私も、いろいろ不思議な体験をしています。
それは長い間、自分の気の迷いだろうと思ってきました。
でも、30年近くの体験を振り返ってみれば、やはり不思議としか言い表せないものが数多くあるのです。
今は事実であったろうと確信しています。
その内の幾つかを、書いてみたいと思います。
例えばこんな事がありました。
以前、弟が『稲川淳二の怖い話』なるCDを持ってきた。
店を閉めた深夜、事務所のラジカセで聞いていました。
すると、いわゆる音飛び(レコードなどで針が同じ部分を繰り返す事)、が起こりました。
私は機械に疎いので、CDプレーヤーの原理でこんな事が起きるのかどうかはわかりませんが、ともかく、怪談話の同じ部分を繰り返していたのです。
また、深夜、インターネットである怪談のサイトを見ようとしたら、何度も接続が切れてしまうのです。
ある日は、サイトを見ている最中にそばのラジカセのスピーカーが、突然「ビィーッ」と大きな音をたてました。
スイッチは切ってあったのです。コンデンサに電気が残っていたのでしょうか。
また書きます。よろしく。
02/23[ホビットのピピン。]
日常や普通の事から少し外れた出来事。怪談がらみだと特に気になりますが、不思議な体験はこれだけではないと推察します…。
祖父は、実家が貿易商だった事、3歳まで外人の家に預けられて育った事などが原因なのか、非常にハイカラな人です。
大正時代の生まれでありながら、若い頃は、バイクや車を乗り回していたそうです。
そんな祖父は、昔の日本人が持っているような信心はあまり無く、幽霊や魂などの類は信じていません。
死ねば、灰になり土にかえるだけ。墓も仏壇も不要派です。
ですが、生涯ひとつだけ不思議な事があったと言っています。
戦争に行った祖父は、食料兵であり、戦闘に出ることは無かったようです。
あまり争いを好まない祖父は、むしろ敵軍捕虜を誘って、軍の食料庫から米を盗み出したりする不良兵だったそうです。
そんな祖父の友人に、剣道の得意な人がいました。
彼は、所属部隊でその腕自慢もあってか、捕虜の首をはねる係を買って出て、すごい数の人の首をはねたそうです。
その人は多分、戦場では英雄だったでしょうが、戦後、病名は忘れましたが、身体に入った菌が帯状の腫れを形成する病気になりました。
そして、不思議なことに、首の周りにだけそのミミズ腫れ様の症状が出て亡くなったそうです。
彼本人も「たぶん人の首をはねまくった報いだ」と言ってたそうです。
祖父は、それを目の当たりにして、不思議だと思ったと、懐かしそうに語っていました。
02/23[たま]
戦争にまつわる怪異譚は、因果応報型の恐ろしい話が多いです。
そこの墓場は半端じゃないんです。
千か二千か判りませんが、山の斜面全体が墓です。
話を聞いても実感無いと思いますが、実際に見るとかなりビビリます。
聞くところによると、どうやら元々は、山の上に墓地があったそうです。
それが、大学(付属高校含む)の建設の為に、墓地を移動したのです。
確かに、新しい墓石ばかりではなく、ひどく古い墓石が沢山ありました。
私の下宿は、この墓地の裏にあり、上り口まで100mと無かったです。
この道が一番の近道だった事もあり、毎日利用していました。
4年生になると、ゼミで帰りが0時、1時になってもそこを通って帰っていました。
こんな環境なのに、私の大学には幽霊に関するウワサがありませんでした。
そして、私自身見る事も、感じる事も無いままに卒業しました。
怖くも無く、つまらない話で申し訳ありません。
でも、実際に出るかどうかは別にして、そういう所にはウワサの一つも立ちそうじゃないですか?
なのに、ウワサが無く、友人含めてそういう体験も全く無いというのが、別の意味で不思議です。
02/18[たま]
山の斜面の方が怖すぎた、ということでしょうか(^^
雑誌『ほんとにあった怖い話』ファンページ「ほん怖本舗」。情報交換しましょ。
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