ある日、A君という男の子が居残っていました。
一緒に帰っているB君もいました。
居残りが終わった時刻は18時。冬だったので、もう空は暗くなっていました。
「なぁB、にのきんの噂が本当か確かめようぜ」
その学校には、にのきんの像があったので、そう噂されるようになったのです。
「いいぜ。薪の数を数えるんだろ」「そうそう」
面白半分で少年達は、にのきんの像がある方に向かい、薪の数を数え始めました。
「20、21、22、23…。23本か、すくねーな」「てか、なんにも起こってないじゃんか」
「ま、噂は噂だったって事だな」「そうか」
と、何も起こらず、二人は帰ってしまいました。
帰り道に線路がありました。
その線路を歩いていると「あっ足が…。挟まってる」
『ガタンゴトン、ガタンゴトン』
「電車来た! B、助けてくれよぉ」
「ひっ死んじゃう! おい!B」
A君の足が挟まったままB君は学校に戻ってしまったのです。
「先生。A君の足が…俺が殺しちゃった」「B、何を言ってるんだ」
「電車が…」
そこにいた先生は急いで線路に向かいました。でも、もう遅かったのです。
B君はガタガタ震えて、にのきんの下にいました。
「たったったった」ふと校庭の方を見ると、誰かが走っています。
よく見ると、にのきん!?
「ミタナ…」
急な言葉に、ハッと隣を見ると、走っていたはずのにのきんが隣に。
手に持っていたカマでゆっくりとゆっくりと腹を切られていく。上半身と下半身が真っ二つ。
線路に行っていた先生が帰ってきて、見るとまだ生きていました。
急いで先生は救急車を呼びました。
救急車の中でも意識はありました。でも何故か、にのきんの事は喋りませんでした。
当時あったにのきんの足は取り壊され、上半身だけあります。
だから今はもう走っていないと思います。
でも、まだ鎌と薪はあります。
03/12/31[苺咲紗江@]
噂は拡がるにつれ話がふくらんでいきます。上半身だけ不自然に残っていると、色々な話が伝わるものですね。
旧武道館の女の子
ある年の夏休み前。旧武道館に女の子達が4人いました。
そのうちの3人はいじめっ子で、残りの一人はいつもいじめられていました。
「あんたの顔なんかみたくないんだよ」
「よくそんな顔で学校に来れるよね」
「そんな顔に産んだ親を憎んで自殺すれば?」
その女の子は、その日柔道部の開かずの間と呼ばれる部屋に閉じ込められてしまいました。
その部屋は、外から鍵をかける事が出来て、中に入った人は開けてもらわない限り、外に出る事が出来ませんでした。
そして夏休みに入り、いじめていた女の子達は、閉じ込めた事など忘れていました。
そして、二学期の始業式が来ました。
女の子の母親は、警察に届けを出していたのですが、何処を探してもいなかったので捜索は打ち切り。
始業式の午後、柔道部が夏休み明けの部活をしに武道館に行きました。
すると妙な異臭。何処が匂いの元かと探しているうちに、ついに開かずの間に手をかけました。
5m四方ほどの部屋には空腹と恐怖心のせいで亡くなった女の子がいました。
部屋中に血が飛び散っていました。
その子の指の爪は剥がれ髪の毛は抜け、とにかく悲惨な状況でした。
そんな悲惨な事件があったのに、いじめていた女の子達は親のワイロにより警察にも行かず、その事件はもみ消されました。
その後です。夜に武道館を見ると窓から真っ赤な血に染まった女の子の霊が立っているのです。
見間違い? それとも…。
03/12/31[苺咲紗江@]
日本各地の小学校から大学まで、似たような話が幾つか伝わっていますが、現実(いじめ)の方が霊より怖いですね。
平成9年だったろうか。新幹線で京都から東京に帰った時のこと。
私は窓際の席に座っていたが、名古屋から60歳程の初老の男性が乗ってきて、私の隣の通路際に腰をかけた。
私はよく電話をかけたりして席を立つので、その男性に「失礼ですが、私はよく席を離れますので、よろしかったら窓際におかけになりませんか」と声をかけたところ、その男性は喜んで席を移動した。
それがきっかけで、その男性と私は話しをはじめた。
男性は、運命学の研究家と言っていた。
なんでも、戦時中は、スパイ養成機関だった陸軍中野学校に学び、中国大陸に諜報員として渡って活動していたのだそうだ。
疑るわけではなかったが、念のため、私が名前を知っている、ある宗教家で、やはり陸軍中野学校出身の人物の名を挙げて「この方をご存知ですか」と聞いてみたが、知らないようであった。
