その日も、いつものように自室の机に向かい勉強していました。
シャーペンをカリカリと走らせていると、不意に目の前にあるガラスに白いものが映りました。
あれっと思い、ふと顔を上げると何もない。
またノートに向かって筆を走らせました。
しばらくして、また不意に白いものが目の前を横切りました。
気のせいだろうと続けて勉強していると、今度は誰かに肩を叩かれた。
隣室にいる妹が来たのかと振り返ったが誰もいない。
今日のノルマがあったので、またノートに向かった。
それから30分くらい経ってまた肩を叩かれた。振り返ると誰もいない。
そういうことが何回か続き、さすがに彼も不気味に思ったそうです。
そこで、次に同じように肩を叩かれたら、そいつの手を捕まえて正体を見てみようと思ったそうです。
また勉強を始めた。すると、さっきと同じように自分の肩を叩く者がいた。
よしっと思い、勢いよく左肩に乗った手を捕まえた。
それは冷たい手でした。逃がすまいと思い掴んだ手に力を込めました。
すると「ずるっ、ずるるっ、ずりゅっ」と皮膚がズル剥けるような感覚が手に伝わってきた。
うわっと思ったけど勇気を振り絞り、この腕の正体見てやろうと振り返ると、後ろには何もいません。
でも手はあります。ということは…。
彼は分かったのです。奴は手だけだったんだと。
そうです。さっきガラスに映ったのはそれなんです。さっきからずっと肩に乗ってたんです。
分かった瞬間、彼は気を失ってしまったそうです。
目覚めたのは翌日で、あの皮膚がズル剥けるような感触がまだはっきりと残っていたそうです。
そして、僕の家に来て話を聞かせてくれました。
[Anubis]
剥けるというと思い出すのは、○○○なんですけどね。
話してくれた知人にとって、彼は親しい先輩だったので、不思議に思い直接訳を聞いてみた。すると…、
『あの時、俺は河に落ちたが、あれは引っ張られたからなんだ。
竿に引っ掛かるものがあったから、急いで引き揚げようとしたら、手が竿を引き込み、俺の腕を掴んだんだ』。
その漁師の自宅は高知県にあり、翌年の夏、大きな台風に見舞われた。
嵐が去った翌朝、家人が雨戸を開けると庭先に誰か倒れている人がいる。
驚いた家人が駆け寄ってみると、それは日本海で行方不明になっていた父親だった。
生首の掛け軸の話が出ていましたが、私も後日談の方を見ていました。
一人で留守番しながらだったので、恐くて半泣きになった憶えがあります(笑)
確かに、生首の目は開いていました。気持ち悪かったです…。
[ちょんちょん@web3]
警察は死に関わる職場。不思議な話は尽きませんね。
関東の某署に勤務していた若い警察官T君が、事故現場の交通整理中に酒酔い運転の車に跳ねられ殉職しました。
真面目で心優しく、正義感にあふれた警察官でした。
彼の不慮の死を聞いて、署内で涙しない者などいませんでした。
秋も終わり頃、署長の元に一通のお礼状が届きました。
1週間程前、管轄の交番のお巡りさんにとても親切にしてもらったお礼とのことでした。
ところが、手紙の文中の日時には、その交番の巡査は巡回中で無人であったことが分かりました。
当時、無人の交番は鍵を掛けず、緊急時には中の電話で本署に直接連絡が取れるようになっていました。
留守中に、偽警官が入り込んだのではと、調べることになりました。
当時、制服を買って(本庁の地下の売店で売っていました)偽警官に成りすます事件がありました。
手紙の差出人の所へ行って人相を聞き、モンタージュを作成したところ、何と、あのT君でした。
その交番は、彼が亡くなる直前に勤務した交番だったのです。
ただそれだけのお話です。合掌。
[神谷明]
死してなお…。
先日は友人Aの話でしたが、私にはもう一人見える友人Hもいます。世間には『自称』の人も結構いるようですが。
AとHは、誰にも話していない事を知っていたり、人を騙すような人ではないので私は信用しています。
先日の姉の話もAは知らないはずです。
今日はAとHがニアミスした時、見えない私が結構涼しい思いをさせられた話です。
箱根の某官庁の保養所にHを含む8人で泊りに行った時の事。
宿の部屋に入るなりHが私に向かって言うんです。
H:「ねえ、なるべく窓際にいてくれないかな〜。寝る時も」
私:いいけど、何で?
