夜の1時過ぎ頃だと思いますが、ふと目を開けると自分の足が見えるのです。
でも、頭は枕についているのに。
なぜベッドに乗った自分の足が見えるのか謎だったんですが、あれが幽体離脱というものだったんでしょうか。
当時は、ちょっとしたことで悩んだり将来のことで不安になったりで、精神的に不安定だったこともあり、金縛りのようなことも数回ありました。
あれは、心霊というより、精神的なことで起こるんですかねぇ。
[みーたろう@soeinet]
精神的・肉体的なものも有ります。でも、それでは説明がつかない事例も有りますよ。
それから2年して10月始めの練習の時に、私が金管列の右端でトランペットを吹いていると、椅子が無いはずなのに青いスカートと黄色いおか目靴を履いた、妙に上下が薄い女性の下半身が見えました。
ゾッとしながらも「誰だろう?」と顔を見ようとすると、ウエストの白いブラウスから上は見えないのです。
トランペットが休みの所へ来たので、横に顔を向けると誰もいません。
再びトランペットの出番が来て、ラッパを吹き始めると彼女の下半身が見えます。
でも、どうしてもバストから上は見えませんでした。
それから10日後、仲間からY子が乳ガンで死亡したという電話が入りました。
その時までは私は何も知らなかったのですが、一部の女子部員の間では3ヶ月前から彼女が死の床に付いていたのを知っていたそうです。
いま思うと麻酔薬で朦朧とした意識の中で、懐かしいオケの練習を見に来ていたのではなかったか?という気がします。
あれが生き霊…。
[上半身が恐い]
病床にいる時や死後も、楽器を弾き続けるという話が沢山ありますね。
叔母さんが部屋の蛍光灯を消した時でした。
部屋の角に置いてあるテレビの後ろに、青白く光った祖父が姿を現し「おまえが来んでどうするだぁ」と怒って言ったそうです。
叔母さんが驚いて再び蛍光灯を点けると、祖父の姿は消えてしまったそうです。
二人は、法事に行けない事を申し訳なく思ったのですが、腰の痛みが消えない限りどうしようもありませんでした。
ところが翌朝起きてみると、なんと昨日までの腰の痛みは嘘のように全く無くなり、その日の法要に行くことが出来たのでした。
おじいさんが力を貸してくれたのでしょうか?
皆さんの中でも、家族にまつわる話があったら教えてください。
[TAMA]
病は気からとも言いますが、説明のつかない治癒例は間違いなくあります。家族の絆って…。
釣りや海水浴を楽しんだりと何事もなく日が暮れ、夕食の宴会後、ひとつ胆試しでもやろう、という話になりました。(夏の定番!)
土地勘も無い私達が、灯りひとつ無い夜道を歩いていると、木立に挟まれたとてつもなく古い石段が島の山手のほうに向かって伸びているのが見つかりました。
「ここがいい」と誰ともなく決め、とりあえず石段を登ってみることにしました。
今思えば、そのとき妙に不愉快な気持ちになったのを覚えています。
石段を登り詰めると、そこは古い古い神社の境内で、奥の方に粗末というより朽ち果てたような社がありました。
酒の勢いと気心の知れた仲間同志という安心感も手伝い、大胆にも私達は社へと上がり込みました。
6畳程の板張りの奥に祭壇のある、わりと普通の造りなのですが、何かが異常なのが感じられます。
その「何か」とは、祭壇のところの空気というか雰囲気なのです。
先日の投稿でも書きましたが(7/23:GEN)、私はけっして霊感の強い方ではありません。
が…、祭壇に向かって真ん中あたりの空気が、動いているのです。
それはちょうど、真水に濃い塩水を混ぜたような、かげろうのような。
でも口に出してしまうと怯えてる、なんて思われそうで黙っていました。
ところが、私と一番仲のいい同僚(こいつがすさまじく霊感が強い)が「やばいぞ、ここ」とつぶやくのです。
その一言で一気に酔いの覚めた私達は、転げるように宿に逃げ帰りました。
