虫の知らせの不思議
<予知・夢・お盆関係も含む>


いままでに投稿された中からの抜粋です。

    ここから下の話は、'97年度の季刊特別企画「夏季限定 PART1・虫の知らせの不思議」に掲載されたものです。

  1. 中学1年の頃、私は学校へ行く時に友達と近所で待ち合わせてました。
    いつもの様に待合わせ場所へ向かう時、いつも横断する道路を左右確認し、車が来ていない事を確認し、渡りました。
    その瞬間、私の右脇に車が突っ込んで来ました。
    一瞬、脳に「車来てなかったのに!」と声にならない声が響き、私は撥ねられ、スローモーションで空中を跳び、ドンというかドサッというか、なんとも言えない鈍い音が耳の奥に響き、アスファルトに落ちました。

    そのとき体がビクンとして、びっくりして目が覚め、夢だった事に気づきました。
    でも、全身(特に背中)が痛かったのを覚えてます。
    時計は午前2:30を示しており、私は夢か…と思い、再び眠りにつき、朝起きた時には「嫌な夢見たなぁ。でも、どんな夢だったっけ?」と、思い出せません。
    ただ、寝覚めが悪い感じで、なんか背中痛いな…、なんか身体が痛くなるような事したっけ?という感じでした。
    そして、いつものように待合わせ場所へ行く途中、夢の中と同じ目に遭いました。
    しかし、「あ、夢と同じ!」と思った瞬間、車には撥ねられず、私は無事でした。

    そして、思い出したのです。
    今と同じ夢を見て、再び眠りについた後に見た夢を…。
    このあと私と友達が、学校の近くの歩道で、対向車線のバイクに突っ込まれるという夢です。
    友達にその事を話し「今日は道を変えようよ」と言いましたが、友達は信じてくれず「車に撥ねられそうになったから、ちょっと神経質になり過ぎなんだよ」と言います。
    仕方なく、いつもと同じ経路で通学する事になりました。
    そして、起こったのです。バイクの事故が…。

    幸いバイクの単独事故で済みましたが、もしも夢と同じになってたら…、と思うと、背筋が寒くなります。
    でも、何故身体が痛くなったのかは、わからないままです。
    [夜那]

  2. 久しぶりに投稿させて頂きます。
    夢の話。正夢の話です。

    私がまだ幼稚園に通っていた頃、10日間くらい続けて同じ夢を見ました。
    幼稚園のお迎えバスが来る所まで、歩いて5,6分かかります。
    通りは当時、そんなに車が多くはなかったと思います。
    夢は、家の玄関を出るところから始まります。

    夢の中の私は、祖母に連れられ、幼稚園バスの乗り場へ歩いて向かいます。
    実際、雨の日以外は自転車の後ろに乗せられ、バスの乗り場まで行きます。
    しかし、夢の中では歩いて行くのです。

    バスの乗り場まで、あと50メートルくらいの所まで行くと、車に撥ねられた猫の遺骸があり、私はそこで泣きながら目が覚めるのです。
    目が覚めるのは、いつも夜中で、もう一度眠りにつき、そして朝まで、もう夢を見ません。
    朝起きた時には、その夢の事は忘れているのです。

    こんな事が10日くらい続いた後のある朝、その日晴れているのに自転車ではなく、歩いてバス乗り場へ向かいました。
    そして、見たのです。
    夢の中と同じ光景を…。
    その瞬間、自分が毎晩その夢を見ていた事も思い出しました。
    その時の自分の反応は良く覚えていないのですが、猫が大好きな私は、多分泣いていたのだと思います。
    ただ、今でもその光景は、脳裏に焼き付くように覚えています。

    こういう事を正夢というのだと言う事は、まだこの時点では知りませんでした。
    ですが、これが発端で、以後不思議な夢を見る事が多くなったのは事実です。
    [夜那]

