八王子鑓水の道了堂跡に行ってきました。今年(2001)2月最後の日曜日でした。
そこの事は、『地域別の七不思議』「東京」で、幾つか投稿が載っていますね。
この辺りは北野台という新興住宅地になっていて、道了堂跡はその南側に接している、大塚山公園という小山のような小高い公園の中の、明治の頃の武蔵野の面影を残した所にあります。
木で作られた昔のベンチが幾つかあって、昔の事を知らなければすごく良い場所なのですが、恐らく今では付近の住人でそこに行く人はあまりいないと思います。
木のベンチは、かなり痛んでいるようでした。
私はそこを、結構居心地が良いと思ったので、もし近くにでも住んでいれば時間がある限り、ちょくちょく「ボーっ」としに行くかもしれません。
今は特に殺された女性の怨念が残っているという感じではありませんでしたが…。
しかし、付近の人々の間では、あそこでは幽霊が出るという噂が多分まだ生きているのではないでしょうか。
京王線北野駅から西武北野台行きのバスで、その公園のすぐ側まで行けます。
小高い丘陵地の公園までは結構な段数の石段があり、その頂上に着くと、その北側に広がる「北野台」の整然と並んだ住宅が見渡せます。
そこからナゼか突然舗装されてない山道になり「えっ!」と思いますが、気にせずに40〜50m進むと、やがてその道了堂の碑とその石段の下に出ます。
そこは明治の頃からのままのような、まるで(江戸時代の)時代劇のロケ地にも向きそうな場所です。
ここの南側の山道が鑓水(やりみず)と呼ばれた、明治時代の八王子商人が、横浜へ絹を運搬するのに使ったという謂れの場所で、今でも『絹の道』という名前が残されています。
その商人たちが、旅の安全祈願と商売繁盛にと建てたのが『道了堂』です。
その堂守の女の人は、何か理由があって無理矢理住み込みでそれを任されたらしく、そこで女の子を女手一つで育て上げたそうです。
その後、彼女が貯め込んでいたお金を目当てに、ある男(商人の一人)が彼女に手をかけ、金を盗んでしまったそうです。昭和38年の出来事です。
話ではかなり酷い事件だったようです。
すでに絹の商人が没落してきた頃だったので、その後、お堂は朽ち果てるままにされていて、残っていた最後の頃(80年代後半)は、柱がやっと屋根を支えているような状態で、落ち葉がいっぱい詰まっていたそうです。
現在では敷石と礎石からなる「道了堂跡」、その手前にある子安地蔵、首が欠けて赤い帽子と前掛けのある地蔵立像、お地蔵さんか碑が立っていた台座と幾つかの石灯籠が残っているのみです。
ところで、お堂跡の近くで、土の上にちょっと古そうな瀬戸物の破片が地面に少し埋まって落ちてました。
お皿の底の部分と思いますが、青い絵柄で時代もんっぽいのです。
もしかしたら昔、割ってうち捨てられ土に埋まっていたものが、雨に土が流されて出てきたのかもしれません。
古くて価値があるモノかも、とも思いましたが、もしかして堂守の女性が使っていたものだったら、あるいは彼女の死後にそこにお供えされていたものかと思うと、後がコワいので、そのままにしてきました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…
実はその前日、16号の方の鑓水(バス停)の方から行こうとしたのですが、酷くその晩寒かったのと、そこを通るバスが何と9時台で終わってしまう、しかも一時間に1,2本しか走ってないので、その晩どうなるかわからないので断念してしまったのです。
その時、最終の橋本行きのバスを待っている間、通りがかりの若者二人、一人は徒歩で突然通りの向こうから渡ってきた20歳くらい、一人は自転車でピアスをした17くらいの男子に、それぞれ道を尋ねられるという不思議な体験をしました。
私もそこは初めてで、全く分からないのに。
結局持ってた地図から判断して、何とか教えることが出来ましたが、私はその晩その場所に、二人に道を教えてあげるために導かれたのではないかと思わざるをえませんでした。
不思議な巡り合わせをしたとしか言いようのない体験でした。
もしその時、私がそこにいなかったら、彼ら二人とも極寒の中、目的地が分からずとんでもない方向に歩き続け、彷徨う事になったでしょうから。
それから、2ヶ月ちょっと経った5月連休の3日に、道了堂へ再訪しました。
この連休中に予定していたわけではなかったのですが、行かなければならない状況になったからです。
連休中には、まだ行ったことのないスポットを、行けるだけ行こうと思っていたのですが…。
でもここ3週間ほど、また鑓水に行かなければという思いが続いていたのでした。
その日はそれまで暖かい日が続いていたので、急に冬に逆戻りしたような冷たい小雨が降り続く休日でした。
前回は、冬だったとはいえ、お天気が良くとても穏やかな日だったので、次には違ったシチュエーションで訪れてみたいとも思っていたので、それはそれで良かったのです。
一度来て勝手が分かっていたので、行き方は前回と同じ。
お堂への石段を上がり、灯籠、母子地蔵と首なし地蔵を左右に見ながら、道了堂跡の礎石へちょっと入ってみました。
