バンドの練習のため行きつけのスタジオへ向かったところ、ボーカルだけ来ていなかったそうです。
ボーカルの彼は遅刻するような癖もなく、「何かあったのかな?」とメンバーで話していたそうですが、とりあえず彼を抜いたメンバーで練習を始めたのです。
残りのメンバーで一曲合わせようということになり、演奏開始した途端、いきなりマイクスタンドが上下に動いたので友人たちは驚きと恐怖でパニックになり、スタジオから飛び出したそうです。
すると、タイミングを合わせるかのように受付の電話が鳴り、ボーカルの人が車の事故で亡くなったという知らせが入ってきたそうです。
友人は、「あの時スタジオに来ていたんだ」と信じています。
[ちょし@bm2ft]
仲間の元へ現れるという話をよく聞きます。友情を大切にしたいですね。
3階外科病棟のICUでは、当直看護婦が詰所からICUを監視する窓越しに、子供を抱いた母親の幽霊を幾度か目撃しております。
また仮眠中、誰もいないはずの詰所に人の気配があったりするそうです。
婦人科、小児科病棟は4階で、母子の死亡例は全く無かったのに、何故でしょうねぇ…。
5階の老人病棟の特別室では、入院患者が早朝に目を覚ますと、ソファーに小学生ぐらいの男の子の姿があるらしい。
眠い目をこすりながらよく見ると、それはスーっと煙のように消えていくそうです。
ここもやはり老人病棟ということで子供の死亡例はありません。
私は廃院後、所有者に引き渡すまでの間、空っぽの病院に一人で当直をしました。
流石に夜間は3階以上の病棟を巡回する勇気は無かったですが、2階の廊下から変な金属音が一晩中聞こえていた以外、心霊的な現象は無かったです。
又病院跡ということで面白おかしく脚色されたデマか真実かは定かではありませんが。
そこの女子社員がこの病院跡の本社2階?で残業を終え、退勤しようとエレベーターに一人で乗りこみ1Fのボタンを押したところ、エレベーターは上階に向かって動き出したそうです。
止まったのは誰もいないはずの7階。
扉が開き、その女子社員は失神したらしい…。何を見たんでしょうね?
最後にどなたか病院の霊安室の鍵について質問されていましたね。
私が勤務しておりました病院では線香やロウソクを焚く関係上、使用時(御遺体が入っている時)は常に解放、未使用時は施錠することになっていました。
またお亡くなりになられてから、お送り先のある方は直ぐに寝台車を手配しますので霊安室での滞在時間はさほど長くないです。
逆に行路の方やお送り先が手配出来ない場合の深夜だと、翌朝まで滞在して頂いた場合もありました。
もちろん鍵は開けっ放し。
余談ですがこの病院の霊安室は外部(裏口)からその扉が見える位置にありまして、現在は改造され倉庫として使用されているようです。
[わいず@3]
例が無いのに現れる霊?。幻を見ていたのでしょうか?
駅の裏に建つ海岸を望む病院での話です。
そこで働いている看護婦の方達から直接聞いた話です。
「この辺は、馬を飼っている所があるんですね。夜、馬の鳴き声が聞こえたもので…」
看護婦の方は、多かれ少なかれ霊体験があるらしいので、あの事だと察しがついたらしい。
見える人がいうには、その部屋の前にあるマットレスに霊が相当集まっているとの事。
なぜなら、その部屋の前には、無縁仏を供養する塔がたっているのだから。
しかし、その土地を病院側が売ってしまって、今はマンションが建っている。(鎌倉版ポルターガイストになるか?)