  3. こんにちは。2回目の投稿をさせていただきます。
    今回は「虫の知らせ」の体験談をお話しします。

    私が高校1年生か2年生の頃、お休みの日に母と兄と私の3人で家にいました。
    その日は遅い昼食で、ちょうど「さあ、ご飯にしようか」と用意をしていました。

    時間は午後2:20。
    なぜか時計を見て、「○○君、最近来ないけど元気にしてるかな」と私が言い出すと、なんと、母も兄も全く同じ事を言ったのです。
    3人が3人、同じ事を言ったんです。
    「何、みんなで同じ事言ってるの? 気持ち悪い」とか言いながら、その時は気にもしてなかったのです。

    しばらくすると、突然電話が鳴りました。
    電話に出たのは母でした。
    戻って来た母は、無言でした。
    「なんかあったの?」、私と兄が聞くと母は「○○君、死んじゃったんだって!」。
    ○○君とは、私より1つ年上の、いとこの男の子でした。
    そのいとこが亡くなったと言うんです。
    信じられなかったけど、夕方頃、そのいとこの母親から電話がきました。
    いとこは電車に轢かれて亡くなりました。

    その母親がいうには、彼が亡くなったのは、ちょうど午後2:20だったと言うのです。
    家に居た、3人が3人とも同じ時間に同じ事を思うというのは、やっぱり彼がお別れに来たということでしょうか。
    [たにし]

  4. 10年近く前に公開されたニコラス・ケージ主演の「月の輝く夜に」という映画があり、それ以来彼のファンになりました。
    これは、満月が人間に不思議な作用をして普通ではしないことをやってしまうというものです。
    この映画の中では、主人公の女性とその婚約者の弟(ニコラス・ケージが演じている)が、ひょんなことから劇的に結ばれてハッピーエンドというお話でした。

    その後、私も満月を注意するようになりました。
    どうも満月が近くなると、人が生まれたり亡くなったり、生理になったり、情熱的になって行動したり、セックスをしたりと、この文明社会の現在でも月に操られているようです。
    私の場合は、友人が2月に出産したのですが、満月が近いからそろそろかなと思っていたら、その夜に彼女が出産して私が分娩室の外でご家族と一緒に待っていて、そこに生まれたての元気な赤ちゃんが運ばれてくるというものでした。
    男の子か女の子かはわかりませんでしたが、とても元気な鳴き声で、かわいかったのを記憶していました。
    これは、夜と言っても明け方近くに見た、夢でした。

    ところが、この次の日のお昼に彼女から電話があり、あいにく私は留守で母が電話を受けたのですが、元気な男の子を出産したと知らせてくれました。
    これには私もびっくりです。
    本当に予知夢ってあるのですね。

    そして、この7月、ずっと同居して長い間患っていた祖母が亡くなってしまいました。
    そのことは、とてもショックであまりに悲しくて、この夏はちょっとボーっとしています。
    その祖母が亡くなったのは、やはり満月に近づいたときで、夜9時に最寄りの駅に帰り着き、改札をでると目の前に大きなお月さまがありました。
    ほとんど満月でした。

    この2,3日前からちょっと祖母の具合が悪くなっていたので、満月を見てとても胸騒ぎを覚えました。
    家に帰るとすぐに祖母は危篤にもならず、すっと消えるようにあの世へと旅だっていきました。
    その日はいつもより早く帰宅できました。
    学校が終わった後、友達と遊んでいなかったからです。
    きっと祖母がそばに戻ってきて欲しくて、私も知らずにそうしていたのだと思いました。
    とにかく祖母を看取ることができてよかったと思います。
    父と母とお医者様とで、「大往生したおばあちゃん天国でも元気にいっぱい食べて楽しんでね」という、満月に関わる不思議なお話しをしました。
    これは虫の知らせ話に加えてくださいね。よろしく。

    みなさまの様々な体験話、よく拝見させていただいています。
    本当に科学では証明できないことが、まだまだいっぱいありますね。
    人間もやはり動物ですね。
    [ニコラス・ケージのファン]

  5. 今52歳の母が、まだ高校生の頃の話です。
    母は全くと言っていいほど、幽霊などの存在を信じていませんし認めてません。
    その母が、今でも不思議だという話があります。
    それは、いわゆる「虫の知らせ」というヤツです。