もちろん、同じ学校の出身だからといって、全員がお互いの名を知っているわけでもないから、深くは詮索しなかった。
彼は「あなたは慎重な性格の方ですね」と言ったが、別段気を悪くした様子もなく、中国での体験を語ってくれた。
私の疑いを解くためもあったのかもしれない。
スパイとして中国に行っても、言葉の障害があり、へたな中国語を話せば、諜報員である事がばれるので、耳が聞こえないふりをしたのだそうだ。
しかし、そういう人間を試すために、彼が建物の中の廊下を歩いている時に、中国人が大きな重い石を、廊下にズシン!と落として、彼が音に反応するかどうか見ていたりするのだそうだ。
「そういう時はね、すぐにビクっ!として振り返ったりしたら、音が聞こえているのがばれてしまうけど、廊下の振動は感じる訳だから、ちょっと間をおいて、口を大きくバカみたいにあけてギョロ目をむいて『アアーン??』みたいにしてゆっくり後ろを見るといいんですよ」などと話してくれた。
彼は、真言密教の修行も積んだ事があるそうで、吹聴はしなかったが、相手を見ていると、何かを感じ取る事ができるようであった。
彼は「あなたも、あなたのお母さんも、老人ボケの心配はないようですね」と言ってくれた。
私は素直に喜んだが、次に彼が発した言葉には、少し引っかかるものがあった。
彼は、ちょっと心配そうな顔つきで、こう言ったのだ。
「ときに、あなたのご家族は、いかがお暮らしですか?」
私は正直に「いや、お恥ずかしい話ですが、私はこの歳でいまだ独り者でして、家族はおりません」と答えた。
内心、彼が霊感があるのなら、私が独り者だという事くらい察しがつくのではないか、と思っていた。
すると彼は「そうですか。ふうん。私には、あなたの肩越しに、あなたのご家族の姿が見えますよ」というのだ。
話の性質上、恥も省みず真実を語るのだが、私は当時すでに48歳で、結婚歴はなく、別段、特殊な趣味があったわけでも何でもないのだが、自分は一生独身で過ごすのではないか、と思っていたのだ。
その事を彼に言うと、彼は「いや、私がかつて鑑定した方々の中にも、あなたくらいの年齢で結婚された方は沢山います。
みなさん『あの時は半信半疑でしたが、おかげで今は良き伴侶を得て、幸せに暮らしています』とおっしゃっています。
あなたも、いずれそうなりますよ」と言った。
そう言ってくれているのに、逆らう必要もないし「そうですか。うれしい事です。じゃあ、期待しましょう」くらいに言って、その場はおしまいにした。
今から思うと「私の家族はどんな姿をしてますか」と聞いておけばよかったが、それもあの場では失礼な事だったろう。
別れ際に、彼は名刺を渡してくれた。その名刺には、都内のマンションの名が記してあった。
まだ彼を全面的に信用していたわけでもなかったので、別に彼のオフィスを訪ねる気もなかったが、せっかくなので、名刺だけはとっておいた。
だが、その翌年、私はある女性と偶然出会い、次の年には結婚して、遅まきながら、今では二人の娘を持つ父親の身になったのだ。
ちなみに、私の妻は再婚で、上の娘は彼女の連れ子なのだ。
私が占い師の男性と会った頃は、彼女も教師をしながら、女手ひとつで娘を育てていて、とても大変な時期だった。
占い師が「あなたのご家族」と言って、「あなたの奥様」と言わなかったのも、深読みすれば意味があったようにも思えるのだ。
今となっては確かめようもない事だが…。
偶然の出会いが結婚にまで発展したのも、彼の言葉が暗示になった面もあるだろうが、それならそれでいいのではないかと思う。
何も占い師は当てるばかりが能ではなく、人を良い運勢に導く暖かい暗示をかけてあげるのも、大事な仕事ではないかと思う。
その意味で、あの男性占い師は、すぐれた占い師と言えるかも知れない。
私は彼に感謝しているし、またいつか新幹線の車中でパッタリ会えるのを楽しみにしている。
03/09/10[梅内一男@]
この世には様々な縁(運)があると思います。楽しみにしていれば、いつの日か、ばったり会えるかもしれませんね。
最初は何か変だなと思いつつも、あまり気にしていませんでした。
私の通っていた大学の後期語学クラスで、「…どこに住んでいるの…」「…どこから来たの…」と、互いの出身地や高校の話などのお決まりの会話がありました。
偶然にも、その中に生まれも育ちも府中市の輩がいて、私が白糸台のアパートに住んでいるとわかると「俺もその近くだよ」と色々話し始めたのです。
私がそのクラスメートの家業と父親の事をたまたま知っていたことからだんだんと親密になり、お互いに素性を知るようになりました。