それから、奥の墓地へ行き、前回は遠慮したのですが、今回はそこにあるお地蔵さんを中心に数枚写真を撮りました。
それからお堂跡に戻りかけると、ふいに「ふふふ…」と若い女性が談笑して立てるような笑い声が微かに聞こえてきました。
誰か下の道に来ているのかなと思いましたが、その割にすぐに声など聞こえなくなり、人が近くに来ているような気配もありません。
そして、お堂跡の礎石に戻って周りを歩いていたら、またさっきと同じく「ふふふ…」と若い女性の笑い声が二度ほど間を置いて聞こえてきました。
どこからともなく、といった距離感がつかめない感じで聞こえてくる笑い声で、すぐ視界に入る所から聞こえているとも感じ取れるのです。
でも結局、声の主は解らないままでした。
そこでお堂跡の側に佇んで、しばし煙草を燻らせながら、もと建っていたお堂のイメージを頭で描いていたら、そのうち見えてくるんじゃないかとか思って、じっと礎石の上の空間を見つめていたのです。
すると、入り口の石段の方から数人の人が入ってきた気配がしました。
なんと団体さんのご到着です。
すぐに誰かがフラッシュをたいてこちらの写真を撮ったので、それにはお堂跡の上にいる黒いコートを着た私の姿が写っていることでしょう。
全部で10人強くらいの団体で、中にはビデオカメラ、本格的に大きめのカメラを肩にしょって、レポーターのような身振りをした人を撮影しながら後ろ向きに入ってくる人もいます。
郷土史蹟巡りの団体さんでしょうか。それとも怪奇スポット巡りの…?
私は、その人たちと入れ違いな感じでそそくさと退散しました。
ちなみにその団体の女性の中には、さっき聞こえた声を出すような感じの人は含まれていなかったと思いました。
前回は住宅地の方に戻ってバスに乗り帰りましたが、今回まだ陽が高いし、まだ行ったことがなかった絹の道を歩いて帰ることに。
絹の道は、その日の雨のために落ち葉や枯葉のたまった、道の真ん中に水の浮いた泥道になっていましたが、端っこの堅い粘土の部分を歩いて坂を下っていきました。
後日、この絹の道もヤバイという投稿を読みましたが、その時は坂道で足を取られないように降りるのに一生懸命でしたので、その周りに防空壕らしき場所があるなどとは気がつきませんでした。
そういえば、最初に行ったとき落ちていた、あの瀬戸物のカケラが見当たりませんでした。
何処か降り積もった落ち葉に隠れて見つけられなかったのなら良いけど。
誰か訪問者が持ち帰ってたり、フリスビーにして遊んだりしたせいで、どえりゃ〜事にならなきゃ良いけど…、と少し余計な心配をしています。
ところで5月に急遽、道了堂へ行かなければならなくなったという理由は、1日に起きてしまった事件からでした。
横浜線のある駅で、終電車の後、駅のシャッターを閉めていたひとりの駅員が、二人組の男に刃物で腹部を刺されて重傷を負ったという事件は皆さんの記憶に新しい事だと思います。
その駅と道了堂は、ほぼ同じ緯度にあります。最初はこの駅から歩いていこうかとも思っていたくらいです。
ホントにこれを信じるか信じないか。他人から見ればただの思い過ごしだとか、偶然が重なっただけの事だとか、思われるかもしれません。
それは、私がそれまで良く訪れていた特定の場所に突然行くのを止めてしまう、または一度だけ行った或る地域に、その後行くことがなくなると、そこで何らかの事件・事故が起きてしまうということなのです。
私自身はそれを、それらの事件に巻き込まれないよう護身のために、ある時期から無意識のうちに行くのを止めてしまうのだということ。
または、或る予知として、そこに何らかの理由で一度訪れるが、結果そこに行く目的や理由がなくなるので二度と行かないという行動をとること。
それらは、その場所や地域で、結果なんらかの良くない事が起きてしまい、その前兆であったのだと受け止めています。
この事は、以前からこちらへ書こうと思っていたことなのです。
辺見じゅん『呪われたシルク・ロード(角川文庫)』に、絹の道について書かれています。
しかし、このような文章にまとめるのが大変難しい事なので、どうしてもお話し出来なかったのです。
今も、この件についてしか書くことが出来ません。
これは8年前くらいから自覚してきたことですが、それ以前にもそのような事があったかどうかは覚えがありません。
その「予知」であるのか分からない事例には、関西の地震、地下鉄の事件、地下鉄の事故などが含まれます。
今日はここまでにします。
01/05/17[ねこはネコ@]
重なった時期は、目的地ではなかったので、偶々だと思ったほうが気が楽になるでしょう。無理に再訪しなくても良かったのでは、と思います。
危険を回避する「勘」というものは誰でも持っているような気がします。一寸先は闇ですが…。
雑誌『ほんとにあった怖い話』ファンページ「ほん怖本舗」。情報交換しましょ。
バーチャル不思議探訪『近畿紀行』烏天狗のミイラ篇(03/9/4,10/23)「巻物の解説」追加
バーチャル不思議探訪『中国紀行』更新を怠っていたので、いつの間にかサーバから消され、他の方のHPになっていました。
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