部屋に戻り着いた私達は、興奮もやや治まり、あそこで何を見たかについて語り合いました。
そして同僚が見たものは…。
「祭壇のちょうど上のあたり(私が見た場所と同じ)に、飛び交っていたんだよ。いろんな、なま首が。
侍や、坊さんや、狐なんかが…」。
確かに私が見たのも、いくつもの空気の塊が飛び交っているような…。
霊感の弱い私には、霊の姿が薄まって見えたのでしょうか。
その夜は怪談話により一層、拍車がかかったことは、いうまでもありません。
[源@bekkoame]
気配だけでも感じ取ったのは、やはり…ということでしょうか。
私達の家族は、きっちりと定期的に先祖の墓参りをすることを慣例といたしておりまして、そう、あの時も、父と母と小学生の妹と4人で墓参りに出かけたのです。
観光道路沿いに面したなだらかな石の階段は、小高い丘の頂きまで通じており、その丘の反対斜面に墓標が規則正しく並んでおりました。
ただ、その頃は丘の頂きに水道がまだ通じておらず、石の階段の丁度下から見て左手の真ん中あたりにあります、通称「水道小屋」にて保管しておりますバケツに水を入れ、ひしゃくと共に水を「チャプン、チャプン」させながら、残り半分の石段を登るのが常でした。
あの頃は成長の盛りでしたので、父や母に力のあるところを見せたい、いま思えば、そんな幼い思いが私を水運び役に駆り立てておりました。
墓掃除をすませ、汲んできた水を墓石にかけ、静かに焼香をしている時、「つくつくおーし、つくつくおーし」と鳴く蝉の声が妙に耳について離れなかった事を今も覚えております。
父と母と妹は今回の掃除にいたく満足気で、そろそろ帰ろうと誰からともなく切り出したのですが、私はまだ帰りたくありませんでした。
といいますのも、私たちのご先祖の墓は、横に新しい墓を更に2塔は新設出来る程の場所がありました為に、ツツジや小さな梅の木を数本植えておりました。
その木の一本の枝に、私は小さな「蜂の巣」を発見したからです。
父や母に言えば「お墓で無用な殺生はおやめなさい」と、とがめられる事が解っておりましたので、何とかコッソリと悪戯できないものか、考えあぐねていたからです。
私は、皆が帰ろうという誘いかけを「もう少し、抜いた草を片付けるから」とか何とか上手く断り、一人お墓に残ったのです。
いま思えば「なぜ、あの時一緒に帰らなかったのだろう。そうすればあんな恐い目に遭わなくて済んだのに」と後悔しきりです。
そうです。このあと起こったのです。
信じられない事が。
私は蜂の巣を竹ぼうきで叩き落としたあと、しばらくの間、少し離れた所から蜂の動きを観察していたのです。
突然、遠くで雷が轟く音を聞き、ふと空を見上げると、すっかり雲行きが怪しくなってきているではありませんか。
どうみても早く帰らないと一雨きそうな感じです。
確か時計は4時を指しておりました。
何だか少し不安な思いに駆られた事もあって、足早に丘の頂きまで行き着き、そこから観光道路まで一直線に通じている70段ばかりの、なだらかな石段を下り始めました。
階段の両脇に平行に並んでいる杉の木立ちが、空の雲行きとあいまって、辺りをよりいっそう薄暗くしていましたが、石段の石は妙に白く浮き出ていたのです。
私は、階段の真ん中あたりにある「水道小屋」まで一気に駆け下りました。
そして、水道小屋の引き戸をガラガラと開け、バケツとひしゃくを棚に置くと、再び引き戸をガラガラと引きました。
気持ちの上でも、ようやく少しほっとしましたので、鼻歌を唄いながら石段を3,4段おりた時、足がパッタリ止まってしまいました。
後ろに誰かがいた様な気がしたからです。
いやーな気がしたのですが、恐る恐る後ろを振り向くと、ちょうど水道小屋の真ん前の石段に、女の人が座っていたのです。
確か、白系のワンピースを着ていたと思います。
髪の毛は長めで膝頭をたて、両腕で抱え込む様にして座っていたのです。