そんな時、そのクラスメートが「おまえには今まで黙っていたんだけど、実はおまえの部屋の上の階に住んでいる家族の娘は俺の彼女なんだ」と告白されました。
驚きであった。そうか、だからあの娘はすれ違う時に何かを言いたそうな仕草をしていたのか…合点。
ということでクラスメートに言葉を返したら、「いや、それは違う。実は…」と聞いて愕然とした。
それで、家賃が安かったのか。駅から徒歩3分、新宿からでも部屋まで35分。
前にある大家さんの畑にはレタスやらキャベツやらが一杯あり、貧乏学生には最高の物件。
こんな環境でこの家賃は格安!なので借りたけど、そうだったのかと知る事となったのです。
それは、私より前の住人たちは2,3ヶ月で出て行ったのに、私がずっと住んでいるので、アパートの中で話題になっていたという事なのです。
原因が原因なので、周りの人々も言おうか言うまいか悩んでいたのでした。
そこへ偶然にも知り合いが誕生したのですから、早速その原因が私の耳に入ってきたわけです。
で、原因というのはやはり「幽霊(亡霊)」でした。
私の住んでいる部屋(2DK)の6畳間の天井の東隅に出る「何か」がその幽霊(亡霊)なのです。
上の階の人、クラスメートの彼女とその親から聞くところによると、このような内容でした。
「部屋に以前住んでいた人がある宗教団体に入っていて、最初は熱心に活動していた。
が、ある時を境に活動を止め、宗教団体からも脱退したいという事になった。
当然、宗教団体はそれを認めず毎日部屋に来ては翻意を迫った。
そして耐え切れずに…自殺…」
その人の幽霊が出る部屋だったのです。
私は格安部屋の理由がわかれば納得して「どうしようか、でも今のところは気をつけて住めば大丈夫だろう」と、住む事にしました。
その後、そんな話をやはり大学生の義兄の弟に話しました。すると…。
「またぁ、またぁ、冗談…。今度泊めてよ(俺は仏教系の大学生だ!安心しろ)」
それで泊めてあげたのですが、朝の7時頃に青ざめた顔で私の部屋に来るなりこう言いました。
「…出た。つい、小一時間ほど前に出た…。
それで直ぐにおきようと思ったが起きれなかった。大変だと思い、うろ覚えの念仏を唱えたら消えていった」
私も、一度だけその幽霊を見ましたが、その時のシチュエーションと同じでした。
また、幽霊ではありませんが、あの当時、武蔵野台駅近くの踏み切りで二度も大事故が起きています。
幽霊の出る方角はその踏み切りの方角です。
何かの関係があったのでしょうか。
あの頃からもう、何年も経ちましたが、この文章を入力している今でも、当時を思い出すと鳥肌が立ってきます。
ところで、あのアパートはまだ建っているのでしょうか。
03/08/17[府中の友人@]
アパートが、まだ建っているか気になりますね。怪異スポットは、源を中心とした同心円上に集まりやすいようです。
霊能者の方なら、その中心に霊道が真っ直ぐ通っていると言いそうです。その方角とは鬼門…。
真夏なのにとてもヒンヤリしていて、あじさいが枯れずに咲いていて、物凄く怖かったです。
普段は霊感なんて全然ないのですけど、たまりませんでした。
03/08/14[匿名]
あじさいの色は、何色だったでしょうか。
その神社の近辺に怪奇現象が発生。
自分が働いてるスタンドにも怪奇現象が!!
店が終わって着替えようとすると、階段から昇ってくる音や、女性の人が立っているなど。
私はまだ、話しか聞いてないので有るとも無いとも言えないのですが、かなり怖いです。
03/08/06[匿名@]
今でも怪奇現象は起きているのでしょうか。
埼玉県というと、(今はない)防火水槽での女性の幽霊の有名な怪異譚がありましたね。
つい最近の事ですが、夜寝ていると「ビィーン」という感じの耳鳴りがして、身体がズーンと重くなりました。
金縛りに遭うといつもこうなるのですが、その時は右手の指の先に何か生暖かい感触がありました。
なぜか指が動かせるので、それを掴んでみると、なんとそれは汗ばんだ人間の腕だったのです。
私はベッドの3階で寝ていて、隣に人が寝られるスペースはありません。
私は恐くなって思いっきり体に力を入れて起き上がり、周りを見ましたがやはり誰もいません。
でも確かに暗闇で誰かの腕を掴んだのです。
あれは誰の腕だったのでしょう。
今でもあの生々しい感触が忘れられません。
03/08/02[Kei@]
汗ばんだ人肌の感触は何とも言えませんね。生きている人の肌の感触と何か違いはありませんでしたか?
