小学生最後の夏。
青森県の下北地方にある学校と、親善試合をすることになりました。
バスに揺られること数時間。
目的地に着くとすぐに試合を開始して、終わり次第帰るという強行軍だったらしいのですが、試合の方が思ったよりも早く終わった為、急遽、恐山見学をすることになったそうです。
一時間くらい見学をして、最後に記念撮影をすることになりました。
メンバー全員の写真の他に、6年生だけで別に写真を撮ることになり、写真の出来次第では卒業写真用にしようというコトになったそうです。
そして数週間後。その試合の写真が出来上がってきました。
みんなワイワイ言いながら写真を見ていたそうなんですが、最後の一枚を見た瞬間、沈黙が訪れました。
その一枚とは、6年生だけで写した写真でした。
中央に並んだメンバーの手前側に、白い影が写り込んでいたのです。
しかもよく見ると、それは白い着物を着た男の人が歩いているように見え…。
結局、卒業写真用の物は別に撮り直すことになったそうです。
[純生こーへー@]
恐山。昔の写真と比べると、今ではすっかり整備されてしまいましたね…。
などなど、学校にはタブーがいっぱいでした。
皆さんも是非お気をつけて。
[rinrin@o]
赤い鯉の話は、初めて聞きました。
今から15年近く前のことですが、私は都内にある某区立小学校に通っていました。
当時で創立50数年というまずまずの歴史の学校でした。
校舎はL字型で並んでプールがあり(20mしかない!なぜ?)、そことは垂直に体育館があり、つまり全体でコの字型。
私が聞いた噂は体育館にまつわるものでした。
まず体育館には舞台があり、舞台向かって左の壁に丸い時計がありました。
その時計の中に人形が入っているというのです。
なぜか…。体育館には舞台と反対側に入り口があり、その横に左は倉庫、右にはトイレがありました。
そこのトイレが開かず(使わず)のトイレだったのです。話は二つあります。
まず一つは、なんでも、ある日、一人の女子生徒がこのトイレに入ったそうです。
で、用を足し、出ようとしたらドアが開かない。
彼女は「助けて、助けて、誰か出してー」と叫んだが、呼べど叫べど助けは来ない。
そうして叫んでいるうちに彼女の体が段々と小さくなっていった。で、ついには人形になってしまった。
そして、その人形が何故か時計の裏に…、という話です。
二つ目は、そのトイレで女子生徒が天井に縄をくくりつけ…したということ。
なぜか、それなのに血まみれだったとか。
そして、その子の恨みだか未練が人形になって、なぜか時計の裏に…、ということです。
この体育館はまだ残っています。時計も。たぶんトイレも。
現在は私の甥が通っていますので、そのうち話してみようかと思います。でわでわ。
[まどーん@ojlpo]
人形には心がこもると言われますが…。この噂、語り継がれていくことでしょうね。
ある日、校門のそばにセーラー服を着た少女が佇んでいました。
うちの中学の制服はダブルボタンのスーツタイプなので、変だなぁ〜と思いつつ、その時は気にも留めないでいました。
ところが、その少女はいつ見てもそこに佇んでいるんです。と、思っていましたが、ふと気づくと次第に校舎に近づいているようでした。
そのうち、彼女の無表情な顔がだんだんと、怒りにも似た険しい表情に変わっていくのがわかりました。
私はそれと比例するかのように「恐怖」を感じ、なるべく見ないようにしていたのです。
が、日を追う毎に近づいてくる少女を、とうとう校内の行く先々で見かけるようになったのです。
そのため、部を休んでいた私は先輩に呼び出しを食らいました。
泣きじゃくり、興奮する私が事と次第を説明すると、先輩が「こっくりさん」に聞いてみようと言い出したのです。
先輩が質問する役、そして同級生のKとMが十円玉に指を置きました。
さあ、いよいよという時になって周りで見ていた数人が、私の顔が違うと言いました。
別人だというのです。ここから先は聞いた話です。
何故かというと、私はここからの記憶が一切ないんです。
ですから、こっくりさんの質疑の詳細はよくわからないんです、すみません。
Kは足、Mは手に、気を付けろという話をされたそうです。
そして、私だけはなぜか首に蛇が巻き付いている…と。
