忙しい、そこで、夏休みでブラブラしていた伸二君にお鉢が回ってきた、というわけですね。
「おい、伸二、亡くなった健太郎おじさんの法事な、お前かわりに行ってこい。父さんもなんとか都合をつけて、夕方には一度顔を出すから」
「ええっ、なんで俺が!」と言いましたけれども
「毎日遊び暮らしているくせに何をぬかす! それなら明日から畑に出るか!」と言われますと、じきにサッカー部の合宿が始まるからそれもまたアンバイが悪い。
伸二君しぶしぶながら引き受けたそうでございます。
「それから、お前な、子供の時から言われているから、わかってはいるだろうが、お墓の帰り、最初の四つ角を曲がるまでは絶対にふりかえるなよ」
「ああ、わかってるよ」
子供の頃から墓参りのたんびに言い聞かされていることなんで、正直なところ耳にタコができております。
とはいえ、そんなことを言おうものならまたお説教が待っておりますから、逃げるが勝ちと家を出ようとすると、今度は母親に呼び止められて「シンジ、わかってはいるだろうけど」
「はいはい、死んだ人がついてくるから、後ろはふりかえるな、だろ?」
「この子はもう、人の言うことをコバカにして…」
「行ってくるよ!」と家は飛び出したものの、納骨に出かけるのは夏の強い日差しを嫌って午後四時のこと、村の連中はもうおじさんの家に集まっていることでしょうが、お経なんぞ誰が聞くものか、と腹を決めまして、村はずれの方へとずんずんやってまいりました。
「せっかくの休みだってのに冗談じゃあねえや!」
狭い村のこと、こんな日にバイクを飛ばすわけにもいかないし、時間を潰そうにもなんにも思いつかない。
ふと目にとまった野良犬に腹立ちまぎれに石をぶっつけますと、この薄汚い犬が逃げるどころか、低い声でうなりながら上目づかいにじっと睨みつけてきたのでございます。
あまりの迫力と気味の悪さにハッと息をのんだところで、子供を孕んでお腹がふくれていることにようやく気がついたという次第で。
なんとなくバツが悪くなったものの、背中を見せて逃げ出してはガブリとやられるかもしれないものですから、伸二君も犬の顔を睨み返しながらその前を通り過ぎました。
「どうやら追ってこないな」
五十メートルばかり行き過ぎてから後ろをふりかえりますと、野良犬はまだじっとこちらを睨みつけております。
二、三十秒は優に睨みあってから、野良犬はふいっと彼に背をむけますと、ようやくのこと、のそのそと草むらに消えて行きました。
「気色わりいな、この野郎!」と、強がってはみたものの、ふと気がつくと、握り締めていた拳にはじっとりと冷や汗をかいておりました。
川原へいって石を投げたり、何をするというわけでもなく時間を潰しておじさんの家にまいりますと、とっくにお坊さんのお経も終わり、親戚連中は勢揃いしております。
女たちは精進落しの料理を用意するんでてんやわんやの真っ最中。
「おう、シンジ、やっときやがったか。この野郎、お経がいやで遅れやがったな」と声をかけてきたのは、リーダー格の連次郎という大伯父さんであります。
リーダーったって人望があるからじゃなくて、酒飲みの暴れん坊で人一倍声でかいから、周りが仕方なく言い分を聞いてやっているだけのこと、今日も今日とてお斎(とき)の前から酒の匂いをプンプンさせております。
「まあいいや、シンジもきたことだし、あんまり遅くなんねえうちにいかんべい」なんて、自分がさっさと精進落しの酒にありつきたいもんだから、勝手なことを申します。
とはいえ日差しもようやく和らいできたし、まあいい頃合いと親戚一同も腰をあげました。
「シンジちゃん、あんた、納骨にいくなんて、これが初めてでしょう?」と呼び止めたのは連次郎伯父の連れ合い、俊子おばさんであります。
「ええ」
「若い人はシキタリを知らないからねえ」
そらきた、と思いながらなんとかしかめ面をしないようにこらえていると、案の定、
「いいかい、お墓の帰り、溜め池んとこの四辻を曲がるまでは後ろをふりかえるんじゃないよ」
