私が小学1年生か2年生くらいの頃、一人で寝ていると、毎晩きまって見る幽霊らしきものがいました。
それは女性で、電気を消すとすぐに現れました。
しかも、現れた彼女をじっと見ていると、一人だったそれが段々増えていくのです。
そして、周りを彼女たちに取り囲まれてしまうと、ふっと消えてしまうのです。
それが毎晩つづきました。
まだ、寝てしまう前のことなので夢ではありません。
母も私の話をいまだに覚えているくらいです。
しかし、その幽霊は全然怖い類のものではありませんでした。
なぜかというと、母に似ていたからです。
母を少し若くしたようで、ちょっと印象の違う彼女は私にとって不思議な存在ではありましたが、怖くはなかったのです。
当時、私は身体が弱かったため、後になってそれは母の生き霊のようなものではなかったかという話になりました。
しかし、母によく似た彼女はやはり、母とは違うのです。
そして、私が中学生になった頃、母の昔話を聞いていた私は驚きました。
母には1歳にもならずに亡くなった妹がいたのです。
しかも、数多くいる兄弟の中で、いちばん母に似ていたというのです。
もちろん、赤ん坊の頃がということですが。
そのとき、私は確信しました。
あの、幼い日々に見ていた幽霊らしき人は、母の妹であったのだと。
母より少し若くて、母に似ている彼女は、きっと身体の弱い私を案じて毎晩見守っていてくれたのだと。
もちろん、何の根拠もありません。
でも、私は今でもそう信じています。
母もその話を聞いて納得していました。
今では彼女が現れることはありませんが、それはきっともう私が一人でも大丈夫だということなのでしょう。
[ユーリ@gnjtrdh]
早世した兄弟が甥や姪の所に現れる話を良く聞きます。
ほかにもこういう話があります。
私の母が個室から大部屋に移されたとき、先にその部屋に居た中年男性がこういう話をしたそうです。
「私はこの部屋にもう何年もいるんですが、この部屋にはたくさんの幽霊がいるんですよ。夜中にこの部屋の壁を見ていると、丁度地層のように幾重にも人間の顔が重なっているんです。
3年位すると古い顔は消えて、新しい顔が出てくるんです」。
[えすぷれっそ@msn]
病院はホラーゾーンかもしれませんね。
すると何か音がするのです。「きーーーきーーー」という音。
頭が痛くなりました。
そして頭の痛みが止まった瞬間、今度は仏壇にむかって拝む女性の声がきこえてくるのです。
そして、まさか!と思って仏壇を見ると亡くなったおばあちゃんが仏壇に向かって拝んでいるのです。
そして、僕の顔を見て何かしゃべってるのですが、はっきりと聞こえなかった。
それから10秒くらいしたら、おばあちゃんは消えてなくなりました。
いとこに聞くと毎晩拝む大きな声が2階から聞こえてくるとのこと。
仏壇の手入れをしたら喜ぶかも…。
[takahiro@threewebnet]
成仏した魂は下界にはいないという。何か伝言あるいは未練があるのでしょうか。
こんな夢を見てから、春の桜の咲く季節になるとなんか恐くなってしまいます。
しかし「もしかして、今年が…」という変な予感が起こったとき、身内が亡くなります。
ただの「予知」なのか、それとも…。
[小銭茶林@mei]
虫の知らせでしょうか。死んだ自分の姿を見るというのはチョット不気味ですね。
夜中にふと目が覚めたのですが、全く体を動かせません。
電灯を完全に消して寝る習慣でしたので視界は真っ暗です。
その中で私は、うんうんと懸命に体を動かそうとしていたのですが、そのうち、横向きで寝ている私の背中のちょうど両肩の肩甲骨の間を誰かがなぞっているように、はっきりと感じだしました。
私は振り向こうとしたのですが、指一本動かせません。
しばらくそういう状態が続いた後、また、いつしか眠ってしまいました。
話はこれだけです。
神や仏の存在については個人の解釈の仕方により意味が異なりますから、私自身は否定肯定論についてはあまり関心がありません。霊についても同様です。
翌朝目が覚めてから云々、という後日談は全くありません。
だから、こういうふうに投稿させて頂いているものの、あれは夢だったということで納得しております。
ただ、あれが夢だったにしても、あの時、振り向けなかった、振り向かなかったのは良かったんじゃないかと思う事が無いではありません。
[古食@bekkoame]