「うん、くりす(私)がいると入ってこないから」
誰が?
「知らない方がいいよ。興味持つと混ざろうとするから。覗いてるのよ」
でも、何で私なの〜。
「あんた、強いんだってば。恐い思いした事ないでしょう?」
え〜! ビックリです。
確かに同級生がコックリさんをしているところに私が近づいたら、帰ってしまったと怒られた事がありましたが、自覚症状は全くありません。今もってありません。
Hの発言に急にみんな恐がって、Hと私以外は誰も独りでトイレにさえ行かなくなり、みんな私について来いと言うのです。
何度トイレに行った事か…。
何度目かに気づいたのですが、3個所ある個室の真ん中には誰も入らないんです。
汚いわけでもないのに。変なの。
夕方、箱根に実家のあるAが宿を訪ねて来ました。
普段ワガママを言う子ではないのに、その時は何故か同行した私の友人達に会いたいと言うのです。
部屋に連れて行って紹介し、他愛もない話を15分程すると帰ると言い、それも強羅の駅まで送れと言うのです。
いつもと違うAを不思議に思いながらも、5分程の距離なので送っていきました。
その途中、
A:「あの眼鏡の子(Hのこと)」
私:うん?
「彼女すごいね。今度、頼みがあるって言っておいてくれる?(この話はまた今度)」
うん…?
「駅のトイレに寄っていい? さっきから我慢してたから」
宿で入れば良かったじゃない。こんな汚い公衆トイレじゃなくってさ。
「だって、恐くて入れなかったんだもん」
ええっ!? (^^;
夜、私はHだけに聞こえるようにコッソリと、昼間から気になっていた事を聞きました。
私:トイレの真ん中の個室ね…。
H:「ああ、ず〜っといるでしょう?」
ええっ!? (^^; 何が〜!!一体あの宿のトイレには何がいたの??
AもHも打ち合わせ無しに、AとHの両方から言われたら間違いない! 何かいたんだ!!
なのに、私しかAとHの話を聞いていないなんて。私一人が恐いじゃないか〜。(T_T)
[くりす]
後から打ち明けられるなんて…。
これは、父方の祖父が体験した話です。
祖父はなんと、特攻隊の生き残りでした。
なぜ生き残れたかというと、出撃の前日に先に特攻に行ったはずの戦友が枕元に立ち「お前はまだダメだ」と言ったそうです。
そして翌日、いざ出撃しようとした途端に零戦がなぜか動かなく出撃延期となり、そのまま終戦になったのです。
当の本人が亡くなった今となっては全てが闇の中ですが…。自分は子供のころ祖父からこの話をよく聞かされました。
ついでに、もう一つ。
この祖父が亡くなったときの火葬場での出来事です。
当然、残るものは骨だけのはずですが、この祖父の納骨の時、なぜか銃弾が10発近く焼けずに残っていました。
誰もそんな物を入れた人はいないとのことです。
先程も書きましたが、祖父は特攻隊で実戦に行かなかった人です。
更に私の父親が言うには、祖父の体には撃たれた傷痕など無かったそうです。
では、この銃弾は一体誰のものなのでしょう?
これも、祖父がいない今となっては事実は闇の中です。
[へろぷ〜]
そう、闇の中ですね。
Aさんは、3年前まで四国のある県警に勤めていましたが訳あって退官し、現在は東京に住んでいます。
X-fileではありませんが、不思議な事件が少なからずあるそうです。
防波堤で遺体が見つかったとの知らせでAさんは出動しました。
家族で釣りに来て、溺れた人を助けようとし行方不明になった、約1週間前の事故の犠牲者でした。
遺体が見つかり一安心と思いきや、これが事件になりました。
水際から防波堤の上まで5m程あり、急勾配の坂になっています。遺体は、その防波堤の上で見つかりました。
坂を見ると引きずった様な痕跡があります。通報者は勿論、手を触れたりしていません。
急遽「死体遺棄」として現場検証が行われる事になりました。しかし、この事件はそれっきり捜査が打ち切られました。
検証の結果、遺体が自分で5m上まで這い上がったとしか結論付けできなかったそうです。
這い上がる時の手形や、小さなコンクリートのブロックを乗り越えた痕がハッキリと残っていたそうです。
無論、現場写真も記録されているとのことです。
ここ数日、波も穏やかで5mを超える波も無く、天候のせいにする訳にもいかず、報告書を書く時、非常に困ったそうです。
[神谷明]
私の結婚式に大学時代からの友人Aも来てくれました。そして後日、彼女が電話を掛けてきて言うのです。
A:「ねえ、お兄さんの隣の席って誰だった?お義姉さん?」
え?