私は、おかしいと思いました。
だって、そうではありませんか。
私が、水道小屋の引き戸を閉めた時は、あの人はいなかったハズなんですから。
いたら気がつくはずです。
もっと上の石段を下りている時に。
ただ、その時はそんな事を考えている余裕は無かったのです。
ただ、その薄気味悪い人が、この世界の人ではないんだという事を確認しなければ、というそんな思いが、私をそこに踏みとどまらせたのです。
私は、その人に声をかけました。
「あのー、どうかされたんですか?」と。
返事はありませんでした。
しかたなしに石段を3段ほど上り、彼女の肩を叩こうとしたその時、ものすごいショックを受けました。
背中を氷の柱がビキビキビキッと走りました。
だって、そこには居るはずの彼女が居ないんですから。
いいですか、信じられないでしょうが、その人は、身体の幅、いわゆる厚みが全くないんです。
薄いペラペラの紙が折り曲がって階段に座っているような、そんな感じなんです。
私は、その人の後ろを見ました。
あるんです。ちゃんと後頭部が。空気の流れにそよぐ髪の毛が。
しかし、またある位置を境に横を見ると彼女の姿はペラペラの紙に変わってしまうのです。
わたしは、もう足が震えて彼女の横にペシャンと座り込んでしまいました。
でも、我が眼は、その人からそらす事はできませんでした。
だって私は、まだ、彼女の正面の「顔」を見ていなかったんですから。
私は、彼女が顔を上げない事を祈りつつ、彼女の姿を確認出来る角度まで這いながら石段を下りました。
そして、そこで今一度、彼女の姿を眼で確認したあと、恐怖の洋服を纏いながら、石段を転がり落ちていったと記憶しております。
当然の事ながら、父、母はこの話を信じてくれませんでした。
でも、母の言葉はしっかりと覚えております。
「あなたの髪の毛、ぜんぶ逆立ってるわよ」と言った言葉を。
誰か教えて下さい。
あの人は、いったい何だったのでしょうか。
[Sbt@hkisl]
いわゆる幽体だったのかも。髪が逆立つほどの恐怖、味わいたくないですねぇ。
今年の5月、GWは観光するには混雑してて子供連れではキツイだろうということで、1週遅れで水戸のスパリゾートへ一泊予定で出掛けました。
当初の予定では現地(スパリゾート)に宿をとる予定でしたが、GWをずらして行ったにも関わらず、空き無しという状況でした。
まあ、一帯は観光地なので車で移動する訳だし、ホテル&旅館は何処でもあるということで、まず宿泊場を決めに市内を走りました。
観光案内所で地図を貰い、あっちこっち見てまわりましたが、空いているけどちょっとね〜という感じのところが多くて、どうする?と旦那と相談していました。
その時、周りのホテルに比べると少し遠いかなという所に2件載っていました。
車だし少し遠くても良いかということでそちらに向かい、曲がりくねった坂道をしばし走らせたところの手前に、まだ新しくて小奇麗な和風のホテルとその奥にう〜ん何か出そうかな?という感じのする旅館がありました。
当然私達は、手前のホテルに宿をとりました。
その後休憩を少しとってスパに向かい、何時間か遊んでから食事をとりにホテルに戻り、またスパへ向かい終了時間ぎりぎりまで遊んでホテルに戻りました。
途中、一泊することだしホテルの冷蔵庫は高いからと酒屋でビール類を仕入れました。
そのホテルでは湯治場も兼ねていたので薬湯などの温泉もあり、せっかくだからと寝る前に一風呂浴び、部屋に戻ってから先ほど仕入れたビールで一杯やって、すっかり良い気分になっていました。
旦那は普段はあまり飲まないほうなので、昼間の疲れとアルコールのせいでウトウトしていました。
息子は滅多に外に泊まるということが無いせいか、「おうちに帰る」と連呼するのをなだめて、たくさん遊んだから疲れているんだろうと皆で寝ることにしました。
