琵琶湖の最北端に大浦という所があり、でかい魚が岸から狙えるので有名な釣りポイントになっていますが、ここで鎧武者の亡霊が現われるという事です。
ある夏の早朝のこと。
ウエイダー(胸まである長靴)をはいて、腰まで水に浸かって釣りをしていたら、沖合いで霧のような煙が徐々に一箇所に集まって、ぼんやりと人の形に見えてきた。
はじめは「変わったこともあるんだ」ぐらいに思っていたが、風に乗ってこちらへ近づいてくるにつれ、はっきりと人の形になっていった。
びっくりして逃げようとしたが、なにせ腰まで水の中なので、もたもたしていたら、触れるくらい近くまで寄ってきていた。
そのとき見たのはボロボロの鎧をまとった武士の姿だった。
まだ夜が明けきらない時分。
大浦から海津大崎へ向かう途中、いくつかあるトンネルのうち最初のを通るとき、トンネルの出口付近に人影があるのに気がついた。
最初は夜釣りにきている釣り人だろうと思ったが、通りすぎる瞬間に鎧をまとった武士だと気がつき「あっ!」と叫んだ。
トンネルを抜けて振り返るともう誰もいなかった。
という内容です。(他にも類似の証言あり)
大浦には通称「お墓前」という有名な釣りのポイントがあり、夜は結構な雰囲気です。
私もここへはよく釣りに行きますが、まだ遭遇したことはありません。
一度、夜釣りをしていた時、背後に誰かがいる気配を感じて振り返ると、そこには真っ赤な顔をした…猿がこちらを見ていたことはありましたが(笑
[よしりん@]
琵琶湖あたりは鎧武者の話が多いですね。
不動産関係者の友人が、深泥ヶ池のすぐ近くの賃貸マンションを扱うにあたり、そのマンションの写真を撮りに行ったんですね。
そこはまだ誰も入居者がいないはずのマンションでした。
しかし…ポラロイドカメラでの撮影だったのですが、車に戻り、その写真を見てみると、2階の端の部屋に白い服を着た女性の姿がクッキリと写ってたんですよ!
私もその写真を見せてもらったのですが、あまりの怖さに、友人とともにその足ですぐ、神社に駆け込み、その写真を引き取ってもらいました。
もう3年程前のことなのですが、未だに宝ヶ池方面に行く時には、深泥ヶ池近辺の道だけは通らないようにしています。
[riko@peo]
以前、地元の別の方から深泥ヶ池についての真相を教えていただけるという投稿がありました。
しかし、その後プッツリです。おそらく「なーんだ、そんなことか」という内容でしょうけど。誰か教えて下さい。
あれは残暑の残る蒸し暑い9月中旬、前期試験のさなかでした。
夜の1時すぎ仲間3人と情報通の友人宅に集まり、遅くまで持ち寄った情報を交換していました。
しばらくして退屈してきた私達は、いつの間にか「もうやめてどっか行かへんか?」という事になり、みんなで何処かへ出掛けることになったのです。
外はいつの間にか小雨が降りはじめ、その雨音を聞いていた私はふと、いつか友人から聞いた洛北の山奥で出会うという『周山街道の幽霊』の話を思い出しました。
「霧雨の降る夏の夜中に周山街道の、とある峠近くの山道を通ると、断崖の道路脇で赤ん坊を抱いたずぶ濡れの女の人が現れる、という噂があるんだ」。
この一言で、よしすぐ行ってみようじゃないかということになり、早速私達は『純君』の車に一緒に乗り込んで現地を目指しました。
私は助手席に、純君が運転して、情報通とあと一人は後部座席に乗りました。
ついでに、少しドライブするかということになって、私達は霧雨で濡れた夜の北大路を出発し、鞍馬街道を通り抜けて大回りしながら一時間ほど山道を走って、周山街道に抜けました。
この道は舗装されてはいますが所々傷んで、夜はいっそう暗く、カーブも多い運転のしづらい道でした。
京都に向かいずいぶん走ったのですが、相変わらず霧のようなガスがはり見にくく、周りは深い山と谷、曲がりにくいカーブを一つ一つ気をつけながら走っていました。
「そろそろ高山寺のあたりかな…」そう言ってふと前を見ると、ガスがひいた道路の先、左が川へと落ちる右カーブの崖っぷちに差し掛かった所で工事用の赤い信号灯が目に入ったのです。
「信号かあ…。何もなかったなあ」と純君がつぶやいて、信号が青に変わるまで何となく私達は前方を見ていました。
みな無言のままでしばらくたって、パッと光が青に変わった瞬間「あっ、あれ…」、後ろの情報通が突然叫んで前に首を突き出してきました。
びっくりしてひるんでいると、今度は隣の純君が「ひえっ、な、何だ今のは!」と身を乗り出して前を凝視しはじめました。
何があったのか、一生懸命私も目を凝らして前方をにらんだのですが、霧雨に煙る?工事用の信号機と、左手の断崖、それに右手に迫る山並みと、そこに吸い込まれていく暗い道路があるばかりでした。
純君は一目散にスピードをあげて車を走らせ、何も話さずひたすら前を見つめていました。
あのとき彼らが見たのは何だったのか、しばらく彼らは語ろうとしなかったのでした。
後日、情報通はやっと重い口をひらき、語ったところによると「信号が変わったすぐ後に、右手から人のような影が左手の方に走り去るのが見えたんだ、あまりにも恐ろしかったんで話す気になれなかった」と言っていました。
純君はといえば、あの日以来、私達を避けるようになってしまい、しばらく後、何を見たんだと問いかける私に語ってくれました。
「まさかとは思ったが、信号が青に変わってすぐ後、白い影のような女の人が、何かを抱えて信号機の少し向こうを右手から左へと滑るように動いていった。もう絶対あそこへは行かない」と。
私には見えませんでしたが、今でもあの時の彼らの驚くさまが普通ではなかったことが印象に強く残り、同じような事を語っていた彼らは恐ろしい何かと出会ったのだろうと思っています。
[秀太くんのお父さん]
京都では何故か、何かを抱いた女性を目撃した例が多いですね。
その池は、きれいな円形でかなりの深さだそうです。
地元の方(98/1/19)>これは深泥池の話です。
そして、その池の横から伸びる細い道と国道が交差している所では、いつもタクシーの人が、白い着物を着ている髪の長い女の人に呼び止められるそうです…。
[ぶんぶんぶんはちがとぶ?]