    母が高校生の時、東京の大田区を走っている東急池上線が脱線(だったかな?)する事故があり、乗客の何人かの生命を奪いました。
    その中に、たまたま母の仲良しの友人が乗っていて、運悪く帰らぬ人となってしまいました。
    その友人は、家が貧しく住み込みの下働きをしながら学校に通っていたそうです。

    母が葬式の時、その友人の家を訪ねると、世話をしていたその家の人が母に話したそうです。
    「不思議なものね。あの子、先週の日曜日に急に自分の荷物を整理し始めて、急にどうしたの?って聞いたら『思いついた時に片付けないと、なかなかやらないから』って言ったの。
    隅々まで片付けて、まるでこうなるってわかってたみたいで…」らしき事でした。

    こういうのを虫の知らせって言うのよ、と母は自慢気にいつも話します。
    子供の頃から何度も聞かされ、覚えてしまいました。
    こんな事があったせいか、いつも散らかしっぱなしの私が、急に部屋の片付けなど始めると決まって不安な顔をして「やめなさい」と言います。
    散らかってると怒るし、片付ければ不安になるし…。
    勝手ですよね。
    [くろぴん]

  6. 私は北海道に暮らす二児の父です。
    今から14年前の独身時代、京都の古い農家で下宿していた頃に体験した、不思議な『虫の知らせ』のお話をしようと思います。

    京都の中心地から北山を越えた洛北に、岩倉の街があります。
    ここには地名のとおりに岩倉具視が隠居していた旧家があり、都市の喧噪が嘘のように静かな、田園と武家屋敷の残る落ち着いたところでした。
    私はこの地が気に入って、学生時代は、とある古い農家の離れの二階に部屋を借りて暮らしていました。

    その離れですが、一階は納屋で、中央に玄関と木製の階段があり、13段を上り詰めると廊下に突き当たります。
    二階に部屋は廊下を挟むように三つずつ向かいあって6部屋あり、私は上がって右側の角の部屋を借りていました。
    住人は他になく静かなもので、左手の窓を開ければ比叡山が目の前に見え、南側は広々とした畑が広がって、気持ちのよい眺めでした。
    しばらくして気付いたのですが、木製の階段は古く、人が上がってくると「キュッ、キュッ」と音がして、部屋にいればその音を数えていると、部屋に人が顔をのぞかせるタイミングがわかるほどでした。

    ある夏の日の晩のこと、夜も更けて外はしんみりと漆黒の闇に包まれ、すっかり涼しくなっていました。
    期末試験の一夜漬け勉強がなかなか終わらず、気が付くと午前4時になっていました。
    そろそろ諦めるかと、布団に横になってウトウトとしていたそのとき、「キュッ、キュッ、キュッ…」という音が、ドアの外から聞こえてくるのに気付いたのです。
    今頃、いったい何だろう…?
    部屋の片隅で半開きのドアを、凍った目で見つめていました。

    「キュッ、キュッ、キュッ…」、9,10,11回、そろそろ来るなと思ったその途端、半開きだったドアがふわっと開いて、廊下の暗闇から一陣の冷風が吹き込んできました。
    我に返った私は泥棒でも来たかと思い、廊下に出て電気を点け、あたりの部屋じゅうを調べましたが薄暗い部屋に人の気配はありません。
    再び廊下に戻り、階段の下の薄暗い玄関をみると、戸もしっかりと閉められ、風が通る隙間もありませんでした。
    あの風はどこからきたんだろう?
    すっかり、疲労困憊した私はもう考える気力もなく、そのまま部屋に帰ると寝てしまいました。

    翌朝、けたたましい電話のベルに起こされてでてみると、実家の母からで「千葉のおばあちゃん、病院で今朝早くに亡くなったよ。早く帰っておいで」との知らせでした。
    幼い頃からとてもよく私を可愛がってくれた祖母が亡くなったとの知らせに、「あっ、そういえば…」と私は先程の晩のことを思い出しました。
    あのときの風は…。
    最後に祖母が私に会いに来てくれた、その知らせだったと、今もそう信じています。
    [秀太くんのお父さん]