しかし、なかなか息子は寝付かず、こちらの方がウトウトしてしまい、1時間おきぐらいに息子の寝ぼけに起こされてしまうことが続きました。
そうこうしているうち、だんだん酔いも醒めてきて、隣の部屋の声に気がつきました。
私達のとった部屋は両側に他の部屋があったのですが、片方の部屋には他の客がいましたが、反対側には客は入って居ず角部屋でした。
子連れなんだから、そっちにしてくれればいいのにと思ったので覚えています。
でもその声は、客のいる方ではなく、反対側のその角部屋の方から聞こえてくるのです。
寝ぼけていたので内容は覚えていない。
男女2人ぐらいのような複数のような。
私は「きっと宿の従業員が泊まっているんだな」と、あまり気にはしていませんでした。
時計を見ると大体3時過ぎぐらいだったと思います。
聞き違いであっても、実際、隣の客は中年&老人の男女複数でしたので当然寝ている時間のはず。
とりあえず息子をよく寝かせないと可哀相なのでなんとか寝かし付け、そのまま私もぐっすり寝込んでしまいました。
翌朝、目が覚めてから深夜の事はすっかり忘れて、朝食をとりに一階の宴会場に行きました。
途中、その角部屋の前を通ったときドアの前を見たのですが、やはり客の入った様子はありませんでした。
宴会場は庭に面している壁が大きなガラス窓で、一望できるようになっていました。
朝食が終わって、その窓からテラスに出て庭を見ていると、昔、湯治場の宿泊施設であったであろうと思われる古い茅葺きの小屋のようなものがありました。
外の露天風呂からそこへ向かう道はついていたものの、中は崩れていて入れませんでした。
その時は何にも思いませんでしたが、あの深夜の声は従業員なら隣に宿泊客がいるのに、隣に聞こえるような声で喋るでしょうか?
それに客の泊まる部屋に寝るでしょうか?(多分、湯治場の方の宿泊室に泊まるでしょう)
息子がなかなか寝付かず、何度も何度も寝ぼけていたのは、単に昼間の疲れから興奮していただけなんでしょうか?
直後には、また行きたいな〜なんて思っていましたが、今思い返すとあんまり行きたくないかも…。
単なる聞き違いか寝ぼけと酔いだといいんですが。
[きゃ〜@mbn]
丑三つ時・湯治場・話し声。きっと…。
ひとつは、自衛隊に古くから言い伝えられている幽霊話で(伝説的なものだそうです)、軍服を着た上半身だけの幽霊(3体)が現れると、必ず事故が起きるというものです。
見た人が事故に遭うとは限らないのだそうです。
実際に彼の同期の男性も、その幽霊を見てしまい、その日のうちに別の基地で訓練機が事故を起こしたそうです。
もうひとつは、怖がりなその元パイロットである彼の体験談ですが、夜間の見回りの当番で相方と見回っていると、前方に白い人影が見え「すわ、侵入者!」ということで、上官に連絡したうえで追跡をしました。
が、いくら走っても、前方に歩いている人影に追いつけません。
そのうち曲がり角まで行き着き、人影が振り向いたので懐中電灯で照らしたところ、はっきり顔が見えたそうです。
その人物は角を曲がり、そして追跡している側は、その角の先は行き止まりで倉庫があるのがわかっていたので、当然追いつめたと思いました。
しかし、あとを追って角を曲がったら、誰もいなかったそうです。
倉庫にはしっかり鍵がかかっているので、中を調べることはできませんでしたが、自分たちが持っていない鍵を侵入者が持っているはずがありません。
彼らはキツネにつままれたような気持ちだったそうです。
追跡前に上官に報告した手前、きちんと事の顛末を述べなければなりません。
その日のうちか翌日かに改めて報告に行き、『消えてしまった』むね伝えると、上官は怒る様子もなく「ああ、またか…。あの行き止まりも以前は寮室だったんだが、自殺者が出てから『出る』って噂になって、みんなが嫌がるんで倉庫にしたんだ」と言ったそうです。
そしてアルバムを取り出して、あるページを開き「この中に、その侵入者の顔はあるか?」と聞きました。