すいていた車内で、少し奇妙な顔立ちのおじさんが、私達の正面に座っていました。
その人が、私の隣に座っていた友人ばかり、異常なぐらいひたすら見つめているのです。
気味が悪かったのですが私達は無難にやり過ごし、目的地で降りました。
「変な人やったねえ」
私も友人も同じ感想を言い合いました。
「あんたばっかり見詰めて」
友人は驚きました。
「なにゆうてんの。そっちばっかり見とったで」
「変やな。あんたの方、ずっと見てたで」
そんなこともあるんだろうな、とその時は思ったのですが、今だに不思議です。
[ルーク猫@]
彼は、いったい何処を見ていたのでしょう。
CDを製作するときにいつも使っているレコーディングスタジオがあります。
そのスタジオは地下にあり、まだ出来て5,6年と比較的新しく、僕は出来た時からそこに出入りしています。
僕達のバンドはレコーディングともなれば、大変時間がかかり、毎日夜中まで作業をするのは当たり前。
ともすれば次の日の昼過ぎまでやっているといった感じなのです。
実は、そこで変わった事が起こるのです。
まず最初におきた奇妙な事は、まだスタジオが出来て間も無い頃。
その日はギターパートの録音があるので、いつもより早めに入って弦でも張り替えておこうと、エンジニアと打ち合わせていた入り時間より30分程前にスタジオに着きました。
既に誰かが来ているのか、扉は開いていました。
中に入ってコンソール・ルームで弦を張り替えていると、いつの間にか小学校低学年位の男の子が「タタタ〜ッ」と走って奥にあるブースへ入っていきました。
子供は、黒い半ズボンに白いハイソックス、カッターシャツを着ていました。
「一体誰の子供だろう?」と思いましたが、子供が苦手な僕は無視していました。
しかし、子供が入って行ったそのブースには前日、アンプの前にマイクをセッティングしていたので「悪戯されると厄介だな〜」と思っていました。
しばらくすると階段を降りてくる音がして、エンジニアが「スタジオの鍵を開けてから、先に昼メシを食って来ました」と言いながら現れました。
僕は彼と打ち合わせをしながら弦を巻いていたのですが、いつまでたってもその子供がブースから出て来ないので、気になり見に行くと中には誰もいませんでした。
僕が弦を張り替えていた場所は、一つしかないスタジオの出入り口の扉の横で、その子供がスタジオから出ていくためには僕とすれ違わなければならないはずです。
一体あれは何だったのかと、エンジニアに事細かに子供の特徴などを話したりしましたが、その時はレコーディングの事で頭が一杯ですぐに忘れてしまいました。
それから2年程してまたそのスタジオを使った時に、同じエンジニアが「そういえば、あのときの子供ですが…」と話し始めました。
何でも、最近そのスタジオを使った女性がやけに霊感が強いらしく、同じ子供を目撃したらしいのです。
彼女が言う子供の特徴も僕が言ったのと全く同じだったらしく、そのスタジオのすぐ前を走っている大きな道路で交通事故で亡くなった子供の霊だと言っていたらしいのです。
今年の夏もそこで新譜のレコーディングをしたのですが、また不思議な事がおきました。
その日は、バンドのメンバーは僕も含めて早く切り上げて帰り、エンジニアが夜中一人でチャンネルの整理をしていたそうです。
テープをプレイバックしていると女の声が聞こえてきたのです。
それは「あぁ〜うぅ〜」という感じで、音程もデタラメだったそうです。
でもヴォーカルパートは(確かにバンドのヴォーカルは女性なのですが)まだ入れていないテイクだったので、最初はドラムの人が歌いながら叩いているのかと思ったそうです。
でも、どう聞いても女の声なので、一体どのチャンネルにその声が録音されているのか一チャンネルずつ確認するのですが何処にも入っていない。
全体を鳴らすとまた聞こえて来る。
しかも声の聞こえる場所が毎回変わるのです。
よくよく聞いてみると、その声はモニタースピーカーから聞こえるのではなく、彼の背後から聞こえてきていたそうです。
結構肝の座った人なのですが、さすがに怖くてその夜はそれで仕事を中断したらしいです。
ちなみに完成したCDには、問題の声は入ってません。
今、無事に国内版とフランス版がリリースされています。
僕には霊感は無いみたいです。金縛りにも一度も会いませんし…。
でも、何かそういう不思議な出来事には数多く出くわしています。
また 何か思い出しましたらメールします!
ではでは!!
[たいちょ@]
ある意味では、夜中一人で居残るのも大変な事ですね。
そんなある日、雑談しながら山道を下校していると、前から人が歩いて来たそうです。
すれ違い、行き過ぎるまでは皆何も気にもしていなかったのですが、皆ふと我に返ったように不思議な事に気が付いたそうです。
「ねぇ、今すれ違った人の顔。変じゃなかった?」
「やっぱりそう思った?」
そんな会話が交わされ、今まで歩いて来た道を振り返ってその人の存在を確認したそうですが、既にどこかへ消えていたそうです。
ちなみにその道には脇道など無く、隠れる所も無かったのです。
妻達が揃って目撃したのは「変なおじさん」でも無く、なんと「のっぺらぼう」だったんです。
白昼しかも集団の前にそのようなものが出没するなんて信じがたい話ではありますが、ホントに見たんだそうです。
ちなみに妻は霊感が強いわけでも無く、いたって普通です。
[おいら@3]
狸さんが化けたんですかね(^^; 山道(坂道)では、そんな話が多いです。
私は、一人暮しだ。
他に操作する人間はいないはず!?
