ある夕暮れの学校の中、一人の少年が恐怖と戦っていた。
その少年は宿題の居残りが終わった後、たまたま噂になっていたこの階段で「13階段」をやってしまったのだ。
そして今まさに恐怖が辺りを包み、まさしく絶体絶命の状態になっていた。
少年の足は震え、汗が頬をつたり、どこからともなく聞こえる呻き声に少年の心は壊れかけていた。
そんな時、ふと少年の脳裏に家族のことが浮かび上がった。
「帰りたい…」
そう思った少年は、あるかどうかもわからない14段目に足を進めた。
こうして少年は助かった。
この話の続き、それは生き残るための方法。
14段目とは、死刑囚の首に巻かれている縄が切れ、床に落ちた時に感じる奇跡の一段。
この時の囚人は生き延びることができた。(ここは実話!)
皆さんもこんな時は、奇跡の一段に賭けてみてはいかがでしょうか?
[ヘルマスター]
14段目については、初めて聞きました。
私の通っていた茨城県立u高校は歴史があり、高校野球でも優勝したことのある、曰くも多い学校でした。
よく生徒が何かしらの理由で亡くなっていました。
社会科の先生によると、霊媒師にも来てもらって危ない土地柄と太鼓判?を押されたぐらいです。
周りはお墓に囲まれて、少し高台にありました。
その通学路のひとつに、お墓の横の細い階段を上がっていく道がありました。
噂によるとこの階段は墓石を並べて作ったもので、階段を400回昇り降りすると死ぬと言われてました。
毎日通学すれば在学中に必ず400回は通りますよね。
それでよく生徒が亡くなるのかは定かではありませんが…。
あと、これは前述した社会科の先生が体験した話です。
宿直の晩に見回りで校内を歩いていました。
するとある教室から「カリカリ…」と物音がしたそうです。
教室に入り確認すると、ある生徒の机から物音が聞こえてきます。
次の日、その生徒は事故で亡くなったそうです。
その他にもよく心霊写真が撮れるという「ヒマラヤ杉」などがありましたが、残念ながら私は在学中に霊体験はしませんでした。
ちょっと残念かな…。
[じゅうもさん@m]
カリカリ…。なんとも不気味な音ですね。
当時の筑波学園都市は街灯もなく、子供が夜遅くまで遊び歩ける環境ではありません。
友人も酔っ払って帰ってきたときに、自室のドアを開けた途端「子供らしきもの」が自分の脇をヒューッと駆け抜けていったのを経験したそうです。
友人に言わせると、これはまだマシな方で、もっと恐いのは…「ドアを開けると、上から子供が逆さまにブラーンと目の前にぶら下がってくる」ことだそうです。
他にも、筑波山の道路に首無し亡霊が出没するとかいう話も聞きましたが、詳細まではわかりません。
筑波の学生寮の壁をすり抜けて走り回る「マラソン幽霊」は、賢い学生が「ゴール」と書いた紙を壁に貼ったら、その下を抜けた幽霊は二度と姿を現さなくなったというオチがありましたが、眉つばな話のようですね。
知る人ぞ知る、学園都市の団地の壁の「姉さん」と読めるヒビは、最近きれいに修復されたようです。
やっぱり、住人から「気味が悪い」というクレームがついたのでしょうか?
[KYO]
都市といっても、人気のない寂しいところなのですね。
深泥が池の話を投稿された方がいらっしゃいましたが、それを見て思い出した話を…。
当時、私は岩倉にある精華大の美術学部の学生でした。
その日は、課題の〆切が近かったため徹夜をすることになりました。
とりあえず食料を調達しようということで、女子と男子が(確か二人だったと思う)、それぞれ自分のバイクに乗って買い出しに行ったのです。
10時頃だったと思いますが、7,8年前なので違ってるかも知れません。夜中近くだったのは確かです。
暫くして彼らは「死ぬかと思った。恐かったー」といって帰ってきました。女の子は泣いていました。
話しはこうでした。
彼らは、学校から深泥が池の方に向かって走っていったそうです。
地元の方は御存じでしょうが、北山通りからだと池のふちに沿うようにして道がカーブしており、池の横を通り過ぎると上り坂になっています。
丁度それを逆向きに走るような形です。
坂をおりている途中、いや、おりた所だったか、真っ直ぐに道があったように見えたそうです。
実際にはカーブしていて、まっすぐに行くと道を外れてしまいます。横道はありません。
特に女の子は通学路だったのですぐに「おかしい」と思い、スピードを落として通ったそうですが、突っ込みそうになったそうです。しかも二人とも。
別々のバイクに乗っていたのに、口をそろえて同じ事を言う友人達に心底無事で良かったーと思ったのを覚えています。
深泥が池行きの終バスの最後部の座席には「びしょ濡れの幽霊が乗っている」という話を聞いたことがありますが、京都でも有名な霊スポットです。
夜中は近づかないほうが良い所です。そこだけ寒いから。
