途中料金所があるのですが、20時くらいでしょうか。
その時間にそこで足を掴まれるというのを聞きました。
あと、鹿児島市内の方からそちらへ行こうとすると、西インターを通る場合ですが、西稜トンネルを通ります。
ここもあまり良くないと聞いた覚えがあります。
建設時に事故があったとかなかったとか。これは母からだったと思います。
聞いた話ばかりで記憶も曖昧なので、確信を持って話せないのですが…。
高校1年生頃の部活合宿の話です。あまり怖くはありませんが。
女子みんなで怪談話をして盛り上がっていました。
私達は、隣部屋の1年男子と一緒に話そうとして、隣の部屋に行きました。
しばらくすると、私達の部屋で話に加わらず勉強していた友達2人が、涙を浮かべながら部屋にあわてて入ってきました。
話を聞くと、友達1人が「私達が怪談話をしている時に、部屋の入り口にぼや〜んとした白い(確か女の人だと言ってた気がするのですが)影がいた」と言うのです。
私達が隣の部屋に行こうとした時には消えてしまったらしいのですが。
特に害意は持っていなかったようです。
その事を一緒にいた友達に言うと、その子は怖い話が苦手だったらしく、泣き出してしまったとのことでした。
結局、先生にもう怪談話はするなと言われて、終わってしまいました。
私達の話に引き寄せられたのでしょうか。
あと、友達がその時、月がどうのこうのと言っていました。
あまり教えてはくれませんでしたが。
人間の感情が月に支配されているというのは、最近聞きましたが、幽霊もそうなのでしょうか。
話題は変わって今、私は熊本に住んでるのですが、そこで聞いた話を。
熊本で一番有名な場所といえば田原坂でしょうか。言わずと知れた西南の役の舞台です。
話に聞くばかりで行った事はないです。
私の通ってる大学も軽くそういう(霊に関する)事があるようです。
そうは言ってもサークルなどで深夜まで残ってる人たちも大勢いますが。
大学は古く、昔使っていた校舎が今は記念館として残っています。
そこはキャンパスの中心部にあることもあり、昼間はそうでもないですが、夜は女の子たちが怖いと言うくらいです。
木が生い茂っているので、暗くなってしまいます。
ある、大学の先生の奥さんは霊感のある人らしく、そこを歩いていると霊に会うそうです。
肩が重くなったり。それから記念館に兵士姿の人がいたそうです。
おそらく、うちの大学出身で戦死した人じゃないかという事でした。
あともう一つそういった場所があるらしいのですが、教えてもらえませんでした。
ただ霊感の強い人をそこに連れて行ったところ「ここは凄すぎる」と言ったそうです。
私は勝手にあの場所じゃないかと睨んでますが。
ただ決して大学内すべてがそういった怖い雰囲気があるわけではないので、あしからず。
最初に言ったように、みんなと遊んだり、色々な仕事をするために、夜中まで残っている人たちは結構います。
最後に。長い話になりましたが、読んでいただいてありがとうございました。
01/07[九州人@]
何かありそうですが、記念館の曰くはどのようなものなのか…。
見上げると月は色々な表情(形)を見せていますね。
やはり私がイギリスに住んでいた時の事です。
予期せぬ早さで母が亡くなり、その葬儀のため日本に一時帰国し、一週間ほどイギリスの家を空けなければならない時がありました。
帰国して最初の夜、自宅のベッドで横になったのですが、ふと人の気配を感じ目が覚めました。
薄暗い中、私のベッドの脇の床に人がいるのが見えました。
良く見るとその三年前に亡くなった父です。
床に敷いた布団の上に身を起こしています。
「あら、お父さん」私は声を出しました。
穏やかな笑顔を浮かべて何かを促すように手をこちらに突き出しています。
その手の先には、父が亡くなって以来、私の手製の祭壇に水をあげる時いつも私が使っている九谷焼の杯が握られていました。
水を催促されている!