機種は:東○ BSアリーナA-BX3
[K2@]
13日の金曜日ってことですね。実は此のサイトの開設日もそうなんですよ。
入院患者さんが亡くなってしまう部屋とかベットとかは、どこの病院でも結構あるそうです。
その人が勤めている病院にも「死んじゃうベット」があったそうです。
ある日、そのベットの患者さんからナースコールがありました。
その人が行ってみると、患者さんに「今さっき、看護婦さんが来て『あなたは○日後(何日後かは忘れてしまった)に死にますよ』と言った」と言われたそうです。
そんなこと、看護婦が言うはずないので、どんな看護婦だったか聞くと、その病棟では見たことない人だったそうです。
で、○日後に、その患者さんは亡くなったそうです。
自分が入院してて、見知らぬ看護婦が来て「あなたは○日後に死にますよ」って言われたら…と思ったら、ぞっとしました。
[ちゃるぶう@]
うーん。誰かの悪戯なら度が過ぎますね。
結婚記念日とイベントを兼ねて毎年秋に国内旅行をしている私達は「今年は念願の東北へ行こう」ということになりました。
そして、秋の紅葉を楽しみに車を走らせる旅行の計画を立てました。
その時に訪れた場所の話です。
その場所は、青森県の日本海側に位置する「日本キャニオン」という所です。
その豪華な?名前の割にガイドブックに掲載されていない場所なのですが、地図を見ていた時にその名前に惹かれて立ち寄ることに決めました。
この旅行に訪れる第一号の場所です。
早朝に大阪を出発。福井県の方へ向かい日本海側を北へひた走り、途中秋田県で仮眠をとり、そこに到着したのは翌日の早朝でした。
その日はあいにくの雨で「出だしから最悪やなぁ」と言いながら、車を国道から折れ薄暗い山道に進めました。
主人は「こんな天気やったらつまらんのとちゃうか」と何度も私を説得しようとしますが、「日本キャニオンっていう名前やで。やっぱり見とかなあかんやろ」と主人を逆に説得してようやく駐車場に着きました。
そこからは、展望台まで続く細い山道があり、徒歩で15分程の距離だったでしょうか。
雨が降っていたので私達は雨合羽を着、私は期待に満ちた「そこ」を撮るんだとカメラを首にかけ歩いていくことにしました。
写真をやたら撮るのが好きな私は、まず遊歩道の手前でパチリ。
「早くしろ」とせかされて、ゆっくりと山道を登って行きました。
道は、朝とはいっても天気が悪いのと木が生い茂っているのと道が狭いのとで、薄暗く足場も悪く、ちょっと薄気味悪かったです。
そのせいかどうか、どうも後ろが気になります。
主人が先頭なので、私の後ろには誰もいないはず。なのにどうも誰かがいるような気がして仕方がなかったのです。
何度も何度も振り返りながらようやく展望台にたどり着いた私は、景観をバックに主人をパチリ。主人抜きでパチリ。
「ふー」っと休憩する気にもなれず、妙に無口な主人に「早く次行こか」と来た道を戻ることにしました。
なんか気持ちが悪かったのです。
駐車場に戻り、雨合羽を脱ぐとき、やっぱりどうも遊歩道の方から誰かがこちらを見ているような気がして仕方ありません。
私自身霊感というものは無いと思うのですが、気配だけは少しは感じるので気になるのもひとしおです。
結局その後、その旅行は感動と興奮に包まれた良き東北一周旅行となったのですが…。
大阪に戻ってきて現像した写真を見た時、私は「あれっ?」と思いました。
そこで撮った写真だけ、妙な感じになっているのです。
遊歩道の手前で撮った写真は、ブレたように何が何か分からない写真になっており、景観をバックに撮った写真も霧がかかったようになっていました。
よく分からないですが、やっぱりあの場所は何かがいる!?
勇気のある方、夜中に「そこ」に行ってみては?
[ぽにさん@i]
白い断崖が奇麗で、とてもいい景色でしたよ。
祖父が倒れたのは、自宅でひとりトランプをしていたときのことでした。
以後数年間は入退院を繰り返し、最後には痴呆症状を呈して、ほとんど何もわからなくなって、この世を去っていきました。
祖父が死んで5年後の一昨年、僕は大学を卒業し、ある出版社に就職することになりました。
無事入社式もすみ、研修に追われていた4月のある日のことです。
不思議な夢をみたのです。
僕は背広に身を包んで、空港のロビーような広くてとても明るい、人の大勢いる所を歩いていました。
横には、40代くらいの壮年の男性が一緒でした。
男性の顔は、光が強くてほとんど見えませんでしたが、とても僕のことを気遣ってくれていることが、湯のように伝わってきました。
そして、その人物が、死んだ祖父であることも何故かわかっていました。
祖父と歩きながら、どんな話をしていたのか、よく覚えていないのです。
しかし「とうとう社会人になったんだな」といった言葉をかけてきてくれていたような気がします。
おそらく人生において、最も充実していた時期だったであろう40代の祖父は、リタイアしていて。
いつも一人でじっと座っていた祖父の姿しか知らない僕には、まるで別人のように生気に満ちあふれて、まさに光り輝いて見えました。
夢はそれで終わりでした。
しかし、目が覚めてからも、とても尊いものを受け渡されたような気がして、しばらく胸がドキドキしていたのを覚えています。
それ以来、祖父の夢はみていません。
[とらぐす@dti]
夢から何かを得ることができ、よかったですね。
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