と例の話であります。このおばさん、話がくどくてイヤなんだよな、と思っていると、
「おら、いくぞ、シンジ」と連次郎伯父。
どなり声も今回ばかりはありがたいと伸二君、みんなの後を追いかけました。
村はずれの墓地でお経をあげてもらって納骨を終える頃には、お日様も小高い山の峰にかかって、参列した者たちの影も長く伸び始めておりました。
しかしまあ、墓地といいますものは科学万能の時代になってもなんとなく気味の悪いものですな。
もっとも、そういう心持ちがなくなっちゃあ、誰も怪談噺なんぞきいてくれなくなるでしょうが。
昔は土葬も多くて、そうなるとお墓といっても石塔もない。
土まんじゅうといってこんもり丸く土を盛り上げておくんですが、やがて棺桶が腐って空洞になりますから、古いお墓に気づかないでうっかり足をのせると、ズボっと墓穴に踏み込んでしまいます。
運悪く落っこちたりすると、そこにはされこうべ…、もっと運が悪いと腐りかけの死体があったりして…、「ぬっぺらぼう」って目鼻のないぶよぶよの妖怪は、こうした死体を見た昔の人が考えついたんだそうですな。
さすがに若いもんといっても、こうして墓地にやってきて死んだ人を葬っておりますと、多少は敬虔な心持ちになります。
「ぶよに刺された痕をひっ掻いただけで死んじまうんだから、あっけないよなあ」などと思いながら、伸二君もまじめに手をあわせておりました。
さあ、帰ろうということになりまして、先頭はお坊さん、続いて未亡人になったおばさん、中学生の一人息子、親戚のものたち…、働きざかりの一家の主がなくなったわけですから、おのずと一同の足取りも重く、沈んだ雰囲気となります。
一人で騒いでいるのは、くだんの連次郎おじさんぐらいのもので。
さて、ふりかえっちゃあいけない、ふりかえっちゃあいけない、とあれだけ言われますと、かえってこう、背中のほうがむずむずするような、何かがついて来ているような、妙な気分になってまいります。
いっそのことこっそりとふりむいてみようか、なんてえ気も起こらないではありませんが、そんなところを見つかろうもんなら、おじさん連中にどれほどドヤされるかわかったもんじゃあない。
早いところ四つ角を曲がってしまいたいもんだな、と考えておりますうちに、ようやくのことで、おばさんが言っていた溜め池が見えてまいりました。
その先の四辻を左に曲がってしまえば、あとは一本道、田んぼ中を進んでゆくばかりとなるわけなんですが、伸二君、ここでふっと、先ほど石を投げつけた野良犬のことを思い出しました。
あの犬と睨み合ったのがそこから目と鼻の先のことだったんですね。
まあ、これだけの頭数(あたまかず)で歩いているわけですから、野良犬なんぞがのこのこ出てくるわけもないんですが、心理のアヤとでも申すんでしょうか、こんな時には妙なことが気になってくるものです。
いよいよ四辻にさしかかりまして、やれやれ、これで安心と思った瞬間、伸二君、どうしたことか、用水路の上にかぶせてあるコンクリートのフタの縁につまずいて大きくつんのめりました。
「おうっ」
咄嗟に足を踏ん張ってなんとかこらえたものの、がくんとヒザがおちた拍子に一瞬だけですがはっきりと、後ろをふりむいてしまいました。
あっと思って目を閉じても後の祭り。もっとも、そこに亡者がついてきているわけはなく、ただ、後にしてきた墓地の木々が揺れているばかりでしたが。
「なんだ、どうしたい」「大丈夫か、おい」と皆から冷やかし半分に声をかけられて、伸二君、恥ずかしさのあまり耳たぶまで真っ赤になってしまいました。
とそのとき、こんなときだけ勘(カン)が冴える連次郎伯父がジロリと睨んで、「で、伸二、まさかおめえ、後ろをふりかえりゃしなかったろうな?」
ああ、大丈夫、ふりかえっちゃあいないよと答えたものの、図星をさされてすっかりふさぎ込んでしまいました。
「結局、ふりむいたってなんにもなかったじゃないか、しょせん迷信なんてこんなものさ」と強がりをつぶやいてみても、子供でもないのにあんなところでつまずいたという恥かしさと、禁を破ってしまったという後ろめたさはなくなりません。
