内容は、教室が終わって、母が会社の同僚の人とその体育館で話していると、同僚がいきなり「もう帰ろう」と言い出したそうです。
この人、凄く霊感が強くて、もうすぐ亡くなってしまう人が分かってしまうそうです。
そして、体育館を出て母の車に乗って帰ってきたそうです。
車内で、何が起きたか聞いたところ、体育館で話をしていたとき、母の後ろにスーツ姿の男の悪い霊が立っていたそうです。
急いで車に乗ると、その霊が「ウワァァー」て具合に後ろのトランクに引っ付いてきて、今も車に憑いてるみたいです。
同僚が言うには、母は憑かれ易いタイプらしく、今までもいろいろ憑かれてたらしいです。
[かわ@oc]
もう、大丈夫なのでしょうか…。
6歳の時に、しょう紅熱になって以来、考え続け、出した答えだった。
私は、死を怨み、恐れ、生の弱さに絶望していた。
誰がどう見ても嫌なくそガキで、冷めていました。
幼稚園で浮き。小学校でも浮き。海でもプールでも浮かびまくる、くそガキでした。
ええぇ、私が教師なら背後から猪木ばりの延髄蹴りを食らわしたくなる、おこちゃまでした。
そんなおこちゃまにターニングポイントが来ました。
7歳の時、大好きだった従兄弟が死んだ夢を見ました。
母方の実家に住んでいて、かぐや姫が好きで、ギターを弾いてくれた優しい年の離れた従兄弟が、バイクの事故で死んだ夢をみました。
「もう、会えない」
現実でも絶望しかけていた私は、夢の中で絶望しました。
7歳のくそガキは、泣きながら目を覚ましました。
死は、やはり無慈悲で卑怯で恐くて、勝てない。
そう思った。その時に…
『ケン坊、そんなこと、ねーっぺよ』
…という、東北訛りの優しい声が聞こえた。
そんな気がした。
翌朝、電話で件の従兄弟が死んだという知らせがあった。バイクの事故で、享年二十一歳。
その知らせを聞いた時、私は涙を流しませんでした。
不思議と悲しくなかったんです。
あの声は幻聴かもしれない。けれども、くそガキには「死は終りじゃなくて、その先が絶対にある」という確信がありました。
そのお陰で、くそガキは死に対する思いとも言える死値感は、その事以来、大きく変わることができました。
そして、くそガキはその日以来、ひねくれ小僧にレベルアップをしました。
めでたし、めでたし。
[(c)無月 龍]
体験から何かを得たわけですね。
私も例に違わず、自分の名前を入力し、結果が出てくるのをひたすら待った。
そして、私にしか分からないようなこれまでの人生のキーワードが、次々に画面に現れてきたのである。
職業、趣味、身近な固有名詞など、あまりにも現実とぴったり符合しすぎて気持ちが悪いほどだった。
しかしその時点では「嘘だろう?」とまだ信じられなかった。
はやる気持ちを抑え「これはまだ偶然の範疇だ」と自分に言い聞かせた。
そこで自分の気持ちを納得させるため「まさかこんなことが書いてあるわけがない」という言葉を打ち込んでみた。
昨年亡くなった、私の知人のフルネームである。結果がでたのは約4時間後だった。
コンパクトにまとまった図表を眺めているうちに、私は名前の側に「からまる」ようにして現出している次の語句を発見した。
「のど」「がん」その通り、私の知人は喉頭がんで亡くなったのである。
さらに彼女が亡くなった日付や病院の名前、葬式を出した寺の名前までもが「集中」して出ているのを発見した瞬間、体が震え出した。
そしてその瞬間「これは本物だ」と確信した。
そこから一気に私はこの「本」の執筆へと一歩動き出したのである。
[iwao@]
『神の暗号』ISBN4-7561-3299-5
昨晩から仕事場で仕事をしていたワタクシ。明け方に3時間ほど仮眠をとりました。
すると、いきなり久しぶりに金縛り。
足をつかんでふりまわされた…と思った直後、唐突に自分が溺れる夢を見ました。
といっても、水の中で呼吸できたし苦しくなかったんだな。
ただ、泳ぎが得意なんで、すんごい不快感。
その後、また昼前まで仕事して、いったん着替えに家に帰ろうと思ったら、やってきた警察屋さんとばったり。
「裏の池(といってもちょっと離れてるけど)に人が浮いてましてね。身元がまだ分からんのですが、心当たりはありませんか?」
ホトケさんの写真をそのまま見せるなぁぁ!
(しかも、事務職員には見せなかったらしい…ってことは見たのはワタクシだけ…差別だ)
ジモティでないワタクシにわかるはずもなく。
「…ってやっぱ…みたい」という不謹慎な感想を抱きつつ、とりあえず自宅に戻ったのでありました。
金縛り&夢は、そのホトケさんが見せたものなのでしょうか?