「ほら、お兄さんの御嫁さん。臨月だから上京できないって言ってたでしょ?」
うん、もちろん来なかったよ。
「親族席が遠くて顔は分らないけど、髪が肩くらいまでの、赤い服を着た色の白い女の人がお兄さんの左隣(下座)にいたのよ。
席図に名前ないし、気になったんだけど、お義姉さんが急に来られる事になったのかな〜と思って」
誰だろう?叔母さんかな〜。
「若い人だったし、披露宴の間ずっとは、お兄さんの隣に座らないでしょう?」
その時は全く気にならなかったのですが後で気がつきました。
そう。「お義姉さん」じゃなく「お姉さん」が来てくれたんじゃないかなって。
私と兄の間には、無事に生まれる事のなかった子がいると聞かされてきました。
母が水子地蔵に手を合わせている姿を私も兄もずーっと見てきました。
私は何故か、その子は兄だと思い込んでいたのですが姉だったんですね。きっと。
兄から見て妹なら兄の下座に座って当たり前ですものね。妹思いの優しい姉で嬉しいです。
[くりす@vfd]
セレモニーに現れる人影。姉妹愛ですか…。
それまでこの地区の人々は、亡くなると山の中の共同墓地に骨を埋めていたのです。
近くのお寺が納骨堂を造ったので皆で相談し、古い骨を掘り起こして新たに納骨堂へ納めようとしました。
天気の良い夏の朝、父や近所の大人たちが鍬やスコップを手に山へ向かいました。
当時私は小学生だったのですが「よくやるなあ、骨なんか掘り出して恐くないんだろうか」と一種異様な気持ちで見つめていたのを思い出します。
数時間後、茶色に変色した骨の破片や頭蓋骨を持ち帰り、大人たちは一休みしていました。
すると突然「大事なご先祖様の骨を掘り返すなんぞ…悪い事が起こらねばいいがのう…」そう言い出したのはこの界隈では一番の年長者、英のおばあちゃんでした。
「月に人が行くこの時代に何の祟りがあろうかな、馬鹿馬鹿しい」周りの人達はそう言って笑い、誰も気にもとめませんでした。
ところが、です。
突如「ザザーッ!ザザザザ、ガラガラッ、バラバラーッ!」と何とも形容し難い、凄まじい物音が外で湧き起こったのです。
慌てて出てみると何と! 空には真っ黒な雲が湧きあがり、ビー玉位の大きさの雹(ひょう)が凄い勢いで降っていたのです。
それは30分近く降り続いたかと思うと、始まった時と同じく突然ピタッと終わりました。
後には割れた窓ガラス、穴ぼこだらけにされた車のボンネットに農作物、そして地面一面に転がっている氷の塊が残されていたのです。
まさに「祟りじゃ〜」の世界。勿論その後すぐに大人達が掘り起こした骨と共に御祓いをした事はいうまでもありません。
これは当時のローカルニュースでも放送されたのですが、「局地的な雹が降りました」でチョン、この地区だけ起きた珍しい現象で終わってしまったのです。
その後は御祓いが効いたのか、怪しげな現象は起きなかったのですが、いまだに田舎では当時の事は皆さんあまり言いたがらないようです。
今となっては、あれは勝手に掘り起こされて安眠を妨げられたご先祖の皆様方が怒って起こした天罰なのか、偶然起きた異常気象だったのかは何ともいえません。
私としてはあの凄まじい天の怒りのような雷の音と異様に硬くて手の平にのせても中々溶けなかったクリスタルのような氷の冷たさ。
それらを思い出す度に『世の中には触ってはいけないモノがあるんだなぁ』と思ってしまうのです。
以上、ちょっと毛色は変わりますが私の体験した「水モノ」系のお話しです。
長くなって済みません。他にも色々書き込みたいものはあるんですが、何せ双子の母親なものでして…。