体が動かないのはともかく、なぞられたのは不気味ですね。
単に、お釈迦様を仏様,イエス・キリストを神と言っている人もいますからね。
翌朝も、その次の日もやってきた。
それもほぼ決まった時刻に、隣とか向かいの屋根でなく、決まって私の寝ている部屋の上に来る。
北の先山から降りてきて羽を休め、市街地のある南方面に向かうのが、遠く間延びした『カーかーかー』で判る。
カラスのねぐらは、どうやら先山らしい。
洲本市の北側に位置する、高くはないが富士山に似た姿が目を引く山がそれだ。
私の住む社宅も、この山の南裾にあり自然がそのままで静かだ。
この地に古くから、奇妙な風習がある。
人が亡くなって幾日目かに、縁者が先山の頂に集い、おむすびを谷へころがす。
経験したことは無いが、おむすびをころがしている姿を想像するだけで、はるか遠野物語の中へ迷い込んだような不思議な思いだ。
一冬を、どのように生きたのか知らない。
桜さく今朝、あのカラスがやってきて「カーー」ひと鳴きして飛び去った。
[海坊主@kings-net]
幻想的な風景が浮かんでくるような話ですね。:-)
ある日の夕方のこと、鬼ごっこか何かで男の子が一人、土管へ逃げ込みました。
その後ろから、女の子が彼を追いかけて土管へもぐりました。
他の子供達は笑って見ていました。
追いかけられた男の子が飛び出してくるだろうと思って反対側で待っていました。
しかし、最初に這い出したのは、あとから入った女の子でした。
それから男の子があわてて出てきました。
土管は狭くて、子供ひとりが四つん這いになってやっと通れる幅なのです。
何より二人とも、追い越したりすれちがったりしていませんでした。
そこにいた誰もが、わけもわからず立ちすくんでしまいました。
[ATSUKO@otsukashokai]
土管の中は超時空ミステリーゾーンとして有名ですね。
外はもう、だいぶ暗くなり、みんなが帰ろうと言って私の部屋から出たとき「おじゃましました」などと、その子たちが挨拶する声が聞こえました。
私は「あれ?」と思いました。
私の部屋は2階の離れになっており、ほかに、この離れに出入りする人間はめったにいないはずなのです。
それも、みんなが帰る丁度その時間に誰かが居合わせるなんて。
なんだか薄気味悪い気がしながらも、みんなを見送るため私も廊下に出ました。
廊下は真っ暗で、1階の玄関に続く階段の下から、かろうじてわずかな明かりが届いている程度。
ほかの友達はおそるおそるといった感じで階段を下りていました。
私は廊下の明かりをつけ、そのとき「あること」に気づいたのですが、友達を怖がらせてはいけないので何も言わず階段を下りました。
友達が玄関で靴を履いているとき、さりげなく、さっきの挨拶のことを尋ねました。
「さっき、上で何か言ってなかった?」。
友達は「廊下の先におじいさんがいたから挨拶をした」と言いました。
「どんな感じの?」と聞くと「小さいおじいさん」と言いました。
友達はそのまま挨拶をして帰っていきました。
ところが、我が家には「小さいおじいさん」などいないのです。
明治生まれながら、身長170近くあって体格も太り気味の「大きいおじいさん」ならいるのですが。
そして、友達が言っていた「廊下の先」なのですが、暗くてわからなかったのかもしれませんが、その廊下は5メートルほどで曲がっており「先」などないのです。
さらに、私が気づいた「あること」。
その廊下が曲がっているところの壁には、昔ながらのネジ巻き式の振り子時計が10個くらい掛かっているのですが、そのうちの1つが動いていたのです。
その時計は祖父が集めたもので、夕食の席でそれとなく「最近、廊下の時計のネジを巻いた?」と聞きました。
もちろん「そんなことはない」と答えました。
そこから、家族に今日あった出来事を話し、廊下に掛けてあった振り子時計は全てはずしてもらうことにしました。
自分自身は「小さいおじいさん」を見ませんでしたが、我が家(青森の実家)にまつわる薄気味悪い話です。
[rei@infoweb]
時計にまつわる老人の魂が宿っているのか。それぞれの時計の由来がわかれば、謎が解けるかもしれませんね。
Copyright (c)1997 kibitaro & web surfer
Since 09/13/1996, Last Updated 04/20/1997