親戚たちが多少の冗談口をきくようになっても、なんとなく居心地が悪いまま、伸二君だけは黙りこくって歩きつづけておりました。
亡くなったおじさんの家の前まで来ますと、伸二君の父親もちょうど到着したところでした。
おばさんに遅れてしまったお詫びを言ってから「お疲れさま」と息子に声をかけようとしたところで、その顔色がみるみる変わってゆきました。
「あれほど言っておいたのに、きさま、ふりむいたな!」ともう、えらい剣幕です。
「出て行け! ここにも、うちにも、二度と帰ってくるな!」
「どうしたんだい、いったい」と俊子おばさんも玄関口に姿を見せましたが、伸二君の方を見るなりその場にへなへなと座り込んで泣き出してしまいました。
未亡人は真っ青な顔をして家の奥に駆け込んでそのまんま。
連次郎伯父はこうなると、からきし意気地がなくなって、金魚のように口をぱくぱくやっているけれどもさっぱり声が出てこない有り様。
他の親戚連中は薄気味悪そうに、伸二君と父親を遠巻きにしています。
やがて、父親はみんなをうながして家の中に入らせると、伸二君にむかって「いいな、二度と戻って来るなよ!」とだめを押すように言い放つなり、玄関の戸をピシャリと閉めてしまいました。
伸二君の方はというと、なんだかキツネにつままれたような気分で、ただただ、呆気にとられておりました。
「後ろをふりむいたのは悪かったけど、ワザとやったわけでもなし、オヤジの奴、あんなに怒ることもないじゃないか」
そう思うとだんだん腹が立ってきました。
「それにしても、どうして俺が後ろをふりむいたとわかったんだろう?」
あれこれ考えてみましたが、さっぱり見当がつきません。
とにかく、オヤジのあの怒りようじゃ、一晩くらいは家に入れてもらえそうにないから、今夜は誰か友達の家に泊めてもらおう。
そう考えながら、伸二君がふと足元に目をやりますと、外灯の明かりで長く伸びた自分の影のそばに、小さな亡者の影がもうひとつ、そっと寄り添うようにうずくまっておりました。
了
ある、お話をモデルにした怪談噺だそうです。
巨人対ヤクルトの首位攻防戦をTVで観ていた私は、友人に電話している娘のこんな話し声に顔を上げました。
私は去年定年退職して今は子会社の嘱託という、時間だけは自由な身分でした。
「‥うん、それでね、しばらくは大学に戻るんよ。…そうそう…」
電話はまだ続いています。娘は京都市内の大学を出てそのまま大学に残り、近ごろは美術品の補修などを手がける学芸員を目指しているようです。
父親としては、もう28になるんだからそろそろ…と思うのですが、本人は一向その気配もなく、何か言おうとすると、
「なに言うてんの、お父ちゃん。今が大事なときやし、お見合いしてる暇なんかないわ」
と先手を打たれる始末です。その娘は、先日からアルバイトを兼ねて美術館へ通っていると、妻が話していたのを思い出しました。
私は若い頃から妖怪譚が好きで、この手の書物を幾冊も所蔵しています。
私が特に好きなのは柳田國男先生の『遠野物語』のような民話や伝承の世界です。
血塗られた幽霊噺よりは、御伽噺にでも出てきそうなものが好きなのです。
話はちょっと逸れますが、皆さんは『抜け雀(ぬけすずめ)』という落語をご存知ですか。
元は中国の『黄鶴楼』という民間伝承が下地だと思うんですが。
むさ苦しい客が旅篭(はたご)に泊まって、大いに飲み食いをした揚げ句に無一文だと知れます。
その客は少しも慌てず、宿の主に屏風と墨と筆を持ってくるように言いますと、お人好しな主は言われるままにそれらの品を揃えます。
すると客は筆をとって、屏風にさらさらと一幅の雀の絵を描き上げます。
「これを宿賃のかわりに置いていくが、なん人にも売ってはあいならんぞ」
と言い置いて、客はまた旅に出てしまいます。それを聞いたおかみさんは、
「なんだねこの人は。こんなしょうもない雀の絵なんぞで宿賃踏み倒されて」