  7. 恐い話は沢山あるのですが、今回は不思議な予知夢の話を聞いて下さい。
    私は不思議な経験も多いのですが不思議な夢もよく見ます。

    約2年程前になりますが、当時私は、とある会社の研究開発室で連日夜遅くまで働いていました。
    唯一尊敬する上司がいたのですが(私から見ればその人は、はるか雲の上の人ではありますが…)、彼に認められたいと常日頃から思っていた私は自分で言うのも何ですが、結構頑張っていました。
    その甲斐あってか信頼されるようになり、よくお声がかかるようになりました。
    しかし、よくあることでしょうが、直属の上司からは睨まれることになり、そのセクションに居られなくなってしまいました。

    その後、私は自分のキャリアアップのため、ある大学の博士課程に入学しました。
    それから更に1年ほど経ったある日のこと、不思議な夢を見ました。
    私は浅くて限りなく広く、とてもきれいな河もしくは湖で網を持って何かを探していました。
    すると巨大なウナギがいました。
    私の持っている網ではとてもすくえないような大きさでしたが、どうしても前述の上司に見せたくてウナギをすくい取りました。
    網からはみ出してはいましたが、私はそれを上司に見せに行きました。

    彼は大変驚いていました。
    彼の横に収穫(ウナギ)をおろすと、それはいきなり白い斑点のある金色の大蛇になりました。
    二度びっくりしていると、今度は16〜18才位の男の子になって(何と私と同じ顔をしていた!)何処かに走っていき、その子は物陰から私の方をじっと見つめていました。
    直感的に私の子だと、いいえ正確にはこれからそうなるのだと思いました。

    それから約1ヶ月の間に私は新しい職を得、妊娠していることが分かりました。
    現在私は、T大の教官をしている1児の母です。
    ちなみにウナギは昇進出世を意味するそうです。
    [虎猫]

  8. 『虫の知らせ』という項目がありましたので、投稿させていただきます。
    今は亡き祖母は、私にとっては良い祖母でした。
    私の今の人格形成に、多大な影響を与えた人です。
    その祖母を思い出しつつ、書き進めてゆくことにします。

    あれは確か、私が小学1年生の夏のこと。
    私の母が東京から帰ってくるというその日。
    母から聞いていた帰りの汽車の時間よりも1時間ほど前に、突然祖母が言うのです。
    「なんかお母さんが早く帰ってくるような気がする。早く支度をしなさい」。
    その時は、おかしなことを言うものだと思いましたが、首をひねりつつも駅までお出迎えをしに行ったのです。
    私はどうせ1時間待たされるのだろうと思っていたところ、改札口から母が出てきたのです。
    本当に驚きました。

    後で祖母に訳を尋ねると「虫の知らせよ」とだけ言っていました。
    そのとき、祖母にどのような形で知らせが来たのかは、今となってはわかりませんが、早く支度をしろと言った祖母はたいそう慌てるというか、そわそわしていたのを覚えています。
    怖いくらいに。
    怖い話ではありませんが、今思えば祖母はこうやって空襲の炎の中や、辛い戦後を生き抜いてきたんだなあ。 そう実感します。
    よく、第六感のようなものは人間皆もっているもので、文明とか科学知識を詰め込まれていくうちに、無くなったりしてしまうのだとかいう話を聞きます。
    虫の知らせが来る人は、来ない人と何がどう違うのでしょうね。
    [逢久幻朋]

  9. 予知能力なんて、とても言えないのですが…。
    小学生の頃、公園でお気に入りのスーパーボールをなくしてしまった。
    「うーん」と頭を抱えて考えると、ふっとある場所が浮かんだのでそこへ行ってみると、ボールが頭に浮かんだとおりに落ちていたことが何度かあった。