ここまで聞いたところで、こっくりさんは中止されました。せざるを得なかったのです。
KとMが、体を硬直させて失神してしまったのです。
騒ぎを聞いた先生が駆けつけ、その場は解散となりました。
私は先生が来たところで我に返りましたが、歯の根が合わず、ガタガタと震えが止まりませんでした。
そして、親が迎えに来て家に帰ってしばらく寝込んでしまったのです。
先輩は事情を聞かれたようですが、当然のように先生は信じず、光化学スモッグの影響(こじつけに近いみたいですが^^;)ということで、話は終わりにされてしまいました。
10日間の部活動停止と、こっくりさんの禁止というおまけもつけて。
その後、足を指摘されたKは右足を捻挫し、手を指摘されたMは右手を脱臼しました。
そして、私はというと、それから甲状腺を患い、首が腫れ上がりました。
まるで、蛇が巻き付いたみたいに。それから10年くらいこの病気に悩まされました。
少女の姿はこの日以降、二度と見ることはありませんでした。
いったいあれは何だったんでしょうね。
[なつみ@sa]
その後の出来事…。何にせよ、こっくりさんは、やらない方がいいですね。
臨海学校のあった千葉県J町という所は木更津のさらに先、館山に近い所です。
周りから岸壁が迫り出してるようなちょっと危ない地形の場所で、バスで向かう時にも何だか危険な感じでした。
そんな中の、ちょっと錆びくれた狭い海岸で私達は泳ぐことになりました。
蒸し暑い日が続くにも関わらず、その海岸には我々の学校以外には海水浴客らしい姿は見当たりませんでした。
もともと霊感など皆無の私ですが、子供心にも、何だか気持ち悪い所だなあという感じに襲われました。
海は非常に泳ぎやすい感じがしました。
しかし先生は「絶対に深場に行くな、先生の周りだけで行動しろ」と言って、深場に行こうとすると、ものすごい怒声を発し注意を呼びかけていました。
そして、海辺の、それも水が膝にかかる程度の距離までしか行かせてくれませんでした。
それは人命を預かる先生のことだから仕方ないとは思いましたが、後から考えてみると、実はそれだけじゃないようにも思えました。
どうも、この海に「あれ」が出るらしいのです。
泳いでると、足などを引っ張ってくるらしいのです。
J町の話かどうかはわかりませんが、とある少年がそのような現象にあって溺れて亡くなったらしい話を何かの本で読みました。
もうひとつ、ここにまつわる話があるのですが、テレビの夏休み怪奇特集かなにかでのこと。
J海岸(といっていたような気がする)で夜、とある小学校が肝試し大会をしていると…。
お化け役をしている先生が、見たことのない二人連れが提灯を持って歩いてくるのを見かけたそうです。
確か4人組で懐中電灯を持って行くはずなのに、その二人連れはなぜか提灯をもっていて、見たこともない顔で、足音すら聞こえなかったらしいのです。
ただ年恰好は12,3ぐらいだったとのことで、ウチの生徒かと思っていたらしいのですが、あとで「どうも変だな」と感じたそうです。
どうも、数年前に、例の海岸に臨海学校で泳ぎにきた生徒が、二人ほど溺れて亡くなっているらしいのです。
その事と今の話が関係があるかどうかはわかりません。
しかし少なくとも、ここが地元の人ですら一目を置くような曰く付きの海岸であることに違いはないでしょう。
それと、私達も、近くの山の下の雑木林で肝試しをしました。
先生の脅かしより、気味の悪い雰囲気や緊迫感みたいなものを感じて、別の意味で恐怖感がありました。
姉もその2年前に同じ海岸に来ていますが、お化けが出るらしいことを言っていたような気がします。
もうひとつ、これは私が高校に通っていたときの話です。
高校2年になり、そろそろ受験という事で、参考書を買おうと文化祭の劇の練習後、学校近くの本屋さんに行った後の話です。
東京には最大規模のT霊園というのがあって、我が校はそこからほんの2kmぐらい離れた所にありました。
本屋さんは国道沿い、T霊園の少し手前にありました。
近くには外国語学部で有名な、とある一流大学がありますが、そこの学生を相手にしているかどうかはわかりませんが、その本屋さんは大きい店です。
