真夜中で誰もいなかったので、友人三人でそこの公園で猫に餌をやっていました。
ところが、私だけ頭が痛くなり、しまいにはフラフラし始めてしまいました。
慌てて何か飲み物でもと、公園から出た途端に頭痛はおさまりました。
そして、また入ると頭痛がするのです。
何度か試した結果、相性が悪いのだろうと思いましたが、江ノ島といえば縁切りで有名なんですよね。
『カップルで入ると二人が別れるという。弁天様が嫉妬するから』だそうです。
ところが、私たち三人は女です。確かに、友人二人はカップルですが。
男に間違えられたのか、はたまた純粋に嫌われたのか。
それ以来、地元だというのに茅ヶ崎の海にも泳ぎに行くのが怖いんですよね。
ついでに、茅ヶ崎の海、特に相模川寄りはたくさん霊を見ることで地元では割と有名です。
その近くのラブホテルも女の人の幽霊が女性にだけ見えるそうです。
川や海で亡くなった人の遺体がよくあがるせいでしょうか…。
02/04/13[himawari@di]
江ノ島のジンクス。今も続いているのでしょうか。
一般住宅を抜け、田んぼが一面に拡がり、ガサ藪があり獣道みたいな場所が入り口です。
車ではここまでです。
徒歩で400〜500mくらいガサ藪の坂を上るとグランド跡地が見えます。
位置的には丘の上なのですが、グランド跡には植林がしてあり、外からは全く見えません。
グランドを300〜400mくらい進むと、栗の木や林が見え、枝をかき分けながら進むと、跡地に辿り着きます。
窓には鉄格子があり、正面玄関には30年前の日付の新聞、書類、瓶などが散乱しています。
玄関を入り突き当りのトイレが危ないところです。
廊下や壁などは腐っていて穴が開いています。
噂では、そこに入ったら凶変し、訳の分からない事を叫び、もがくそうです。
02/04/12[ビンアール]
崩れたら危ないので、行かないように。
昼間の金縛り
夜中の3時頃に金縛りになりました。
その後、怖くて眠れませんでした。
だから、朝まで起きていて、風呂に入ってから眠りました。
もう太陽が出てるから大丈夫だと思ったのですが、また金縛りになりました。
その時は、直ぐに実家に帰って仏壇に手を合わせました。
金縛りの傾向と対策
誰か金縛りに遭わない方法を教えて下さい。
02/04/10[蟻]
肉体面では、快食快眠快…が一番のようですね。
そして、その後、不慮の事故でその人たちは亡くなり、トンネルに埋め込まれたそうです。
それ以来、そのトンネルを通ったとき、霊が見られるようになった。
02/02/28[ゆきひろ]
北海道以外でもそのような歴史があったのですか…。
10年くらい前に実際に確かめるため、職場のアルバイトの学生たちと行ってきました。
深夜2時頃でしょうか、パラパラと小雨が降ってきました。
当然そんな時間には誰も居るはずが無く、周回路にポツンポツンとある灯りだけがボーッと辺りを照らしています。
それだけで寂しさは最高潮の雰囲気の中、二手に分かれてスタートしました。
半分くらいを過ぎても一向に誰も向かって来ず…。
とうとうそのまま元の位置に帰ってきたわけですが、なんと、もう一方のグループが反対側から歩いてきました。
相手も!?って感じでした。
皆さん、どう思われます?