私はすぐ起き上がり「ごめんなさぁい、お父さん。ちょっと日本に帰ってたの。
知ってるでしょ。お母さんのお葬式。だからお水上げられなかったの。ちょっと待って。すぐにもってくる」
と言いながら父の手から九谷焼の杯を取り上げ、ベッドから出ようとして、ハッと目覚めました。
再度眼が覚めたのです。
気づくと私はベッドから半身を起こしていました。
暗がりに眼を凝らしても私の脇には父の布団も父の姿も無論ありませんでした。
それでもすぐさま、私が父の祭壇から九谷焼の杯に水を満たしたのはいうまでもありません。
夢の中と目覚めた状態が同じなので現実と混同してしまったのでしょうが、それ以来、父はもしかしたら毎晩私の隣で寝ているのかも。
そして私があげるお水をきちんと心待ちにしているかもしれないと感じるようになりました。
このトシになるとあっち側に近いのか、もう怖いとは感じませんが。
03/11/16[エリー@]
これからも欠かさず、お水をあげてください。
私が仕事でロンドンのビジネスホテルに泊まった深夜のこと。
日本から来た仕事仲間を案内してホテルの地下にあるカジノに付き合い、2時頃くたびれ果ててベッドに倒れこんだ後の事です。
横になってすぐに、誰かが私の右肩に手を置いた気配を感じました。
「アレ、確か私は窓にくっついて置かれたベッドに横向きに寝ているはず…」
だから私の後ろに人の立つ場所はない筈なのです。
人がいるなら私の後ろの空いたスペースにいるか、窓の外から手を伸ばしているかどちらかなのです。
誰かドアから入ってきたのかしら、キーを閉め忘れたかな、などとめまぐるしく記憶を辿りました。
ちょっと前にバスルームから出てきたばかりで、部屋の間取りと自分の寝ている姿まではっきり意識にあるのに…妙な現象です。
そのうちその手は段々重みと暖かさを増してきました。
本当に普通の人間の手の平が置かれているのです。
絶対に誰かが私に触れています。
私はそれが誰の手か当然知りたいと思いました。
何とかその手に触れようと渾身の力で左下の手を動かそうとするのですが、いわゆる金縛りに遭っていて1mmたりとも動きません。
瞼も眼球さえも動かせません。
意識がこんなに覚醒しているのに体だけはさっさと眠りに入ってしまったようで、言う事をきいてくれません。
ただそのうち不思議と心が安らいでくるのがわかりました。
それが3年程前に亡くなった母の手以外の何者でもない事に気づいたからです。
だからこんなに暖かくて優しいのだ。そう思った途端に、母は私の苦労を見ていてくれるのだと思い至り、思わず涙が溢れてきました。
後ろから私の右肩に手を置いて「えらいわ、良く頑張ってるわね」と褒めてくれている母の心を感じました。
私は「ありがとう、来てくれてありがとう」と声にならぬ感謝を繰り返していました。
しかしどんなに振り向こうとしても母の姿を見る事は叶いませんでした。
そのうち、そうだ、向こうに逝っている人の姿を見る事は許されないのだ、と納得してしまい、もがくのを止めました。
不思議な事に力を抜いた途端に体に自由が戻ってきました。
私は飛び起きて母の姿を求めました。
私の後ろにはカラッぽのシーツが広がり、そよとも動かぬカーテンのかかった窓しかありませんでした。
そして私は実際に枕を濡らした涙をふきながら、幸福な眠りに落ちていきました。
03/11/16[エリー@]
亡くなった肉親から色々なサインを送られているという話をよく聞きますが、それと気付くのは希のようです。
その後輩が高校生の時、友人数名とその一角で肝試しをしていたところ、獣が吠えるような音が聞こえ、無風状態だったのに突然台風並みの強風が吹き始めました。
何か不吉なものを感じた全員は、その場から一目散に逃げ出したそうです。
初めて聞いた時には不思議な話だと思っただけですが、最近になって考えた事があります。
その六芒星は「何か」を封じ込めているのか、それとも「何か」が侵入するのを防ぐ為なのか。
前者だとしたら内側に何か禍々しいものが、後者ならば何か聖なる存在が鎮座しているのでしょうか?
そして田中康夫知事がこの川を含め、長野県全体のダム建設を白紙に戻したり、計画を凍結した真の理由はそこにあったのでしょうか?