必要な参考書を買って外にでると時間は6時をまわっていて、日は完全に沈んでいました。
とりあえず母に電話をしたら、ご飯だから早く戻ってきなさいとうるさく言われたので、近道をしようと霊園の中を通ることにしました。
もちろん私は普段ですら親父や友人から忠告されていたこともあって、遅くなってからは絶対そこには近づかないようにしていました。
どうも地元の小学校の肝試しなどはそこで行うことがあるらしく、そこから出られなくなった生徒がいたとかいないとか。
地元の友人の話ですが、本当か嘘かはわかりません。
確かにカラリと晴れていた日でしたが、なぜかそこに入る時分になり、じめじめと湿り気がひどくなりました。
そのまん前が自動車試験場で、そのせいかどうかわかりませんが、国道は車の交通が激しく、霊園の中の突き抜け道へと向かって行く車もいっぱいありました。
私は怖かったのですが車も少しは通ると思い、思い切って突き抜け道に入ってみたのです。
最初のうちは外の明かりもあって、2,3分はあまり問題なかったのですが、5分ほど経つと、周りが急に薄暗くなってきました。
そして、時折藪の中からドーム状のお墓と思われる建築物が見え隠れするようになりました。
青く不気味な空のシルエットに、そういったお墓が妙に溶け込み、まさにこの上ない恐怖を感じました。
お墓の中を通り抜ける道は広い道でしたが、街灯一つないですし、私だけが自転車で移動しているのです。
電気をつけていたのに、ほとんどつけてないも同然に周りは闇と化しました。
何とか見え隠れしているお墓を気にしながらも逆の通りへ抜けることに成功しましたが、後で考えてみると不思議なことが幾つかあります。
晴れていたのに、霊園では小雨が降っていたような…、気のせいかもしれません。
私が移動している間はバスが一台ぐらいしか通り抜けていかなかったような…、たまたまその時間は通り抜ける車がいなかったんでしょうか?
10分ぐらいで余裕で通り抜けられるはずなのに、なぜか時間が20分ぐらいかかった…、自転車のこぐスピードが遅かったんでしょうか?
とりあえず生きて帰れただけでもよかったと、あとで父や友人と話し合ったものです。
何にせよ、墓地などは5時以降は絶対に一人で行かれない方がよろしいと思います。
あと、余談ですが、熊本のとある旅館に高校3年の修学旅行でいったのです。
非常に汚い、いかにも年期の入った旅館で、妙に温泉が熱かったのを覚えています。
部屋は畳なども腐っていて、只者ではないなと思っていました。
夜中、誰もいないのに風呂場やトイレで水の流れる音がしたり、気のせいかもしれませんが、気持ち悪いことが結構あって、みんな朝はその話で持ちきりになりました。
体験談、あるいは聞き伝え話は幾つかありますが、また暇な時にでも紹介したいと思います。
[ストレプトマイシン@]
何処かを、さまよっていたのでしょうか…。
学校付近の坂道に、コンクリートで固められた10数段の階段がありました。
いつからか「その階段の一番下の段に死体が塗り込められている」という噂が立ち、「その段を踏んでしまうと呪われる」というのです。
その話を聞いた子供はその段を飛ばして乗り降りをしていました。…ええ、私もやりました(笑)。
その階段は一段一段が結構大きく、本当に人一人くらい入っていてもおかしくない気がしたのです。
今思うと、子供の目で見てたからなのでしょうけど。
次も小学6年生の時の話です。ただし、噂ではなく実話です。
うちの小学校は、校庭の後ろがすぐに公園になっています。
当時、公園の入り口辺りに生えていた桜の木が切り倒されました。
その木の枝で亡くなった男性がいた為です。
気味が悪かったのですが、その後、変な噂が立つ事も無かったので忘れておりました。
その男性の話を思い出したのは、3学期になって卒業アルバムが配られた時です。
卒業生の集合写真を校庭で、公園をバックにして撮ったのですが、その写真の背景「公園の木々の隙間」に、人の顔が写っていたのです!
通行人では?とも言われましたが、それにしては大きさが変です。
当時、大騒ぎになったのを覚えています。
「卒業アルバムに心霊写真」という話、他にもありますでしょうか…?
[バジリコ@oc]
皆さん、そんな不思議な写真、他にはありませんか?