阿木川ダム周辺は「恐い場所」として地元では有名です。
ポピュラーな話では、どこにでもありますが「タクシー幽霊」。
昭和30年代後半の事、まだ国道257号が一車線で、細くて険しい阿木川の谷間を縫うようにして在りました。
ある激しい大雨の晩、岩村町周辺の妊婦の方が、急に体の具合が悪くなり恵那市の病院へ行こうとタクシーで、土砂降りの中、今にも道へ溢れんばかりに氾濫している阿木川沿いの旧257を通過している時です。
タクシーは、運転手さんと妊婦さん、おなかの赤ちゃん共々運悪く、小沢という場所で阿木川へ転落してしまいました。
翌朝からの捜索でタクシーと運転手さんの遺体は見つかったそうですが、妊婦さんの遺体は懸命の捜索でも見つからなかったそうです。
昭和40年代に入り、旧257を通るタクシーの運転手さん達の「子供を抱いたズブ濡れの女性を乗せたが消えてしまった」「小沢を、深夜、走っていると濡れた着物を着た女のヒトが手をあげている」など、いくつもの体験談が近隣地域にも知れ渡るようになりました。
ところが、阿木川ダムが完成し新しい国道257号が使われるようになると、その話もあまり聞かなくなりました。
同じ概要の話でも「タクシー運転手の遺体は、木曽川の岸で発見された(阿木川とは直接合流しておらず、しかも15km以上も離れている)」とか「氾濫した阿木川に落ちたのは妊婦さんではなく乳児連れの女性で、乳児の遺体は、警察や消防団の捜索以前に、とある高校の教師が見つけホルマリン浸けにしてしまった」などと色々なバージョンが有りました。
でも、知人で60代のヒトの話では、阿木川の小沢から木曽川の西洞という地区まで地下水流でつながっているという無茶苦茶な話を云っておられました。
昭和30年代初期には、大水で流された小沢の農耕牛が西洞で死体で見つかったという、これも凄まじい事があったそうです。
また、ウチの祖父の話では「昔、小沢の知人宅から夜、自宅まで5km程徒歩で帰った際、おみやげで貰った赤い細かい編み目のネットに入った夏ミカン三個が、ネットは破られず夏ミカンだけが何者かに大きくカジられていた。
勿論、貰った時には、当たり前だが、カジられていなかった」との事で、その破れていないネットに入った、カジられた夏ミカンを母も見たそうです。
阿木川ダム完成後、新しい国道257号になっても色々と「話し」があります。
ダムというだけあってか、最近でも水の事故で亡くなった方が希に発見されます。
何年か前の渇水の時も、干上がった湖底から腐乱した遺体が見つかりました。
また、ダムの堤が100m強のロックフィル型なので、湖側ではなく堤から下流側へ飛び降りる自殺もありました。
恵那市側から国道257号で阿木川ダムへ向かうとロックフィルの壁を見上げながら坂を登り、花無山トンネルという延長1km弱のトンネルを抜けた直後、右側にダム堤とパーキングが在ります。
10年程前、この花無山トンネルで自動車火災事故があり死傷者が出ました。
丁度、私も車で通りかかっていて事故整理の渋滞で随分並んでいた事を覚えています。
事故後半年位すると、深夜、トンネル内を通過中にいきなりラジオが入って「……熱い……」という呻き声が聞こえたり、トンネルの手前の歩道で深夜、恵那市街を見下ろしながら立っている男の幽霊が見えるとかの話を聞きます。
私は、少なくとも、見たというヒトを四人知っています。
更に、近隣地域でマラソン大会があった際、誘導看板をダム沿いの国道257号に設置中の大会関係者の方が車に跳ねられ亡くなられた事故がありました。
その数ヶ月後から、緩いカーブのその場所で、急ブレーキをかけたタイヤの痕が頻繁につくようになりました。
何人かの知人の話だと、昼夜限らず、突然、ヒトが横切ったり飛び出してきたりするので、慌てて急ブレーキをかけるそうですが、周りには誰もいないのでゾッとすると言っていました。
ダム近くの電力会社関係の建物の二階では、深夜まで仕事をしていると階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきて扉を叩く音がするそうですが、出てみると誰もいないという事が幾度となくあるそうです。
03/07/08[チータオ@]
その辺りは浜松から高山まで、10数年前にバイクでツーリングしていた時によく通りましたが、そのような話があったのですか…。
岐阜は口裂け女発祥の地と呼ばれていますが、怪なる話を許容するというか、怪異を口承しやすい土地柄のようですね。
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