    お金を持たない小学生の頃、電話をかけたいという友達に「ここに10円あるよ」と地面を指してデタラメを言い、そこの土を掘ったら本当に10円玉が出てきて、友達より自分がビックリ。
    外出をして「何となく○○さんに会いそう」と思い、本当にその人と偶然に会ったことが数回。
    ついでに「今日チカンに遭いそう」と思って、本当に初めてチカンにも遭ってしまった。

    こんな事があるから、暗い所などで『何かの気配』を感じるときは、大きな声で歌を歌います。
    だってコワイもん。
    誰でも経験あるこんなこと。
    でも、大切な能力かもしれませんよね。
    もっと不思議なことがあったかもしれないけれど…思い出したらお知らせします。
    このコーナーも益々充実してきましたね。 チョット怖いけれど、楽しみです。
    [まき]

  10. よく夢でみたことが本当になることを正夢と言いますが、私の場合少し違っていて、夢の一部が正反対になって現実に起こります。
    前に本で読んだのですが、夢には何らかのメッセージが込められていると言われます。
    このわたしの正反対の夢の部分が、メッセージなのかな、と思うのですが…。
    [m子]

  11. 虫の知らせというものもありますが…。

    以前、私は夫と一緒に通勤していました。ある雨の降る寒い日のこと。
    いつもはバスで駅へ向かうのですが、夫は車で行くので渋滞を避けるため、早い時間に一人で先に出かけました。
    通勤や通学って毎日のことですから、だいたい家を出る時間って決まっていますよね。
    「私もいつもの時間には、行くからネ」と言ったのにもかかわらず、何故か私はなかなか出かけられずにいたのです。
    雨も降っており、私も早く起きて彼と一緒に車で行けば良かったと思いながら、身支度を整えていました。

    別に何かを感じた訳ではありませんが、なぜか時間ばかりが過ぎていくのです。
    もう、いつものバスには間に合いそうにありません。
    遅刻してしまうと、気ばかりが焦っていました。
    次のバスには絶対に乗ろう、と心に決めて用意を急いでいたその時、バス通りから人の悲鳴と急ブレーキの音、胸の締め付けられるような音が、入り混じって聞こえてきました。
    「事故かな? 雨も降っているし、玉突き衝突でもあったのかしら?」と思いながら、怖くて家から出られずにいたのです。
    「事故なら道もふさがってバスも遅れる! 遅刻しても、言い訳があるわ」と…。

    しばらくして、さすがにこれ以上は遅刻できないと意を決して家を出ると、バス通りは大混乱。
    私達がいつも乗るバス(この日も私は乗るつもりでいた)に大きなダンプが突っ込み、バスを待っていた人も事故に巻き込まれていたのです。
    「夫が車で出かけなければ…,いつもの時間にしっかり用意ができていたら…」と思うと、怖いという思いと共に、不思議な気がします。
    [まき]

  12. 3年ほど前に起きた、私の同級生の話です。
    彼は高校卒業後、東京の大学を受験する為、親の反対を押し切って上京してしまいました。
    それから1年ほどたった時でしょうか。運悪く、彼は交通事故で亡くなってしまいました。
    上京して以来、一度も家族と連絡をとらなかったようで、家族の人はみな、悲しい里帰りにショックを隠せないようでした。
    もちろん、私たち同級生達も同じでした。

    しかし、後で聞いた話ですが、彼が事故にあった夜、彼の母親は夢をみたそうです。
    その夢には彼(つまり息子)がでてきて「今から帰るから…」と言ったそうです。
    やっぱり虫の知らせってあるんですね。
    [みどり]

  13. 私は、たまに予知夢をみます。
    ある日、祖母と祖母の姉が、棺の中に入って、みんなに送られていく夢をみました。
    不思議なことに、2人は生きていて、私に手を振っているんです。
    私は大泣きして「いかないで」と泣き叫んでいました。
    周りにはきれいな色の花が、たくさんちりばめられていました。
    そしてまわりには、もやがかかっていました。

    朝起きたら、私は本当に涙を流していました。
    母にそのことを話していたら突然電話が鳴って、応対した母の顔が青ざめたのがわかりました。
    なんと私の、はとこが亡くなったという電話だったのです。
    それからは、ちょくちょく予知夢を見るようになりました。
    [yoshi]