和歌山県のある高校には野球部がないそうです。
その理由について聞いた話です。
終戦直後の話だったと記憶しております。
若者達が戦時中には敵性文化として禁止されていた野球を再び始めたそうです。
それは、まるで野球を通して辛い日々を忘れようとしていたかのようで、実際に高校野球再開への動きへとつながっていったようです。
そんな時、ある高校が夏合宿をしようという話になったそうです。
ただ、なにぶん終戦直後の話でもありますし、高校のあった場所は宿泊はおろか、校庭は爆撃の影響でキャッチボールすら満足にできない有り様でした。
どこか良い場所はないかと探していると、近くの山寺のご住職が快く境内での練習と宿泊場所(離れ)の提供を申し出てくれたそうです。
そして、その高校の何年振りかの合宿が始まりました。
野球部とはいっても有り合わせのメンバーで初めて野球をする者もいましたが、今で言うマネージャーをする少年もおり、それなりに真剣な合宿を行っていました。
ただし、かなり広いとはいえ所詮境内でですから、キャッチボール・ランニング・ダッシュといった練習が中心で、練習試合は三角ベースだったようです。
その年の夏は大変な猛暑で、ひと練習終えると境内にある銀杏の大樹の蔭で涼み、日射病にならないよう気を付けなければいけないほどでした。
そうして、一休み終えると皆飛び出していって一所懸命に練習を始めましたが、一人だけ件のマネージャーだけがずっと木陰で練習を見学し、スコアをつけていたそうです。
彼は体が弱かったため、野球には参加できなかったのですが、少しでも元気になればということで特別に合宿に参加していました。
何日か経ったある日のことです。
栄養事情の悪い時代の暑い夏ですから、体調を崩し、そのまま亡くなってしまった方々がいらっしゃいました。
その亡骸がお寺の方に運び込まれてきましたが、火葬の設備がなかったため、仕方なく土葬の形でお墓に葬られたそうです。
翌朝、境内が騒がしく一行は目を覚ましました。
聞けば、昨日のお墓が荒らされているとのことでした。
野犬にでも荒らされたのか、遺体が地面の上に掘り起こされたとのことで、一同さすがに気味の悪い思いをしたそうです。
そこでその晩、二人の部員の間で罰当たりな野犬を懲らしめてやろうという話になりました。
野犬が来るまで寝床で待って、野犬の吠え声が聞こえたら、皆で大きな声を出して驚かせて追い払おうということでした。
しかし、部員達は零時位までは起きていた様なのですが、昼間の練習の疲れもあって寝てしまったそうです。
明けて翌朝、再び境内が騒がしく一行は目を覚ましました。
聞けば、他のお墓が荒らされているとのことでした。
また、遺体が地面の上に掘り起こされたとのことでしたが、二人は少し訝ったそうです。
何故なら、昨晩はかなり遅くまで起きていたのですが、動物の気配はもちろん遠吠えすら聞こえなかったのです。
二人は好奇心を抱き、今晩こそ真相を突き止めようと決心しました。
その晩。彼らは夜中に起きだし、お墓の方へ向かってみる事にしました。
音を立てぬよう、そーっとお墓に近づくと何か気配があります。
生き物らしいものが動いている様子なのです。
さらに二人が近づくと、どうやらそれは人のようであり、さらには、掘り起こした遺体の一部を口に入れていたのです。
彼らはその光景から目が離せなくなり、凍りついたように一歩も動けなくなってしまいました。
その時です、突然気配に気付いたのか、その人物がこちらを向きました。
恐怖が彼らを突き動かしました。ばね仕掛けのように飛び上がると、全速力で墓場を抜け出し、自分達の寝床に戻ると目を固く閉じて寝たふりをしました。
程なくして、障子が静かに開く音とともに、部屋に人が入ってくる気配がしました。
そして、障子の近くの方から何かボソボソ喋る声が聞こえてきます。
その声は次第に自分の方に近づいてきます。
何を喋っているかが分かって彼は戦慄しました。
眠りについている者の耳元に向かって、一人ずつ、こう言っていたのです。
「おまえ、見たな」
彼の番が来ました。「おまえ、見たな」
気付かれなかったのか、ややあって彼は去っていきました。
もう一人は大丈夫かと、友人の方を薄目を開けてうかがうと、和鋏を右手に持って歩く男の後ろ姿が目に入ってきました。
そこから先は怖くて、布団の中で震えながらいつしか眠りに就きました。
朝になり、三度境内の騒がしさに一行は目を覚ましました。
泥のついた手を見つめ、昨晩のことが夢でなかったことを知りました。
しかし、今朝の騒ぎの原因はお墓が荒らされているためではありませんでした。
境内の銀杏の大樹で首を括って…いる者がいたのです。
それは、マネージャーでした。
そして、彼の鞄の中からは、血のついた和鋏とノートの間に「労咳には新鮮な生肝が効く」といった内容の記事の切り抜きが見つかったそうです。
すぐに合宿は打ち切られ、野球部は解散になりました。
それ以来、その高校には野球部がないとのことだそうです。
[COBA@]
お骨とか生肝とかミイラとか。迷信とは怖いものなんですね…。
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