貴重な時間を割いてのお話し、ありがとうございました
5,6年前の学生時代に、何人かで北海道の湯ノ岱へキャンプに行った時の事です。
当時、函館に住んでいて、休日になると近くの山でキャンプを張り、バーベキューをしておりました。
その日テントを張ったのは、人のあまりこない山奥の川の中州でした。
夏ももう終わりに近く、北海道ということもあり、熊よけのために焚き火を消さないようにしていました。
焚き火をし続けていたのは、馬鹿話をしているのが楽しいせいもありましたが…。
燃料はテントの周りから流木や枯れ木を2,3人で一抱えずつ拾ってきて、それが無くなると、また拾いに行くというような事を続けていました。
そのうちに、テントを張っていた中州には木が見あたらなくなりました。
川を渡ればちょっとした森なので、枯れ木はふんだんにあります。
小さな川ですが、渡ると膝まで濡れるので面倒でしたが、他の者がしつこく中州を探すなか、私一人、川を渡って燃料を拾いに行きました。
もう真夜中と言っていい時間で、しかも明かりのない山奥でしたので、懐中電灯を持って木を拾いに行きました。
懐中電灯で照らされる所しか見えませんでしたが、私には霊感などというものは皆無ですので、別に何も感じませんでした。
誰も入っていないので、枯れ木がすぐに抱えられないほど集まりました。
それを出来る限り抱えて、ひんやりした川をサンダルで渡ります。
そうして集めた薪もあまり長くは保ちません。
残り少なくなってきたので、また川を渡ろうと、さっき渡った川岸まで行くと、そこにかなり多くの薪が積んでありました。
自然に積み重なった様には見えず、明らかに人が積んだ様に見えました。
さっきそこを僕が通った時に落としたにしては多すぎるし、きちんと積まれてあります。
僕の後にそこを通った者はキャンプのメンバーにはいません。
何か得体の知れない者が、薪を積んだのだと思いました。
不思議と、恐いという気がしなくて、ありがとうと暗闇に向かって礼をしました。
その木は永く水辺に置いてなかったことを示すようによく乾いており、よく燃えました。
その後、もう一度だけ、川を渡って木を取りにいったのですが、薪は積まれていなかったし、森で何かに会うわけでもなく、不思議な事はそれきりでした。
08/22[ちっちもん@]
誰の贈り物だったのでしょうか…。
それはもう20年位前の話になります。当時私は小学生の低学年でした。
私は県営の団地に住んでおり、近所の子供たちとよく、縁の下に入っては遊んでいました。
その日も仲間と遊んでいると、一匹の野良猫に出くわしました。
その時、多分いたずら心からだと思うのですが、その猫を皆で捕まえて、縁の下にあった水道の栓があった小さな穴に無理矢理押し込め、あげくに蓋までして閉じ込めてしまいました。
猫は「にゃあにゃあ」と鳴いていたような気がします。
それでも、しばらくそのままにしていました。
しばらくして蓋を開けると、猫がもの凄い勢いで飛び出しました。
私たちは、また遊びを始めたのですが、その猫がずっとついてくるのです。
猫は私たちの顔をじっと見つめると、どこかに逃げていきました。
私は何だか嫌な感じだなと一瞬思いましたが、その時は、それっきり夕方まで遊んで家に帰りました。
その日の夜です。
私の家は4階だったのですが、来たんですよ。猫が。
玄関の前で恨めしげに鳴いているのです。今でもあの時の声は覚えています。
でも、恐くて恐くて、戸を開けられなかったです。
猫は、しばらくうちの前に居たようですが、そのうちどこかに行ってしまったようでした。
これ以降、あの猫とは会っていませんが、動物をいじめるものではないと身をもって学んだ出来事でした。
08/21[やんやん@nt]
猫の真意とは…。
彼に出会ったら絶対に無視しなければなりません。
気持ち悪がると彼はあなたを睨みつけ消えてしまいます。そして三日以内に死んでしまいます。
彼に微笑みかけると、彼はあなたに一生とりつきます。
08/21[ストーリーテラー@m]
無視すればいいのですね。
深夜に編集室から自席へ帰ろうと思ってエレベーターに乗り、ボタンを押すと、必ずある階で止まるのです。
次の日も、その次の日も…。
違うエレベーターでは開いた途端に手だけがボタンを押していたり…。
先日、スタジオで深夜から生放送する事があり、本番前のリハーサルの時に私の隣のカメラが急に動かなくなり、みんなで調べてもどこにも異常がないのです。
「変なの?」と思っていた私でしたが、次の瞬間全身に鳥肌と悪寒が…「見ちゃいけない」と思ったのですが、目が勝手にある場所に釘付けになってしまったのです。
セットの一番奥の壁に男性がこっちを見てニヤッと見ているのです。
「やばい…」その時、仲良しの上司が私の肩を叩き
「見た?」「うん。目があった…」「盛り塩しよう、このままでは放送できない」
結局二人でお塩とお水をスタジオの入り口と、男性のいたセットの奥の壁にお供えしました。