  14. こんにちは、おさるです。
    今日は人魂の話をします。
    母が小学3年生くらいの時に体験した話です。(今、45歳です)
    ある夏の夕方、屋敷畑から南西の空を何気なく見上げると、西方から直径20センチあまりの赤い人魂が、すーっと尾をひいて、南の家の屋根に消えていったそうです。
    母と一緒にいた2人の大人の話によると、その南西の方角には危篤状態の病人がいて、南の家はその人の兄弟が住んでいたので、最後のお別れに来たのだろうとのことでした。
    翌日、その方は亡くなったそうです。
    母は「本当にお別れにきたんだなあ」と子供心に思ったそうです。
    [おさる]

  15. ある、ぽかぽかした天気のよい桜の咲く季節のことです。
    外出先から自宅に帰ると家の中がとっても線香臭かったのです。
    「ああ、おじいちゃんが死んで1年になるからかあ」なんて思いながら、仏間へ。
    父がお経をよみ、母は大泣き、弟まで必死に涙をこらえる始末。
    「そんなに悲しまなくてもいいじゃないの。もう、1年にもなるのに。こんな暗い雰囲気は嫌!!」と思い、自分の部屋へ。
    なんと、そこには死んだ自分が寝てました。
    そう、家族みんなは私が死んだのを悲しんでいたのです。
    それから、火葬場まで運ばれて、焼かれる寸前までの夢でした。

    こんな夢を見てから、春の桜の咲く季節になるとなんか恐くなってしまいます。
    しかし「もしかして、今年が…」という変な予感が起こったとき、身内が亡くなります。
    ただの「予知」なのか、それとも…。
    [小銭茶林]

  16. 僕は、風を感じるのが好きです。春を感じたり、雨を感じることができます。
    一種の予知能力みたいなものですが。
    でも、嫌な風を感じることもあります。それは、死を予知する風です。

    この風を感じるようになったのは、今から9年前に親戚の叔父さんが亡くなったときから始まりました。
    4月30日は僕の誕生日なんですが、9年前のこの日初めてこの風を感じました。
    誕生日で気分が爽快だった僕は、この風を感じひどい不快感に襲われました。
    それがなんなのかは、そのときはまだわかりませんでしたが、次の日叔父が亡くなったと聞き、あれは死を予感させる風なのだと子供心に思いました。
    それ以後、身近な人が亡くなるたびに、この風を感じるようになりました。

    一番辛かったのが、今から2年前僕が高校2年生の時のことです。
    この風を感じた僕は、親友の原田君にこのことを告げ事故に気をつけるよう伝えました。
    しかし、次の日学校に来てみると、彼は元気にしていました。
    ほっと一息ついたのも束の間、担任の先生が教室に入ってくるなり告げたのは、違うクラスのF君の死でした。
    F君とは昔よく遊んだ友達でした。初めて友達をなくした辛さは、このうえないものでした。
    しかも、この風を感じることができても、人を救うことができない自分に腑甲斐なさを感じます。
    こんな能力を持ってる人や似た体験をした人は、結構いると思います。
    そんな人は、僕とお話ししてみましょう。
    [ぐっぴー]

  17. 数年前のお盆の時、亡くなったママの話を他のスナックでしていた。
    ちょうど私のダンナが入ってきたので、その時は「びっくりしたなぁ」で終わったが、次の日の朝寝ているダンナの横に女の足だけが見えた。
    びっくりしてもう一度見てみると、その足は消えていた。
    後で聞くと、半分起きていたダンナが言うには、誰かが体に乗ったり触わったりしていたらしい。
    それから、その時スナックに一緒にいた全員の所にその霊は行ったらしく、急に電気が消えたり足だけを見せたらしい。

    お盆が終わると霊も帰っていったのか、不思議なこともおさまった。
    きっとお盆で帰って来たところ、自分の話をしてくれていたので、嬉しくなってついてきたのではないだろうか。
    [ゴルザ真菜]