また時間のある時にでも寄らしてもらいます。それでは失礼します。
[ツインズ・ママ@infoweb]
不思議な符合。怪我人が出なくてなによりでしたね。投稿感謝。
母の父親が亡くなり、田舎へ帰りました。
親戚一同集っているので、寝るところもいっぱいで、私はいとこ達と狭い部屋で寝ました。
朝起きると、母が何やら大騒ぎをしていたので訳を聞くと。
昨日は寝る場所がなく、何と!こともあろうに、おじいちゃんの亡骸の横に布団をひいて寝たのです。
想像のとおり夜は金縛りに悩まされたとの事。
母曰く「まさか実の娘に金縛りなんてないだろう」と思っていたそうです。それが金縛り。
どうやって解いたのか?と聞くと「このーじじー!!」と心で怒りを表し、蹴っ飛ばしたとか。
母はいわゆる肝っ玉母さんなので、やりかねないと思いました。
「夢枕に立つならまだしも…」その後もブツブツ言ってましたが、さすがに御骨にするときは号泣してました。
いとこ達も、金縛りと聞いて怖がってはいましたが、「おばちゃん蹴っ飛ばしたのよ!!」という武勇伝?を聞いて笑ってました。
以上。うちのママのお話しでした。
[ともりん@hjxbzbnb]
どんなときでも親子なんですよ。
1日目
他に三人いた。クラブハウスの一番隅の、暗いジメジメした一室に私達は押し込められた。
最初の日は激しい嵐の日でコースに出ることもできず、皆で恐い話をしていた。
2日目
年長者のKが昨日、耳元で男の囁き声がして眠れなかったという。
彼は二段ベットの上段で寝ており、そういう作り話で私達を怖がらせようとしているだけだと思い、とりあわなかった。
その日は快晴で、初めてゴルフのコースにでた。
夜、また恐い話をしていたら、突然蛍光燈が消えた。調べると点火灯がゆるんでいた。
その建物は22時を過ぎると誰もいなくなる。
一人でトイレに行ったKが自分を怖がらせるために、誰かが忍び込んで音を出していると怒ったが、私達は誰もそこに行ってなかった。
3日目
Kは相変わらず囁き声に悩まされていた。
快晴だったが、夕刻雷が鳴り出した。皿洗いのNを除いて皆コースに出た。
誰もいないはずのトイレに誰かの気配があると皆いっているので、恥ずかしいことだが、深夜のトイレへ三人で行った。
私が一番先にトイレのドアを開けると、黒い服を着た初老の男性が白い廊下に座り込んでいたが、すぐに消えた。
部屋に戻り震えていたら、Nが皿洗いから戻ってきた。
そして、2年前の今日、従業員が雷に打たれて亡くなり、この部屋に運び込まれたという話しを私達にした。
4日目
仕事を終え、Hと二段ベットの上で話していたら、壁の色がある所から新しくなっていて、無数の手跡が浮き出ているのに気がついた。
天井全体も手跡だらけで、驚いたことに女や子供の手跡もついていた。
この頃から普通に寝ることが難しくなってきた。
5日目
もう帰ろうかと話し合ってみたが、笑い者になるだけなので、もう少し留まることになった。
この日は13日(盆)で、また何か起こるだろうということで朝まで起きていたが、何も起きなかった。
25日目(帰りの日)深夜2時
二段ベットの上で寝ていたNが急に立ち上がり、笑いながら走り出した。
気を取り直した私達は彼を追いかけたが、廊下の端で縮こまっていて「ここからだして。ここからだして」と小声で言い続けていた。
彼は名古屋に戻るとそのまま精神病院へ入院し、今も個室の壁を引っ掻くので、拘束具をつけたままである。
[ミサコ@cac2ea2be]
彼は一体、何を感じたのでしょうか。
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