放送はなんとか無事に終わりました。
放送局って色々話ありますよね。
08/20[masarie@]
いろいろありますね。
私も金縛り歴10年を数えるベテランです。
こと私に関しては、昼寝や長い居眠りをすれば夜、金縛りになりやすいです。
場所はどこでも大丈夫です。かなり高い確率です。
また、睡眠不足・運動不足など、生活のリズムが乱れている時の方が、より高い確率で起こります。
あの独特の恐怖感もかなりコントロールできるようになりました。
何かが迫ってくるような想像をするとそうなりますし、上に何かがのしかかっている想像をするとそうなります。
ビジュアル的にはあまりはっきりしませんが、人の顔だと思えばそうなりますし、観念的なものと考えればそうなります。
感覚・ビジュアル共に途中で意識的に変える事もできますが、うまくいかない時もあります。
このへんからもオバケを見た!とりつかれた!とかいう恐怖体験とはちょっと性質が違うといえると思います。
抜け出したい時は力技に頼っています。
最初は上半身を必死で起こしていたのですが、そのうち腕(指は金縛り中でもなんとか動く)を動かせれば抜けられるというパターンが身につきました。
他に何か方法があったら教えて下さい。
抜け出した後にすぐ寝ようとするとまた金縛りになりますが。
また他の方と同じようにその後何かあるという事はありません。
睡眠障害気味な人から同じような話を聞く事があります。
前向きに対処するには何か他の呼び方のほうがいいのかも知れませんね「入眠時身体硬直パニック発作」とか!?
まさに、ベテランですね(^^;
私の兄が高校生の頃、アメリカに一年間留学していた時の話です。
兄のホストファミリーは良い人達でしたが子供が居ず、初めての留学生という事で、あまり上手くいってなかったようでした。
その時、最初に相談をするのは日本の家族ではなく「世話係のエリアマネージャーにするように」と留学機関から言われていましたので、兄もそうしたようです。
それは、本人もホームシックになるし、家族も心配してしまう為。
その頃はインターネットなんて便利なものはなかったし、アメリカから直接電話がかかっても英語が話せる人間は家にいませんでしたから、連絡は機関を通して一ヶ月遅れぐらいで郵便が我が家につく、といった感じでした。
ある朝、父が「兄ちゃんの夢を見た」といいました。
「スーツケース持って玄関に居てた」というのです。
驚いた事に、おかんも同じ夢を見ていました。「悲しそうな顔して『帰って来た』と」
二人が同じ夢を見たという事に私は結構びっくりしていました。
そして一ヶ月ほど経った頃。兄がホストチェンジ(HFを変わる事)したと通知が来ました。
通常、その機関では1年同じ所で預かってもらうことになってましたので。
その日付が、二人が夢を見た頃だったのでした。
兄はその頃やはりとても悩んでいたといいます。それから、帰ってくるまで二人が夢を見る事は有りませんでした。
その後。
兄は結婚して、仕事でドイツに住んでいました。
慣れない環境での仕事や、新婚生活で、兄はかなり疲れていたようです。
おかんがまた夢を見ました。「また荷物持って帰ってくる夢見てん。なんかいややわ〜」
その嫌な予感は的中、兄はかなり壊れていて、もう少しで離婚の危機、というところでした。
おかんが連絡を取った事がきっかけで、何とかなりましたが。
おかんは、ちょくちょくこういう夢を見ます。虫の知らせと言うのか、予知夢と言うのか。私は予知夢だと思っています。
絶縁状態だった姑の最期を看取り、葬式を出した晩におばあちゃんが喪服で挨拶に来て、三つ指をついてお辞儀をした夢を見たとも言ってました。
「ちゃんと感謝していったんやで」と二人で納得しました。
気にしているから見るんじゃないの?という人も居ますが、私にはどうもそれだけではないような気がします。
ちなみに、私も留学したし、一ヶ月リュック一つでヨーロッパ旅行に行ったりしましたが、私の夢は見た事が無いそうです(笑
これからも、おかんが私の夢を見る事の無い様に、親孝行しましょう(^^;
それではまた。
08/19[さえっち]
できる時に親孝行しましょう。
花火を始めてしばらくすると二人の女の子が急に帰ると言い出しました。
みんなが「どうしたの?」と聞くと、一人が「あっち(校舎の方を指差して)の方に人みたいなのが見えた」と。
一人だけなら何かの見間違いだと済まされるのですが、もう一人の子も同じようなものを見たらしいのです。
その子たちは普段、嘘をつくような子達ではないのです。
家に帰り祖父にその事を言いました。
するとその場所には戦前、病院があったそうです。
何かよくありがちですが、実際にそんな事がありました。
その事を聞いた時はゾッとしました。
ひとつだけ良かったのは、うちの学校じゃなかったこと。
つまらない話だったでしょうか?