見てみると、確かに懐中電灯で照らしたその顔があります。
彼がその人物を指すと、上官は「ああ、自殺したのはそいつだよ」と答えたそうです。
他にもありますが、今回はこの辺で…。
[薔薇@164071]
目撃は日常茶飯事なのでしょうね。
妹たちの部屋(6人で一部屋)は、ちょうど角部屋で、そこだけいつも水の腐ったような臭いがしていた。
班長などに聞くと、水の巡りが悪いからだという。
ま、そんなものかな、と思っていたが、ある夜、変な物音を、それも部屋の全員が聞いた。
その音は、足音のようだったという。
「カツン、カツン…」と夜中の何時かは忘れたが、ほぼ同じ時間に聞こえてくる。
そして、もっとも奇妙なのは、暑いからドアを開けているというのに、そのドアの近くになると少し間を空けて、今度はそのドアを越えた所から音が聞こえてくる。
一番ドアに近い人が姿を一度も見ていないというのは、やっぱり奇妙だな、と思ったそうだ。
次に、ある方向に向けた足や手などが、ひどく痛むということもあった。
角部屋だし、自衛隊の官舎だし…ということで、たぶん昔、訓練の辛さから自殺した人が関係しているのだろうという結論に達した。
妹は、それからすぐに自衛隊を辞め、実家に帰ってきたので真相は知らないが。
[すーぱーろばー@agrex]
基地内には怪異譚が結構あるようです。他にありませんか>ALL。
Aさんが、仲の良い二人の友人、BさんとCさんと一緒にいつもどおり帰っていました。
AさんとBさんが二人だけで、あることについてほんの少し話しをしていて、「ねえ、Cちゃん」と振り返ると、もうそこにはCさんの姿は無かったそうです。
その間、ほんの2,3分だったといいます。
二人は懸命に探しましたが、Cさんが見つかることはなく、家にも帰っていないということで捜索願が出されたそうです。
ちなみにCさんは、まだ見つかっていません。
それと、関係ない話ですが、妹たちのいた官舎には夜中に現れる「足音人間」などの変な幽霊が出たそうですが、その話はまた今度。
[すーぱーろばー@agrex]
理由もなく忽然と姿を消す人々。結構いるそうです。
私は○○省で働いています。
通勤の最寄り駅は地下鉄の霞ヶ関駅です。
霞ヶ関というと、大事件でかなり話題になりました。
通勤ラッシュが嫌いだった私は、いつも勤務時間よりかなり早い時間に仕事場に来ていました。
時間で言えば8時から8時30分の間くらいでしょうか。
事件が起こったのが8時10分(だったと思う)でしたから、いつも通りに出勤していれば、私も事件に巻き込まれていたと思います。
しかもその当時、私は先頭車両に必ず乗っていたのです。
その事件があった日、私はいつものように起き、支度を済ませてTVを見ていました。
出かける時間になって玄関先まで行ったのですが、ちょうどそこで足が止まり、胸騒ぎというか、イヤな感じがしたのです。
身体の調子が悪かったわけでも、もちろん立ったまま金縛りにあったわけでもありません。
ただ玄関から外に出ることに躊躇したんです。
こういう時に予定通りの行動をとると、良いことないだろうなぁと思い、出勤時間を遅らせることにしたんです。
いつもなら7時には家を出ていたんですが、その日は9時でした。
9時近くなって、何故か「もう大丈夫だな」と思ったんです。
電車に乗ってみると、霞ヶ関は通過され、何故なんだろう?と不思議に思いながら(この時はまだ何があったか知らなかった)、仕事場に行きました。
部屋に着いてから、初めてそんな事件があった事を知り、もしいつも通りに通勤していたらと青くなったことを覚えています。
[がう@202225021]
…。
『虫が知らせる:予感がする。前もってそういう感じがする。(角川国語辞典)』だそうです。
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