03/08/16[匿名@]
各点を結ぶと…、という話はとても興味深いです。何が隠されているのでしょうか…。
幾つかある海水浴客用の駐車場の一つに、公衆トイレの脇になぜかお地蔵さんが一体、傾いて立っている所がありました。
夜にそのトイレを使う時は「そのお地蔵さんを見てはいけない」という走り屋達の暗黙のルールが。
風化してほとんど表情の無い地蔵なのに、こちらを見てニヤリと笑うのだそうです。
そしてその顔を見てしまうと、帰りに必ず交通事故にあってしまうというのです。
今の走り屋ではなく暴走族が横行していた頃、このトイレで女の子達が男に内緒で流産していたそうです。
お地蔵様はその水子の供養のために置かれたそうなのですが、あまりに地蔵の怪談が有名になり、今ではこの駐車場自体が新しくされて、お地蔵様もありません。
それでも、その新しくなったトイレでは、今でも赤ん坊の泣き声をきいたりするそうです。
03/08/05[匿名@]
各地で見かける道路の傍らにたつお地蔵さん。さまざまな曰く因縁話があるのでしょう。
まずは旭川と北見を結ぶ石北峠の話です。
ある年の6月、仕事で北見に向かった時の事です。
時間は深夜1時頃でした。
いつもは、深夜でもトラックなどで多少交通量があるのですが、その日はなぜか極端に少なく、先行車も後続車も1台もない状況でした。
それに加え、層雲峡の手前からカーラジオの入りが悪くなるので、無音で走っていました。
なんとなく嫌な感じになり、無線で仲間を探してみましたが、今夜に限って誰も出ませんでした。
峠を中ほどまで上ったところ、対向車が凄まじい勢いで下りてきました。
北海道のドライバーはけっこう飛ばす人が多いので、あまり気にしていませんでしたが、5,6分後にまた1台これもまたすごい勢いで下りてきました。
しかも今回の車はパッシングつきです。
事故かな??と思い徐行していましたが、しばらく走っても何もありません。
峠の頂上に差し掛かったとき再度無線で探してみると、知り合いのドライバーが反対側から峠を上っているという返事がありました。
何分か他愛もない話をしていると、突然驚いた様子で「人がいる」と。
なんで? 深夜1時過ぎに人が?? と思い見間違えじゃないのかと聞いたのですが「鹿じゃなかった。絶対に人だ」という事でした。
その後少しして、そのドライバーの車とスライド(すれ違い)して、さらに峠を越してしまったので、無線もつながらなくなり、また孤独な旅となりました。
石北峠を降りて直線になった時、トラックのハイビームの先で何かが動いているのが判りました。
鹿の群れかなぁ??と徐行しようと思った時、さっきの話を思い出しました。
人?人か!? だんだん近づいていくと、確かに人です。
自衛隊? きちんと整列して歩いています。
でもなんか変です。服装が迷彩ではないんです。それと監督官みたいな人もいます。
何かで見た事がある刑務所などの連行現場のようでした。
監督官のような人が肩からライフル?みたいなものを下げていたのが強く印象に残っています。
石北で見たのはそれが最初で最後でした。
03/07/25[トラックドライバー@]
その行列とは…。開拓時代まで遡れば、そのような光景が見られたのかもしれませんね。
武山の教育隊の時に、練習員が三日三晩帰ってこずに、4日目に帰ってきました。
その日の夕方に、何故か立ち入り禁止の洞窟で発見されたのです。
ちなみにフェンスがあって、どうやっても入れそうもない所です。
その後、本人達に聴きましたが、その三日間の記憶が全く無かったと言っていました。
また、その武山(たけやま)では、今でも軍靴の音が、夜な夜な聞こえてきます。
あとは、洞窟が多数ありますが、全て曰く付きです。
向こうの方(横須賀)は、知ってても教えてくれませんので、ご了承願います。
03/07/21[S@]
無くした記憶。どのようなものだったのでしょうか…。
少し離れた信者さん宅にお祓いに行った帰り道の出来事です。
曾祖父がいつものように歩いていると、どこからともなく「お願いします…お願いします…」と小さな声が聞こえてきた。
何ごとかと声のする方に行ってみると、そこでは二人の男が立ち話をしていた。
何の話をしているかと訊ねてみると、二人はすぐそこの養豚場の主と仲買人らしく、本日出荷する豚についての話をしていたのです。
「いやね。あそこの一番手前にいる牝豚なんだけど、何度種を付けても子どもを生まないから、今日出荷しようと思ってるんですよ」
曾祖父は先程の声はきっとあの牝豚だと思い、さっそくその声に話し掛けました。すると…。
「私のお腹の中には5匹の子どもがいます、せめてこの初めての子どもが生まれるまで待ってください…お願いします」と言ったそうです。
そこで、養豚場の主にこの事を話したそうです。
しかし主は「そんな事はない!俺は昨日も確認したんだ、腹も乳も小さいしいるわけがない!!」と。
そう言い張り、取り合ってくれなかったそうです。
仕方なく曾祖父は声の主に詫びをいれ引き上げたそうです。
そして翌日、神社の方にお客様が来ました。もちろん、あの二人です。
二人によると、こうです。
前日、曾祖父が帰った後すぐに豚をトラックに乗せ屠殺場に連れていきました。
そして事が済んだ後、念のため調べてみるとお腹の中からピッタリ5匹の子どもが出てきたのです。
二人は本当に申し訳ない事をしたと、お詫びと供養の為に曾祖父を捜しまわって来たとの事でした。
曾祖父は再びその養豚場におもむき、母豚と5匹の子ども達の為に供養をしました。
…以上のお話は、熱心な信者さんが他の信者さんから聞いたりしてまとめた「神典」の中から、ひとつのお話を抜粋したものです。
未販売で、たぶん俺の持ってる一冊くらいしか無いと思います。
また、機会があったら他のお話もいたします。
03/07/08[七夕王子@]
古くは鯨の親子の話がありますが、こちらは漁師が報復された悲惨な結末でした。
雑誌『ほんとにあった怖い話』ファンページ「ほん怖本舗」。情報交換しましょ。
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