まあ、そういう事があったということです。
08/18[雄二の弟子@]
そこは、かつて病院だったわけですね。
予備校に進学して、地元を離れたある日のことです。
その日はなんとなく疲れていたので早く休むことにし、夜の9時頃にとっとと電気を消してベッドに入りました。
しかし、疲れてはいるものの妙に目が冴えて眠れず「じゃあ、ちょっと話に聞く瞑想でもしてみようか」と、面白半分でやってみたのです。
その時のそれは、瞑想というよりはある種のイメージトレーニングのようなもので、目を閉じて広い野原に立っている自分をイメージし、そして自分自身が一本の若木に変化していく、という姿を想像するというものでした。
足元から樹皮が覆い、伸ばした指の先までが枝へと変わり、青々とした葉が早送りで芽吹きだす…というところまでイメージした時です。
ピカッ!
と、ものすごい量のフラッシュを焚いたような光が、閉じた目蓋の間から眼球に飛び込んできたのです。
ビックリした私は、車のヘッドライトか何かが目蓋の隙間から差し込んできたのかと思って飛び起きたのですが…当時の私の部屋は5階。
しかも道路からは一番遠い部屋。そして、光が差し込んできたのは私の足元の方なのに、そこはただの壁で、突然発光するようなものは何一つ置いてなかったのでした。
結局考えてもわからなかったので、その日はそのまま寝てしまいました。
それ以降、たまーに金縛りに遭ったり、それらしい物音を聞いたり気配を感じたりするようになりました。
金縛りに遭う時は、何だかよくわからないモノをよく見ます。
私がこの経験をしたのは、19になったばかりの頃のことでした。
08/17[長谷川諒@]
19だったということは…。
幽霊画があるのは、久遠寺ではなく、久渡寺です。
毎年5月に虫干しを兼ねて公開していましたが、去年あたりから公開をやめたようです。
ちなみに公開の日には必ず雨が降るといわれてました。
それからテレビ放送中に目を開いた掛け軸は、弘前市在住のある方が持っているそうです。
<(_ _)>
私は一度、夜にそこに行ったことがありますが、夜は階段の脇に明かりがなく、すっげ〜怖い&危ない!!
私自身は見える人じゃなくて良かった…、と思いました。
08/17[ひゅう@]
延々とニョロニョロがいるわけですね。
何軒か連れて行ってもらったのですが、青島の近くにある事件現場の話を知っている方いないでしょうか?
僕が聞いた話では、毎日、その心霊スポットの下の尼寺から、読経をあげに来ているそうです。
僕が行った時は、宮崎の青島近くの海岸沿いの道から仏舎利塔が見え、その道を上がっていくと現場につきました。
但し、現場には工事用の通行止め札が立っています。
雑草がぼうぼうの一車線の道を、数分、上がっていくと…。
右手に鉄の門でしまり、外からでも見える「南無妙法蓮華経」の大きな三角形の墓碑が見え、ラップ音や人の声、車の不調等が間断なく襲ってきます。
そこで、恐ろしいながらも写真を20枚近く撮影したのですが現像に出したところ、一枚も返ってきませんでした。
36枚撮りのフィルムで6枚しか現像屋から返ってきませんでした。
この宮崎の心霊スポットが出来たらしいのですが、詳しい事を知っている方、メール&カキコミ待っております。
今まで、大阪出身のせいもあり、有名な心霊スポット(妙見山、犬鳴山、六甲、徳利湖etc.)へ行ってきましたが、宮崎のこの場所以上に恐ろしい思いをした場所はありません。
08/17[kimaira]
写真の内容が気になるわけですね。
自分が小学生の冬のある日、家族で祖父の家に遊びに行って、僕と妹だけがそのまま泊まることになりました。
祖父の家に泊まる時は、いつも僕が祖父と寝ることになっていたのですが、その日は何故かしら妹が祖父と寝ることになりました。
真冬で寒いので、妹は電気毛布を使ってる祖父と寝かせてあげよう、そんな流れだったかもしれません。
或いは妹が今日は電気毛布で寝る!と強固に主張したのかもしれません。
さて、夜中。珍しいことに僕はふと、目が覚めました。
お腹がね、痛いんです。キリリと。
トイレに行きましたが出ません。諦めて寝床に戻りましたが、痛いのは治りません。
うんうん唸っていると、隣で寝てた祖母が何事かと起き出して、事情を知ると僕のお腹を擦ってくれました。