「屏風も白いままなら売れないこともないが、こんなへたくそな絵なんぞ描かれた日にゃあ、売れやしないよ」
と散々に亭主を叱りつけます。
ところが明くる日、朝日が屏風の置いてある部屋に射し込むと、雀達は開け放たれた障子の間から一斉に外へ飛び立っていきました。
一同が「あれよあれよ」と驚いているところへ、しばらくすると雀達は羽ばたきながら、もとの屏風にぴたりと納まってしまいます。
これが評判を呼んで宿は大繁盛、たちまちのうちに辺りで一番の大きな旅館になり…。
とまあ、落語の方はまだ先があるんですが、こんな話は民話や落語の中のこと、世の中には似たような話でも実際の話となると血も凍るようなものが多いようです。
たとえば人形の髪の毛が伸びるとか、仁王像の口が血で汚れていたとか、絵に描かれた人物の眼が動くとか…。
私はさっきの娘の電話「…恐怖の美術館、日本の妖怪展…」が気になって、電話を切って二階の自室へ上がろうとする彼女を呼び止めました。
「おい、美術館でなんぞおもろいもんでもやってんのんか?」
娘は「ええ、まあ」と言ったあと「きっとお父ちゃんのお気に召すんやない?」とにんまりして二階に駆け上がって行きました。
翌日は土曜日で仕事が休みでしたので、私は早速『府立美術館』に出かけました。
私がそこで見たものは、な・なんと…
『近現代裸婦画展』− 日本の裸婦画の歴史を観る −
なるほど娘がにんまりしたわけです。
その晩、外出から戻った娘を掴まえて問いただしました。
私「おい、きのう電話で話してた『恐怖の美術館・日本の妖怪展』なんか、どこにもやってへんぞ。一体なんの話や?」
娘「え〜っ、お父ちゃんほんまに観に行ったん? いややわぁ。そやかてウチら、そないなこと話してへんで」
私「ほなら一体、なに話してたんや?」
娘「あたしがきのうで美術館のバイト辞めた話や。どうせほんのちょっとの間しか、いいひんかったけどな」
私「おかしいな。そんな筈は…。どないな話やったんや?」
娘「そやからぁ『今日、府の美術館に、ほんの八日いてんけど辞めてぇ、明日から大学に戻るぅ』言うて」
きょう、ふのびじゅつかんに、ほんのようかいてん…
(恐怖の美術館・日本の妖怪展)
本当に恐かったのは、『裸婦画展』を観に行ったと知れた時の女房でした…。
(完)
まきっぺ註:京都に府立美術館が実在するかどうかは問わないで下さい
私が生まれ育ったのはI県F村です。
西は日本海に面し東にはすぐに山がせまる、南北に伸びたごく狭い平地に村があります。
家々は助け合うようにして立ち並び、私たち村人の生活はそのさまをそのまま写したようなものでした。
村の産業といっても漁業が六分農業が四分、漁業は近海を小舟で操業するか地曳き網を曳くくらい、農業はと言えば棚田でほそぼそと水田耕作をするくらいのものです。
村人が助け合って生きるようになったのは、厳しい自然の中に生きる民(たみ)として、ごく自然ななりゆきでした。
そんな村でしたから、海が荒れて漁に出られない日が続くとたちまちのうちに生活に困る、また晴れた日があまりに続いて水が涸れるとそれはそれでまた困る。
人の手ではどうしようもない、自然という大きな力に頼りもしまた恐れながら、先祖から譲り受けた土地と家とを守ってきたのです。
私が高校二年生の夏休みでした。このとき私は恐ろしい体験をしたのです。
当時この村から高校に通うものは私一人です。去年まではもう一人いたのですが進学をあきらめ、高校を出てからは大阪で働いています。
高校に通うといっても家から通うのはとても無理なことで、普段はN市に下宿しています。夏休みになったので家の手伝いをしに帰省していたわけです。
その年は晴天続きで、7月の初めからすでに一ヶ月も雨が降っていなかったのです。6月も梅雨とは名ばかりで、雨らしい雨と言えば4月のしまいころだか5月の初めころだかに降ったきりでした。
元々川らしい川というもののない土地柄で、潅漑用の水は池に貯えるようにしていますが、それも底が見え始めていました。
このままでは何十年ぶりかの凶作になりそうな勢いでした。