寝ていた時間と死亡推定時間は、そんなにズレがなかったようです。
[stella@]
その後、身元が判明して、引き取られたのでしょうか…。
今から約30年前の高校生の頃、駅から自宅へ戻る途中、突然周りが暗くなり、横に親戚のおじさんが立っていたそうです。
そのまま一緒に歩いていて何か話しはしたらしいのですが、よく覚えていず、気がついたら家に帰っていたそうです。
その後、そのおじさんが亡くなったという電話がありました。
でも不思議と怖くはなかったそうです。
[NIK@ao]
何の話をしていたのでしょう…。
その友人が以前住んでいた京都の伏見区にある家は、私たちの間では心霊スポットとして知られており、色々怪現象が起こるらしいのです。
らしい、というのは、私自身は霊感とかが全然無くて、そういう事を体験したことが無いからですが、友人の話によると…。
その家の2階で友人とその仲間がゲームをしていた時、部屋の扉のガラスの前に、誰かがいるのが見えたそうです。
その扉のガラスは、上が磨りガラス、下は普通の透明なガラスで、確かに誰かいるのだけど誰なのかは見えなかったようです。
で、友人が誰か来たな、と思って扉を開けたところ、そこには誰もいなかったのです。
そもそも、その2階の部屋へ行くには、鉄製の螺旋階段を上らなくてはならないんですが、これが凄く古くて、昇り降りするたびにギシギシと今にも壊れそうな恐ろしい音を立てるんです。
ところが、その部屋にいた誰もが、そんな音は聞いてないそうです。
他にも寝ている間に金縛りに遭って、どこからかお坊さんの持つ杖の音が聞こえてきて、あまつさえ耳に息を吹きかけられた、なんてこともあったらしいです。
[タワリーシチ]
そこは、何かの通り道!? その何かとは、いったい…。
数年前、大学生であった私がF先輩に「S湖(島根県にあります)の東岸はよく行ったが、西岸は行った事がない」と言うと…。
「自分は行った経験がある。なかなか良い眺めだ」と言われ、二人で見物に行く事になりました。
小一時間程で到着しましたが、車は入れないため徒歩で(100mぐらいか)防波堤へ向かいました。
しばらく行くとFさんが「(我々以外の)足音が聞こえないか?」と言い出したのです。
私には何も聞こえず「気のせいでは?」と答えて再び歩きました。
防波堤に辿り着いて上に立った私が見たものは…。
揃えて置かれた一足の靴でした。
誰かの悪戯かとも思うのですが、普段人気はほとんどない場所のようですし…。
何だったんでしょうね。
[LAY@]
ただの忘れ物なら、いいですけど…。
先週の日曜日、ある交差点で信号を待っていたところ、視界の脇をスイッと自転車が駆け抜けていった。
赤信号にも関わらず…。
目を疑った僕の視線の先に映ったのは、服装を淡い配色できめた若い女性の後ろ姿でした。
全体的に柔らかい印象を放つその人は、自動車が交錯する中を平気で駆け抜けていきました。
確かに衝突しているはずなのに…。
見送る視線の中、唐突に彼女の姿はぼやけていき、残らず消えてしまいました。
僕に残されたのは、小気味良い口笛の音色だけでした。
[師走@]
音色だけ残していきましたか…。
ある日、友達が通っている習字教室について行くために、教室のある近所の公民館へ行きました。
藤沢市の警察署のそばで、ちょっと人通りのない寂しい場所でした。
周りにはお墓が沢山あって、壊れた温室や空き地なんかがあって…。
その公民館の前には土蔵がある、たしか茅葺きの大きな、鬱蒼と木の茂った家が建っていて、門を入ってすぐの所に約1mほど砂利が積んでありました。
私は公民館の前の小塀に腰掛けて、友達が出て来るのを待っていました。
ふと顔をあげると、前の家の砂利山に目が行きました。
何となくジッと見ていると、黒い、豹のような大型のネコ科らしい動物が、その砂利山の陰に、ゆっくりと歩いているのが見えました。
私は驚いて、なおもジッと見つめていたのですが、いくら経ってもその動物のようなモノは出てきませんでした。
見に行くことができたかも知れませんが、恐くて見に行けませんでした。
今でも何だったのかと不思議に思います。
[まう@s]
かなり大きなモノだったわけですね。
私がまだ高校生だったのですから、今から10年ほど遡ることになります。
はす向かいの家にいつも微笑を浮かべた穏やかな御主人がいらっしゃいました。
お子さんも嫁にいかれ、夫婦二人で静かに暮らしておいででした。
いつも朝と夕方には、御夫婦のいずれかが道路の清掃を、近所を含めてなさってくださりました。
しかし、ある日、突然御主人が倒れ、近所では心配していました。