おならがプープー出て、幾分かは痛みも和らぎましたが、それでもまだ痛みます。
そんなこんなで何やかやとやってるうちに、祖父も妹も起きてしまい、寝床に潜ったまま僕の腹痛の成り行きを見届ける格好となりました。
しばらくすると妹が突然「臭い!」と言いました。
おならの発生源である僕としては「やー参ったなー(^△^;)ゞ」と密かに赤面してたのですが、それにしてはどうも様子が違います。
何だか切迫してるのです。「臭い臭い!何か臭い!!」
そんなに騒ぐほど臭い屁かぁ(-△-;)?と思った時、祖父か妹か判りませんが、被っている布団を剥いだのです。
すると、いきなり「ボワッ」と真っ白で大きな煙が部屋の中に立ち込めました。
「燃えてる!!」妹の叫び声。
当時、冬になると電気毛布の接触不良による火事が全国各地で発生していたのですが、それが目の前で起こりかけていたわけです。
「燃えてる!燃えてる!」と大騒ぎの最中「ん??」と、もよおしてきた僕は、上へ下への三人を尻目にトイレに入りました。
不思議とすんなり出ました。腹痛も治まりました。
「危ないところだった」と興奮冷めやらぬ三人を差し置いて、スッキリした僕は再び安らかな眠りに落ちました(´▽`)ノ
祖父の家には10数年に渡って何度も泊まりに行ってますが、夜中に目が覚めたのはその時が最初で最後でした。
ちなみに、妹は電気毛布がキライになりました。
08/17[たけ@]
(^^;
時間は午前3時くらい。
友人M(神奈川県小田原市在住)は友人と伊東方面から車で帰る途中、このトンネルに入りました。
下らない話に盛り上がっていた運転していたMは、そのときトンネル内を人が歩いてるのを認めました。
その人は、白い着物を着てトンネル内を「横切って」いたそうです。
それを見てMは「あれ、こんな夜遅くなのに。酔っ払った温泉客かあ?」と最初は思ったそうです。
「でも、何であんな歩き方してるんだろ?…待てよ、何か頭についてるぞ…!」
それは、ここが笑ってしまう所なんですが、死者が着けるあの三角の布でした。
その瞬間「これ違うぞ!なんかヤバイ」と思った刹那、その白い着物の人がこちらを向き、スーッと急接近してきました。
Mはアクセルを踏み込みました。
車との対向速度もあるため、あっという間に「それ」はフロントガラスを舐めるように後ろに流れ飛んでいったそうです。
バックミラーには何も映っていませんでした。
しかし、そのときMは距離にして数10cm、ガラス越しに目と目が合ってしまったそうです。
『目』といっても、ぼんやりした顔に点が二つというような曖昧な表情だったそうです。でも確実に『目と目が合った』そうです。
そしてそれは、女だったそうです。
さっきまで、笑っていた友人も黙っていました。二人とも、Mが友人を家まで送り届けるまで口をききませんでした。
そして、友人が車を降りる時「おい、『あれ』ってアレだよな?」「うん」とだけ交わして別れたそうです。
その次の日から、Mは毎晩金縛りと得体の知れない「重み」に悩まされました。
金縛りが解け、時計を見ると午前3時過ぎ。トンネルで見てしまった時刻と大体同じです。
その次の日、家族に相談してみました。しかし「だいたいお前は飲み過ぎなんだよ」と相手にもされなかったそうです。
4日後、Mは座禅熱心な父親と一緒に、毎年恒例の菩提寺草むしりに行きました。
これは別に相談をする為とかではありませんでしたが、当時の住職は、人々に評判の高い和尚だったそうです。
その住職が、墓場を掃除していたMの横を通った時「君は夏生まれだったよね?」と突然意味不明な質問をしてきたそうです。
そして「まあ、お堂で麦茶でも飲みなさい」と呼ばれました。
麦茶を飲み休憩していると、住職が「最近何か見たかね」と聞いてきます。
その言葉を「最近調子はどうだ」ぐらいに聞き流していたMは、例の件を口にしなかったそうです。
すると、おもむろに住職は言いました。
「じゃ、はっきり言うけどね。君、最近トンネルみたいな暗い所で女の霊を見ただろ。それ、ずっとさっきから、君の隣に居るんだよ」
断言されたMは、かなりビビリまくって全てを打ち明け、そして車も見せました。
「君、車でこの人(霊)を轢いちゃってるんだよ」どうも、それで怒ってついて来てしまったようです。