もうひとつ、大阪の妙見山のことですが、この山に名前は忘れたのですが神社があるんです。
10年以上前に職場のアルバイト学生と初詣に出かけたんです。
時刻は午前3時。
神社について、一通りお参りをして、さあ帰ろうかという頃になって妙なことに気づきました。
鳥居が立っていて神社のはずなのに、どこからか読経の声が…。
02/02/23[ジェミニ@]
深泥ヶ池とよく間違われますが、ここの噂話も多いです。
当時、肝試しに富美の家という昔、事件があったという民家に行きましたが、中に入ったことはありません。
それは上湧別にあります。知っている人いたらお願いします。
大量虐殺から逃れた信者達の多くは北陸や東北に逃れて「隠し念仏」と呼ばれる存在に自分の正体を隠して住み着いていたようです。
この時、その「隠し念仏」の人々が住んでいたいわゆる「隠れ里」として杉沢村が有ったのでは。
その存在故に、地図上もしくは歴史の上にあまり出てこなかったんではないでしょうか。
因みに「隠し念仏」という風習は、つい20年ほど前まで青森のホントの僻地で伝承されており、TBSで昔放送されてた情報番組『ギミアぶれいく』でその様子が紹介されてました。
ただその紹介のされ方も、VTRではなく写真であり、その写真自体も隠し撮りだったように記憶しています。
たしか気絶するまで念仏を唱えて、その時垂れたよだれが金色だったら信心が本物であるとか、子供の信者(違うかも)がトランス状態の自動書記で色々書いていたと思います。
02/02/11[モッチー@di]
隠し念仏、隠れキリシタン。想像を絶する信仰心のあらわれですね。
真夜中の勉強中、うたた寝した時に金縛りに。
横でジュルリ、ジュルリと舌なめずりの音。ボン!と音がして、気配は背後へ。
目の前のTVのブラウン管には何も映らず、気配だけがあり、必死にお経を唱えたら金縛りが解け、何もいなくなった。
夜中、本を読んでたら楽しそうな女性の笑い声が響いた。
眠ろうと床に入ってじっとしていたら急に背中がゾクゾクしました。
背後に気配があり、金縛りに。
そしてずれていた布団がそっとかけ直された。
直後に飛び起きたが誰もいなかった。
母方の祖母が亡くなる直前に夢で母のいとこで若くして亡くなった女性が、祖母の部屋にあらわれ「迎えに来たよ」といって微笑んでいた。
その後まもなく祖母が亡くなった。
お昼寝してたら意識が体から引き剥がされるような感覚があり、必死に心の中で抵抗したが意識がなくなった。
しかしそれから度々、夢で空中を浮遊していて、私を見た人が驚いて逃げてる様子をみたりした。
夢で邪悪を形にしたような禍々しいモノを見て、こいつに近づいては駄目だと夢の中で思っていた。
その数ヵ月後TV番組アンビリバボーの心霊写真コーナーに夢で見たのとそっくりな、あの邪悪なモノが映りこんでいる写真があった。
霊能者の方が「完全な悪霊、人を陥れるのが大好き、二度と同じ場所に近づいてはいけない」と解説していた。
一緒に暮らしている恋人が出張でいない夜、普通に寝ていたら、いつの間にか何処かの白いシーツのベッドの上にいて、ここは?と思い動いたらベットの上に誰か寝ていて足を踏んづけてしまい、しまったと思った。
その瞬間もとの自宅で目覚めた。
ふと壁にかけてある恋人のシャツの左腕の袖口に目がいくと、ぐるぐると何か渦巻いていた。
手を伸ばして触るとふっと消えてしまった。
出張から帰った恋人に聞くと、その夜泊まったホテルのシーツも肌かけも白で、夜中急に一度目が覚めたらしい。
02/01/23[オレンジ]
最後のお話は、幽体離脱でもしたかのような話ですね。
元暦2年(1185)、駿河の木島某の一子、米一丸は、主家筋である京の一条某の命により博多へと泉州堺より旅立った。
役目は、一条氏が若き日、博多で放蕩を尽くし質入した家宝の太刀(三池伝太)を質受けして持ちかえる。と、いうものだった。
しかし、これは、一条氏の米一丸を謀殺せんが為の陰謀だった。
実は、一条氏は米一丸の妻、釈迦一御前(八千代姫)に横恋慕したあげく米一丸を亡き者にして我が側室にせんという企みをめぐらせていたのである。