漁業の方は平年並みでしたが、不作の分を補えるほどの水揚げには遠いものでした。
岩の多い海岸線ですが、少しは砂浜らしいところもあります。そのわずかばかりの浜と切り立った岩山との境目に自然が造った洞(ほら)があって、そこに竜神さまが祭られています。
洞の入口は高さも幅も10m以上はある大きな洞窟ですが奥行きは案外浅いらしく、昼なら竜神さまの祠(ほこら)の後ろがもう岩壁になっているのがわかります。満潮時にはこの祠のすぐ下あたりまで潮が満ちてくるのです。
春と秋の年二回、潮の引いたときに祠の前にお供え物をして、祝詞(のりと)や舞を奉ずる慣わしが今も続いています。
そして潮が満ちて再び引いた時、お供え物は跡かたもなく消え去って、竜神さまが召し上がったということになるのです。
お供え物が消え去らずに、洞の浅瀬に打ち上げられていつまでも残るようなら、それは竜神さまのお気に召さなかったということになって、より一層豪華なお供え物をしなければなりません。
さすがに若いものはこんなことを信じているわけもありませんが、古老達の前でそんなことを言おうものなら、しばらくは村中で「**の**は..」とバカモノ呼ばわりされる羽目になってしまいます。
この村では、まだまだ言い伝えや迷信は生きているのです。
昔は春秋の祭りだけでなく、日照りや不漁続きのときにもこんな祭りをしたそうです。
父の話では、父の祖父、つまり私の曾祖父の頃には、何度お供え物をしても竜神さまのお気に召さなかったときは、人身御供(ひとみごくう)、つまり生きた人間を捧げることもあったといいます。
洞窟の海の底にはその骨があると言い聞かされ、村の子供たちもさすがにこの洞だけは遊び場にはしませんでした。
さていよいよ深刻さを増す日照りに、村では竜神さまに雨乞いをする話が持ち上がりました。
実際に効果を信じていた人がどれだけいたかは怪しいものですが、話はとんとん拍子に進んで、なんと戦後初めての雨乞いのお祭りをということになりました。
落込んだ村人の気持ちが少しでも明るくなれば、ということもあったかもしれません。
善は急げということで、早速お供え物が用意されました。
酒に餅、大根に山芋、鮎にヤマメ、文字どおり山海の食材が積まれ、主役は70cmもあろうかという伊勢エビでした。
その日の満潮は午後9時です。干潮の間を利用した”まつりごと”も無事に終わり、皆はしきたりどおり祠を離れました。
明朝は5時に役場に集まることになっていました。
翌朝、村の面々は申し合わせどおり役場に集まったあと、皆で祠に詣でました。
そして期待通り、お供え物はすべて波に運び去られていました。
二日経ちました。雨は降らないどころか、ますます日差しが強まった気さえしました。
長老の一人が父に言いました。
「義次よう、こりゃあどういうこっちゃろうなあ..。
「竜神さまぁ、ぜーんぶきれいにお召し上がりなんに、なんの験(しるし)も見えん。
「あのお供えもんぢゃ足りんと怒っとらっしゃるんやろうか」
義次というのは父の名前です。父は小さい頃から村では利口者で知られ、困り事があるとなにかと相談される立場でした。
「嘉一っつぁん(長老の名前)。
「ワシの思うに、何十年ぶりの雨乞いやったさかいに、竜神さまぁちょっとびっくりなすったんでないかいねぇ。
「まいっぺん(もう一度)祭りしてみたらどうやろね」
父の提案は皆の気を慰める効果もあって、あらためて二回目のお祭りの準備にかかりました。
しかしこのときも雨は降らず、三度目の祭りでも同様でした。
最初の祭りから十日目のことでした。祠では今度こそはと、四回目の祭りの準備が進められていました。
しかしこの時には、さすがに村人たちの間にはいらいらがつのっていました。貴重な時間と食料を浪費して古老達にお付き合いするのは、これまでの三回の祭りでもう十分だという気分が若い層に広がっていたのです。
爆発したのは「今度がだめなら人身御供を..」という古老の一言がきっかけでした。
「いいかげんにしてくれや、嘉一っつぁん!