早速、車ともども住職により御祓い(寺でもこう言うのかな)してもらい、その夜から金縛りは無くなったそうです。
話はここまでです。
頭の三角布など、今時の人間なら想像もしないような、懐かしいスタイルの霊に憑かれてしまったアホな友人Mは、それ以来、霊の存在を信じるようになりました。
そして、当然かもしれませんが、例のトンネルには一人では絶対に行かないそうです。
私が無理やり連れて行った事はありますが、何も見えませんでした。
08/16[ニコマート@]
その霊には足があったのでしょうか…。
毎年夏の時期になると、怪奇特集などやっていました。
その回(7月28日、近所のお祭りの日だったと思います)放送の怪奇特集は心霊写真。
当時主流だった華厳の滝の写真などがあり、当時小学生だった私は、その放送の後、夜道を歩いてお祭りに行く事もあってか、ビビリまくって見ておりました。
やがてメインゲストの霊媒師の先生が登場しました。
たしか前世が見えるとかで、スタジオに作られたお座敷にスタンドマイクを置いて、パネラーと向かい合う形で正座をし、前世占い?を始めました。
内容は覚えていませんが、これもまた子供心に凄く怖かった様に記憶しています。
その恐怖な時間もやがて終わりに近づき、
押坂忍サン「先生、どうもありがとうございました」
霊能者の先生「…」
先生は無言のまま重々しく頭を下げました。
次の瞬間「ゴン」先生は思いっきり頭をスタンドマイクにぶつけました。
そして先生は小さな声で呟きました。「あ痛ぁ」その声はしっかりとマイクが拾っておりました。
20数年経った今も、あの時の先生の「あ痛ぁ」という声が私の耳から離れません。
怖い話ではなくスミマセン。
耳から離れませんか。
ウチの祖父は私が小学6年生の時に亡くなりました。
一ヶ月ほど入院して、また容態が少し前から悪化してのことだったので、別に知らせも何もないといえばそうなんですけど。
祖父が亡くなる当日、両親が仕事に行く前に病院に行き、私と妹はそれぞれ学校に行きました。
友人と登校途中、ちょうど8時15分頃の事です。
「じいちゃんが死んだ気がする」
という言葉が私の口から出てきたのでした。何でそんなことを言い出したのかはよくわからないんですが…。
とにかくその日は一日「じいちゃんが死んだ気がする」「じいちゃんが死んでうちに帰ってきてる」と言い続け、友人たちにかなり嫌な顔をされました(^^;
最終的には帰宅途中、友人に
「あのなあ。おまえそんな身内が死んだ死んだって言うもんじゃないよ。それに、おまえのじいちゃんがほんとに死んでんなら学校に連絡が来るだろう」
と呆れ顔で言われてしまいました。
それを聞いて、それもそうかとも思ったのですが、やっぱり何だか落ち着かない気持ちでいたのを覚えています。
そうして友人と別れて家まで帰ってくると、やはりというか、家の玄関には「忌中」のすだれがかかっていたのでした。
後から親に聞いた話だと、祖父は私がじいちゃんが死んだ、と騒ぎ始めた8時15分頃に腎不全で亡くなっていたということです。
08/16[長谷川諒@]
何か、胸騒ぎがしたわけですね。
ホテルは貸切で、夜毎部屋へ集まっては怪談話に盛り上がっていました。
が、ある男子の部屋には不気味なものが…。
宿泊初日には無かった床の間の染み。日に日に濃くなっていったそうです。
怖くてそばで眠れないって言ってました。
私も見に行ったんですが、背広姿の男性がポケットに片手を入れて、うつむいているように見えました。
結構大きくはっきりしていました。
怖いから、最終日に鍵を返す時にやっとその染みの事をホテルの人に言ったらしいのです。
すると「えっ?また出てきましたか?塗り直したばっかりなのに…」
増改築で迷路のような不気味なホテル。
まだ、営業しているのでしょうか?
別の話で、岩手県花巻に結構やばい家があると聞きました。
地理は良くわからないのですが、たしか東北道花巻インターの方だと思います。
道路整備が行われた時、その家を避けるように道がカーブしているとのことです。
どなたか、詳しい話を知っていたら教えてください。
地元では結構有名らしいです。
08/16[ぷりん@i]
床の間は塗り壁状態だったわけですね。
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