博多に着いた米一丸は竹若勘九郎なる人物宅に寄居しながら従者45名を指揮して早速、太刀の詮議に取りかかるが、すでに、一条氏の腹心、博多奉行茨城彦左衛門には暗殺命令が下されていた。
また、太刀を預かる奥伊右衛門も当然、陰謀に加担しており、米一丸が現れるのを待ち構えていた。
茨城彦左衛門は、博多の町を太刀を求めて東奔西走する米一丸をつけ狙うが、米一丸が剣の達人である上に45人もの屈強な従者を付き従えているため手出しが叶わず、ついに奥伊右衛門宅に太刀があることをつきとめられてしまう。
奥伊右衛門宅に現れた米一丸は銭8000貫で太刀を買い戻すと、不穏な空気を察して早々に博多を発とうとした。
しかし、茨城彦左衛門の命を受けた奥伊右衛門は、蹴鞠や連歌の会を連日設けて米一丸を引き止め、はては村雲という遊女(おそらく白拍子)をあてがい長逗留を薦める。
その隙に手勢をそろえた茨城彦左衛門と奥伊右衛門はある夜、ついに竹若勘九郎宅を襲撃する。
米一丸主従はよく防戦し戦ったが戦支度を整えた多勢の前に力尽き、現在の東区箱崎松原付近まで遁走するが、ついに囲みを破れず全員討ち死にする。
この時、米一丸に懸想していた竹若勘九郎の娘おつぎは米一丸を救うため男装して米一丸を名乗り討ち死にする。
また、後日、遊女村雲も殉死。米一丸の消息を求めて博多までやって来た妻、釈迦一御前も従女12名ともども自害と、実に米一丸方61名死亡という悲惨な逸話が米一丸の物語なのである。
その祟りで数日を経ずして、一条氏、茨城彦左衛門、奥伊右衛門は狂死、襲撃に加担した者どもも、尽く死に絶えたと言われている。
さて、浄瑠璃の解説のような語りになってしまいましたが、大部分は江戸時代に入ってからの創作です。
が、明治以降、鉄道が松原の中を貫通して通るようになると確かにこの場所で人身事故が相次ぐようになります。
松の木が視界を遮り見通しが悪かったためと言われていますが、松林が無くなった今も事故があると、米一丸の祟りを口にする古老は今もあとを絶ちません。
博多の最も古い都市伝説なのかもしれませんね。
01/10/04[maddog@]
創作でないところは、どのくらいなのでしょうか。
私は、体重が75kgで身長が165cmぐらい。
ムッチリした体型なんですが、わりと筋肉質で、ちょっと見には健康体そのものなんですが、微妙に風邪を引き易いんです。
特に、コミケのようにヒトが密集している場所や、嫌な気配のする場所に行くと、体調がズタボロになるのです。
昨日、会社で元気に働いていたんですが、夕方から体調が激変。
げっそりするのを通り越して、ドスンと疲労が落ちてきて、目を開けながら意識がぶっ飛びそうな状況に陥ってしまいました。
これはイカンだろうってことで、年休をとってみました。
すると、今日5/17なんですが、昨日の疲労感が無くなり、わりと爽快な気分。
『昨日のアレはなんだったんだろう?』と思いつつ、免許の更新に出かけたら、講習会をしている時に、思い出したようにドスンと疲労が落ちてきました。
『ナニ、ナンなの?(^^;』
クラクラしながら、新しいゴールド免許を貰って帰宅して、のほほんとガンパレをしていると、疲労も無くなりました。
『うわぁー、次はいつアレがくるんだろう?』と思っていたのが19時頃。
この時、電話が鳴りました。
『体調が不安定な時に、何処の誰から電話がかかってくるんだろう?』
と思って受話器を取ると、父親からお電話。
母方の婆様が亡くなったとのこと。
大往生的な年齢なので、悲しさは全くありませんでしたが『昨日、今日の疲労の原因は、ばっちゃん?(^^;』という疑念がふつふつと…。
全然怪談っぽくなくて申し訳無いですが、とりあえず明日荷物をまとめて、宮城の誇るリアス式海岸で有名な唐桑半島に行って来ますです。
あれっ、喪服ってあったかなぁ? ではではぁ〜、またぁ〜。
01/05/17[無月 龍@]
なんにせよ体調には気を付けて下さい。また、何処かでお会いしましょう。
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