また、20歳を過ぎた頃からあんまりなくなりましたが、霊体験らしきものや予知夢も良く見ました。
予知夢はクラス替えのものが多く、2,3度見ました。
なかでも中学3年のクラス替えの時のものは、今でもハッキリ覚えています。
新学期の2,3日ほど前だったと思います。
中庭にあった旧校舎に貼り出してありました。
それを見ながら「あーまた6組かー。あっ、美佳が一緒やー。伊藤君は…2組か、河村は3組ねー。伸代は5組、えー離れたー」と夢の中で思っていました。
後から思えば、妙にリアルな夢でした。
新学期の日、クラス替えの発表は旧校舎に貼り出してあり、夢で見たとおりの内容でした。
その時は「またかー」といった感じでした。
実は、小学生の時も同じような夢を見ていたからです。
他のは忘れてしまいましたが、小、中学生の頃は良く見ました。
まだ話していいですか。
前述の大学にもいたようです。名前を呼ばれましたから。
学校みたいに人が集まる所は、楽しそうと思ったりして寄ってきやすいらしいです。
生きてる人が多いと怨念というか、思念みたいなものも残されるらしく、それが霊現象をひき起こしたりする事もあるようです。
霊感の強い友人が言っていました。
私は、高校は京都市立の美術高校に通っていました。
高校から専門的な学校に通うやつは変わったやつが多く、霊感の強い友人が多かったです。
霊感の強い人のそばにいると感化されやすい体質らしく、その頃が一番その手の話が多いです。
また、学校自体も以前、小学校だった校舎をそのまま使用しているので、かなり古く、怪談には事欠かない環境でした。
その中から覚えているのをいくつか…。
高校の七不思議にこんなのがありました。
年に一回、一人だけ見てしまう幽霊がいる。
それは学食から階段をスウーッと上ってくる白い手首だそうだ。
私が1年の時、同じ科の男の子が見た。2年は聞かなかったが、3年の時、同じクラスになった女の子が「2年連続で見た。去年と、今年」と言った。
すっげー怖かった。その学食はなぜか地下にあった。
夏でも異様なまでにヒヤーッとした所で、地下だからかなーと最初は思っていたけれど、霊感の強い子はあまり近づきたがらなかった。
と思ったら、そこにも怪談めいた話があった。
学校の近くにホテルがあるのですが、ある晩、そのベランダでふらふらと歩いている人がいた。
その人は翌日、なぜかうちの学校の用水池で溺れて亡くなっているのが発見されたそうです。
その用水池はもうありませんでしたが、その用水池があった所の下あたりに学食があるのです。
あと高校は鴨川沿いにあったのですが、近くの河原が処刑場だったらしく良く出るようです。
校内にもザンバラ髪の侍が徘徊していることがあったそうです。
私はみてませんが、友人は見たそうです。
えー他にもありますが、疲れたのでまた今度。
[みゅう]
「専門的な学校に通うやつは変わったやつが多い」のですか(^^)
長文、お疲れさまでした。
やはり肝試しもあり、三人一組で決められたコースを廻るというものでしたが、僕らの担任の先生が真面目な顔で「絶対、1年生の教室の前に行っちゃだめよ。何があっても絶対いっちゃだめよ」と、強い口調で言ってました。
幸いコースをはみだしたり、間違えたりする奴はいなかったのですが、僕たちが1年生の教室に続く階段の前を通った時、そこだけ異様に机やイスでバリケードが張ってありました。
いま考えると肝試しより、そっちの方が怖かったように思います。
あまり怖くありませんが、僕が唯一、幽霊というものを身近に感じた体験です。
[キジムナー@p]
先生の口調。何だったのでしょうか…。
その校舎の棟続きに螺旋階段があります。そこは夜9時を過ぎると足音や金属音がこだまするそうです。
当時の病院の対応は時代背景もあって結構ずさんだったとのことで、夜の9時に消灯のベルが鳴ると、患者の多くはその階段の地下の倉庫からよく脱走を試み、見つけ次第ひどい仕打ちをうけていたようです。
また、慌ててその階段から転げ落ちて、それが死に至ることもよくあったらしいのです。
普通の人間ならともかく、精神的に混乱し電気のつかない夜に、しかもそのような病状であれば尚更だったと思います。
そしてその地下室も実は扉の向こうは何も無く、つまり脱走し易く見せかけておいて、その部屋が行き止まりでお仕置きの部屋となったそうです。
その部屋への入り口は確かに階段の方向からすると有るだろうと推測出来るのですが、今はそこで行き止まりになっており、大きな板が壁全体を覆っているのです。
この部屋の前では、呻き声や物の割れる音がしょっちゅう聞こえるとの事です。
[百物語]
そんな時代が昔はあったのですね…。
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