先輩は、1-3では昔、生徒が一人自殺した…という事を教えてくれました。
鏡を置いていないのは、その生徒が自殺した時間「午後5時17分」になると、鏡にその子が映るかららしいのです。
あくまでこれは噂ですが、実際に見た人がいるのです。
全身が映る鏡でなくても、小さなコンパクトミラーでも映ってしまうのです。
それを聞いて以来、うちのクラスの人はもちろん、違うクラスの人も午後5時以降は、1-3には近づかなくなりました。
余談ですが、鏡に映ったその子を見た人は、ノイローゼになってしまい、学校を転校してしまいました。
07/24[朱裡]
教室のどこかに御札がありませんか?
建物は、築30年以上たつ古い木造で、縦長の格好をしていました。
一番奥に医者の控え室、真ん中が廊下で待合所につながり、そこが表玄関になっています。
診察室は、その玄関を上がってすぐのところ、控え室からは待合所をはさんで反対側に当たる位置にありました。
患者が多い時には、その診察室にこもりっきりですが、午前2時過ぎになると患者も途切れてきて、そういう時には奥の控え室に戻り、仮眠をすることができました。
その日は6月の蒸し暑い夜でした。
子供の風邪ひきが多くやってきて、なかなか途切れず、やっと待合所に誰もいなくなったのが午前3時過ぎでした。
看護婦にうながされ、待合所の奥にある控え室へ戻って横になることにしました。
すっかり寝込んでしまった私は、患者が来た事を知らせる呼び出しベルに起こされました。
私は慌てて白衣を着ると、控え室から出て診察室に向かいました。
薄暗い廊下越しに明るい待合所が見え、そこには、若い夫婦が小さい子供を抱えて、背中を向けて座っていました。
その左側にもう一人、蛍光灯に白く照らし出されたブラウスに、黒いズボンをはいたおばあちゃんらしき人が腰を少しかがめて立っていて、やがて診察室へ入っていきました。
私は、その後ろ姿を見ながら「お腹でも痛めたのかなあ」と思って廊下を進んでいきました。
そして、おばあさんのすぐあとを追うように入っていった子連れの夫婦の後から、私は診察室に入りました。
仕切りのカーテンを払って、奥にある医者の診察机と患者用の椅子を見ると、そこには子供を抱えた母親が座って、傍らにはお父さんが立っていました。
それでさっきのおばあさんは、と思って見てみると姿がない。
傍らの看護婦にどこにいるかと訊ねると、キョトンとしています。
二つあった診察用のベッドを見ても誰もいませんでした。
わけもわからずにボーっとしていると、けたたましい子供の泣き声で我に返り、思わず椅子に座ると子供の診察をはじめました。
風邪で熱を出しただけでたいしたことなく、薬をだし、子連れの夫婦は帰っていきました。
その後、どうしても腑に落ちず、看護婦に聞いてみたのです。
「子供が入っていく前に、おばあさんがいなかったかい?」
「先生、やだな、寝ぼけてらして、患者さんはあの子だけよ」
ここの診療所はもう幾度も来た事があったのに、あのような体験は初めてでした。
また今まで仮眠中に起こされては、幾度か寝ぼけ眼で診察をした事もありましたが、あれほど鮮やかに、人の後ろ姿がみえ、それが幻であったという体験をしたことはありませんでした。
いつかまた、あの若夫婦に出会ったら、ぜひおばあさんの事を伺ってみたいと思います。
07/22[秀太くんのパパ@]
是非、伺ってみてください。
そのドライバーさんは、北見方面に納める荷物を積んだ後、いつもならやや暫くだべってから、おもむろに出発するのですが、その日は何だか不機嫌で、しかも何やら慌てていました。
荷物を積み終わると、そそくさと出発してしまいました。
後日、そのドライバーさんが、今度は別海の方へ納める荷物を積んだ後、いつもの様に缶コーヒーを飲みながらだべっていたので、思い切って先日の事を話しかけてみました。
北見方面に納める荷物を積んだのは夕方4時頃。
明日の朝に着けば良いので、夜通し走って現場に深夜〜早朝頃着けば仮眠も出来るので、別に急ぐ必要は本来無いはず。
しかし、なぜ出発を急いだかというと「どうしても真夜中になる前に石北峠を越えたかったから」との事でした。
不機嫌なのも、石北峠を走りたくなかったからだそうです。
意外とトラックドライバーさんは、幽霊話を否定しない方が多い事も、ちょっと驚きでした。
荷物が多くて2台の大型トラックが来た時も、二人とも同様に幽霊話をしていました。
などなど、ほんとに長距離ドライバーさんは大変な職業ですね。
実際、バックミラーを覗くと何者かがトラックの荷台にしがみついていたり。
何十人もの人影が行列になってトラックの後ろを追いかけてきたり。
散々な目にあってるそうです。
無線で「あおり(荷台の枠)に女がしがみついててさ〜」と話したら、相手が「そんな事ぬかしたら、気付かれちまうじゃね〜か、ほっときな」などとたしなめられた事もあったそうで…。
以前、ダンプカーでに浜益から滝川へ、早朝出荷する生コンの準備の為に、あの「青山トンネル」を真夜中に何度も往復した事のあるドライバーさんに話を聞きました。
「深夜2時頃、最後の砂を積んで浜益から滝川へ向かってさ〜」
何かあったのですか?