なんでも本来ならば長期入院が必要だったのですが、奥様の信仰上の問題で、自宅での治療に切り替えられながらの闘病生活でした。
それから数日、倒れたというお話から2週間ほどしたでしょうか。
学校から帰ってくると、いつものように夕方の掃除をなさっている御主人がいらっしゃるので、声をかけました。
さすがに病後だけあって、やや顔色は悪かったものの、こちらに気がつくと道の反対側から、いつもどおりの穏やかな笑顔を浮かべて、黙って挨拶をしてらっしゃいました。
私も「あぁ、病気が治ったんだ。思ったより重病じゃなかったんだなぁ」と、家に入りました。
それから翌日か翌々日か、母が喪服を出しています。
誰が亡くなったのか、と尋ねると、向かいの御主人だというのです。
「あぁ、容態が急変しちゃったんだ。せっかく一時は良くなったのに」
何気ない私の一言に母がきょとんとした顔をしています。
御主人の容態は、ずーっと、ほぼ意識が無いのに等しかったというではありませんか。
私が、夕方に会って、挨拶まで交わしたことを何度言っても信用してくれません。
そんなことは有り得ない、倒れてから寝床から起きることさえ出来なかったのだから、と…。
私の母は基本的に、この手の話を極端に嫌います。
ですから、私もあまりしつこく食い下がることなく切り上げました。ですが、何だか釈然としません。
「そういえば、何だか影が薄かったなぁ。何だかおじさんが透けて塀が見えたような気もしたっけ」
「それに一言も言葉は交わさなかった」
私は目が悪いので、そのせいかと思ったのですが、考えてみれば、その時はコンタクトをしていたのです。
ちなみに当時の矯正視力は1.5以上でした。
また、私が「こんにちは」と声をかけたのに、何も言わなかったことも考え直すと不自然でした。
でも、あの穏やかな笑顔は忘れられません。
そして、お葬式が出たのが、夕方に会ってから僅か一日二日だったことも…。
今思い返しても、不思議と怖くない話です。
あの世に旅立つ前に、自分の家の前を綺麗にしておいたのでしょうか。
次の、お話です。
中学生の頃、今思い返しても釈然としないことがありました。
時間は夜10時半ごろ、その頃の私は両親の厳しい躾で、ほぼ無理矢理早寝早起きを強制され、遅くとも、その時間には寝かせられてしまいました。
今の中学生からは考えられない健康的とも異常ともとれる生活でした。
まぁ当時は、割とそれが普通のようでしたし、いざ見たい番組があれば、寝たふりをしてこっそりと起き出して見ていました。
ちなみに、当時絶対に欠かさず「うそっぷらんど」は見ていました。
#どなたかビデオでとっておられたら貸していただけませんか?(^^;
ある晩、その日は素直に寝ようとしていたと思うのですが、雨戸を閉めて、寝床で読む本を選び、ベッドに乗ろうとした瞬間でした。
「ドン!ドン!ドン!」
雨戸を、まるでコブシで思い切り叩くような凄まじい音がしました。
何が起こったのか理解できず、唖然としていると…「ドンドンドンドンドン!!」
私の部屋は普通の1車線交互の道に面しており、車も少なからず通ります。
また、雨戸を鳴らされた窓は通りに面しておりますが、なによりも2階なのです。
ベランダはありますが、カラスのような大型の鳥は、降りることも出来ないような幅の狭いものですし、まだ夜も浅く、仮に人が屋根に登ったりしようものなら目立って仕方なかったはずです。
両親もびっくりして、私が家庭内暴力でも起こしたのか、と顔色を変えて飛び込んできました。
その時には既に音が止んでいました。
父が無茶苦茶に怒るので、私も事情を話しました。
下手に言い返すと余計に怒る父だとわかっていましたが、自分が恐怖を味わった挙句、自分の責任でないことで怒られたくなかったので、出来るだけ落ち着いて、順序だてて話したのを憶えています。
父は、いつものように言い訳をする私に思いきり腹を立てたようですが、話が進むにつれ、矛先を収め「寝ぼけたんだろ」と言うと、さっさと自分の寝室に戻って行ってしまいました。
雨戸を開けて何があるかを調べてみようかと思いましたが、眠いのと怖いのとで面倒になり、原因になった何かも既にいないだろうとも考えられたので、そのまま寝てしまいました。 ご愛顧、ありがとうございます>3年程前から
それからも1,2年に1回、こういう事が起こります。
偶然なのか、雨戸を閉めていない時には、このような事は起こりません。
何なんでしょうね? 長々と失礼しました。
[アスタロト@]
そのとき見た、御主人の姿とはいったい…。釈然としないこと、色々ありますね。
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