「いまどき竜神さまの、人身御供のと、んなもんあるわっきゃなかろうが。
「こんなことしとる間があったら、漁に出とる方がよっぽどええわ」
若い衆は口々に罵り始め、今度ばかりはなだめに入った父の言うことにも耳を貸す気配すらありません。
そしてついに..
「居もしねえ竜神さまに食わせるくれえなら、ワシらで食っちまおう」
と誰かが言うと、それが合図だったかのように「そうだそうだ」と若い衆が一斉にお供え物に手を出しました。
今日のお供え物の主菜は目の下二尺八寸(84cm)はあろうかという大鯛でした。
そして若い衆のなかでも力自慢の登志男が、その大鯛に手を伸ばして言いました。
「どうせこげなことしてみても雨ゃあ降らんし、鯛を食っちまおう」
(・・・腐乱死体を食っちまおう)
どうも失礼いたしました。え? それでどうなったかって?
ナマ物を炎天下に置いといたわけですから、鯛も少々傷んでおりましてねえ。
それを食べた若い衆は軒並みアタってしまいまして。
古老達はこれこそ竜神さまのバチが当たったって大喜び。
まあ若い衆にしてみれば、「腐乱死体」ならぬ「腐乱した鯛」を食ったわけで、これがほんとのタイあたりって。
それにしても最初の伊勢エビもきっと腐ってたでしょうから、きっと竜神さまは腹ぁこわして雨を降らせるどころじゃなかったんでしょう。
あ、雨ですか? あれから三日あとに降りました。
竜神さまのお蔭でしょうかねえ。
(完)
しかし、突然雨が降りだして、近くにある休憩所へ駆けこんだ。
雨は一向にやむ気配をみせず、仕方なくここで夜を明かすことに決めた。
山を登ってきた疲れもあって、いつのまにか眠っていた。
どれくらい眠っていたのかわからないが、何か音が聞こえて私は目を覚ました。
辺りはすっかり暗くなっていて、いつのまにやら雨もあがっていた。
その時また、音が聞えてきた。
背後の森の中から何かをこする様な音がした。
私は目を凝らして森の中の闇を見つめた。
するとまた何かがこすれる様な音がした。しかもだんだんと近づいてきている。
背筋にゾクリとするようなものを感じた。
このままここにいてはいけない。そんな気がして急いで荷物をまとめ、闇夜に包まれた山道を駆けおりた。
すると音の方もこちらに近づいてくる。無我夢中になって山を下りた。
途中何度も転んで腕や足を打ちつけたが、背後から近づいてくる音から逃げるのに痛みなど感じる暇もなかった。
そして、やっと山を下りることができた私は、ホッと息をはいた。
するとまた音が聞こえた。
私は疲れた体にムチうって走った。
そしてやっと一軒の茶屋らしきものを見つけた。
音はまだ近づいてくる!
私は戸を壊れるような勢いで叩いた。「開けてくれよ。開けてくれよ」。
叫びながら戸を叩いた。背後からは音が近づいてくる。
私は焦りながら、もしかしたらこの店は留守なのかと思った。
そしてふと見上げると、一枚の紙切れが貼り付けてあった。
そこには「開店は10時からです」という貼紙が。
私はつぶやいた…。
「開くの十時か」…「悪の十字架」。
お店の開店って10時なんですよね。
「ドンドン、ドンドン」、戸板を叩く音がする。
店の主人がおびえながらも戸板越しに耳を澄ますと、何やら呻き声が…。
「あくのじゅうじかぁぁ、あくのじゅうじかぁぁぁ…」と。
悪の十字架!?
恐る恐る戸の隙間から覗いてみると、そこには一人の老人がっ…立っていた。
不審に思いながらも戸を開けると、その老人は口をパクパクしてこう言った。
「あくのじゅうじか? 開くの10時か?」。
ちゃんちゃん。
一ヶ月ぶりのショートショートです。今度『砂の嵐と虹の夢』の話、御願いしますね。
Since 08/07/1998