  18. 年に2回のペースで、お盆とお正月に実家に帰省していたのですが、その夏のお盆には何らかの事情(私の勝手だったような)で帰省しなかったのです。

    それはちょうど、うだるような猛暑の8月16日の午後でした。ちょうど、野茂の登板日であり部屋にひとりで椅子に腰かけてテレビ中継をみていたところ、突然画面が消えたのです。
    一瞬「停電かな」と思いテレビの隣に設置してあるビデオのタイマーを見たところ、点滅もせず正常でした。停電するとタイマーは点滅するのです。
    「あれ、おかしいな」と思いつつ、一瞬「もしや」という思いにとらわれました。戦争で亡くなった祖父がもう帰るよ…て寄っていったんじゃないかなって。
    時間は午後1時13分(時間をなおすと13時13分)この「13」という数字は祖父が亡くなった命日なのです。
    今年の夏、帰省しなかった私に祖父がきっとお墓参りをしてほしかったんじゃないかと。私に気づかせる為に寄っていったんじゃないかと思っています。

    それから、年に2回は必ず帰省をするようにしてます。「おじいちゃん ごめんね」。
    [私はねこ]

  19. 私が大学生の頃(当時、北海道小樽在住)、幼なじみだった青年が私が下宿していた近くの海で溺れて亡くなりました。
    なかなか信じられなくて、あまり実感がなかったのですが、その2日後の夜9時頃、ふと窓の外を見ると、スーッと火の玉が約5メートルほど離れたところを飛んで行きました。
    それが本当に人魂だったのか、人魂だったとしても、彼のものだったのか私には確信がありません。
    けれども、何となくあの火の玉が私に挨拶をしていったような気がしてなりません。
    [もるふぃん]

  20. 私の伯母の話なのですが、30年程前坂道の多い地域に住んでいました。
    伯母もまだ若く、夫と姑と5歳の娘との4人暮らしでした。
    ある夜、いつものように夜12時頃、皆が寝てから家の戸締まりをし始めました。そして、玄関の鍵を確かめに行ったところ、なぜか戸を開けたくなったそうです。
    そして戸を開けると、門の所に髪の長い女性が立っていました。
    その人が「すみません××さんのお宅はどちらでしょうか?」と尋ねたそうです。伯母はその家を教えてあげました。
    戸を閉めてからふと「こんな夜遅くに?」と不思議に思いながら戸締まりを済ませ寝室へ入ったら、なんと、さっきの女性が後ろ向きで伯母の寝る布団の上に座っているではありませんか!
    驚いた伯母は声をだそうとしたのですが、なかなか声がでず、その女性が振り向こうとした時からの記憶がないそうです。
    気づいたら朝になっていて、その日の午後に女性に教えてあげた家の娘さんが亡くなったことを知ったそうです。
    よく坂道での怪奇話を聞くのですが坂道に霊は集まりやすいのでしょうか?
    [a.amuro]

  21. うちの母の話なんですが、高校生のころ小学校時代の同級生の女の子がボーイフレンドとドライブしていて事故をおこし、重傷を負って入院したんだそうです。
    親しかった友達なので心配していたんですが、そんなある晩夢をみました。
    卒業式なのかなんなのか、とにかく大勢人が集まって騒然としたなかで、その彼女がひとり寂しげに立っている後ろ姿が見えたんだそうです。
    母が思わず「事故にあったって聞いたけど、どうしたの?大丈夫?」と声をかけると、彼女は振り返りました。その顔は、半面が真っ黒く腫れあがっていたそうです。そして彼女は何もいわずに走り去っていきました。
    その何日かあと彼女は亡くなったのですが、母は都合が悪くてついに葬式にはいけませんでした。しかし葬式にいった友人の話によると、棺桶のなかの彼女の顔には、たしかに半面に包帯がまかれたままになっていて、事故の際にその部分に傷をおったことが見て取れたそうです。
    母は「お別れにきてくれたんだろうねえ」と言っています。千葉県袖ヶ浦市で、昭和45年ころの話。
    [とらぐす]

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