「青山の化けトンに若者風の幽霊が、ちょろちょろしてるのは分かっていたけどさ〜」
そいつがどうかしたのですか?
「今まで見て見ぬ振りしてたけど、もう最後だし、どんな奴なのかまじまじ見てみたのさ〜、そしたら…」
何かあったのですか?
「…追っかけてきてさ〜、いや〜参った!本当に怖かったよ!しかも砂満載しているから、ダンプも思う様に走らないし」
振り切ったんですか?
「追いつかれた」
それで??
「死に物狂いで走っていたら、気がついたら吉野の町に入ってさ、いつの間にか失せてたわ」
「あーそうだ。俺の知り合いも夜中ダンプ走らせて、青山の化けトンで幽霊に追っかけられたそうだが、振り切ってやったって話していたわ」
振り切ったんですか?
「幸い空荷だったそうだ。尻(ダンプカーの後ろ)を振りながら、必死に飛ばして振り切ったってよ。
まぁ、ああ見えても、ダンプカーは空荷だと結構速いぜ。下手な乗用車なら追い付けないからなぁ。
勝ったぜ、な〜んて話してたわ。けどもうコリゴリだわな」
青山トンネルには、もう一つ別の話があるのですが、長くなったので、またの機会にします。
どうも交通量の少ない平日の深夜に、目撃談が多いようです。
人によっては、トンネルばかりでは無く「道中も出る」とか話されている方もいます。
04/22[北海道在住]
ドライバーは見た!のような話は、ある特定の場所に偏ることが多いです。
私の実家のお墓は、父の実家である山奥の村にありました。
そこは過疎地で買い物も不便、冬は豪雪地帯になるような村だったので、私達家族は比較的住み良い場所へと転居したのですが、先祖代々のお墓は、先祖代々受け継がれて来た山の中腹にそのまま残して来たのです。
この辺りはド田舎で、土地が豊富にあるため、皆、自分の地所に墓を建てていました。
毎年お盆には、家族でお墓参りに行っていたのですが、そこは先祖代々のお墓のこと、すでに墓石はボロボロ、しかも何ヶ所か崩れかかり、その隙間からアリが入って中から白い物(骨片なのでしょうね)を運び出している箇所も見受けられました。
父もそれを気に病んでいたようで、ずっと「墓石を新しくしなきゃなぁ」と思っていたそうです。
そしてやっとその機会が訪れ、現在住んでいる土地に新しい墓地が出来て分譲していたので、思い切って墓所を移す事にしたのです。
墓が出来上がり、菩提寺と相談してお墓の移転日を決め、後は当日を待つだけとなったある夜の事、母は夢を見たそうです。
紫色の立派な着物を来た祖母(母にとっては姑)が、母に微笑みながら頭を下げ、まるで太陽のようなまばゆい光の中に向かって歩いて行ったのだそうです。
墓所の移動は、父の兄弟全員が集合して行ない、大層な儀式となりました。
そしてその後、一同が集まっての宴会となったわけですが、その席で母は父の兄弟達にこの夢の話をしたのです。
「母は喘息持ちで、以前から『あんな山の中の寂しい場所にあるお墓に入るのはイヤだ』と言っていたから、きっと日当たりも良くて景色のいい場所にお墓を移してもらえたので、お礼を言いに来たんだねぇ」
父の妹は、そう言うと目頭を押さえていました。
叔父達も同じ思いだったようです。
その後、私達の家族に幸運が訪れたか…というと、何も特別な事はありませんでしたが、こうしてみんな元気で平穏に暮らせる事こそが、一番の幸せなのかも知れないな…と思っています。
03/30[ラムちゃん@]
環境の良い場所に改葬できて良かったと思います。
雑誌『ほんとにあった怖い話』ファンページ「ほん怖本舗」。情報交換しましょ。
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