濡れた座席シートってのがありますね。別の池では。
この場所はその昔、首切り場があったそうです。
また、そこは、某TV番組にて除霊師が「ここには、遊び心で近づかないほうがいい」とまで言われた事があるそうだ。
私自身も真夜中は、なるべく通らないようにしております。
[しん@]
道端の石碑。由来に目を通すと新たな発見があるかもしれません。
>川西と大阪の境にある妙見山という山の入り口にあるトンネルで
野間トンネルでは反対車線に引きずり込まれるような恐怖感があります。
さらに問題なのは、トンネル内の道路が平坦でない構造のため向こう側が見えないことで、実際に事故が多いのではないかと思います。
深夜の府道4号は何度も通りましたが、真っ暗で確かに不気味な道です。
しかし、野間トンネルが心霊スポットということは全く知りませんでした。
※Web『ちょー怪奇心霊倶楽部』に投稿して載せて頂いてます。
[Celestia@]
『住宅地に毎晩、ぐしょ濡れの女の人(子供連れだったかも)が現れます。
その人は、その住宅地の傍にある池からやって来て…』という内容でした。
池の名前もはっきり書いてありました。蛍ヶ池?
Susie(98/10/28)>阪急宝塚線の蛍池の事だと思います。
今は、これだけしか覚えていませんが、当時は恐くて恐くて隣から自宅まで一人で帰れませんでした。
この話、詳しく知っている方、いらっしゃいますか?
トラウマとして残っちゃいますね。(^^;
以前「住宅地の外れにある池からびしょ濡れの女の人が上がってくる」話を掲載してもらった、みやです。
それについての投稿があったので、ちょっと補足します。
地名についてですが「蛍ヶ池」かどうか、ちょっと記憶が曖昧です。すみません(^^;;
実は、豊中市蛍池にはいとこが居て、大阪&池=蛍ヶ池っていう図式が私の頭の中に出来上がっちゃたのかもしれません。
でも、大阪だったのは絶対間違いありません。
何故かというと。その頃、千日デパート火災という大惨事がありました。
ちっちゃかったので、詳細は覚えていませんが、放水の水が滝の様に流れる階段の映像と、亡くなった方の写真(まさに遺体の写真)は強烈に記憶に残っています。
昭和40年代って今じゃ考えられないような映像がマスコミに流れてましたよね。
で、池の話とデパートの映像から、大阪はどえりぁー恐い所と思って、絶対一生大阪には足を踏み入れないと、かたく思っていました。
今じゃ、そんなことないですけどね。(笑
大阪も、ちょくちょく行くけど。でもかつての千日デパートだけは行きたくないですね。
あまり、七不思議とは関係ない話になっちゃいました。すみません。
[みやちゃん]
火の用心。まずは身の回りから。
妹の友達が、まだ大学生の時、開店当時の大阪のプランタンに、喫茶店のアルバイトの応援にいきました。
とっても忙しくて終わったのは、夜の10時だったらしい。
4階の売り場に残っているのは、その子と店長だけで、あとは誰もいなくて、服屋さんの緑のカバーだけが目につく。
二人はゴミ袋を持って1階に下りようと思って、唯一動いている業務用のエレベーターを捜したが、いっこうにエレベーターも階段もでてこず、出てくるのは服屋の緑のカバーだけだった。
角を曲がっても曲がっても、緑のカバーばかり。
後から考えるとおかしいのだが、途中4人くらいの人に、業務用のエレベータがどこにあるのかを聞いたらしい。
疲れているし、エレべータが分からないのは、おかしいと思いながら、帰りたい一心で二人は歩き続けた。
その彼女が「やっとエレベータだ」とエレベータの前に立った時、後ろにいたはずの店長がいない。
本当なら待つか捜すかするのに、あまりにも疲れているので、エレベーターに入って1階を押して、中でヘタヘタとへたり込んでしまった。
1階について、やっと帰れると思って時間を見ると朝の5時!?
彼女は、始発にのって帰ったらしい。
翌日電話すると、店長はいないという。
一ヶ月後にバイト代をとりにいくと、店長は失踪したという。
店長はどこへ行ったの?
それで、よく考えるとエレベーターが分からないのもおかしいし、みんな帰っているはずの店内に、通行人がいるのもおかしい。
会うのなら警備員くらいなもの。
その道を聞いた4人の人の顔を思いだすと、青白くて瞬きもせず今でも気持ちが悪い。
あの時は疲れていたので、気にしながらも双方口にしなかったが、とても気持ちの悪い人たちだったそうだ。
そして、店長のは...の後は、彼女も知らない。
プランタンといえば、あの大勢犠牲者が出た千日前デパート火災の跡地に建てられた建物で、よく火災で亡くなった霊が出るらしい場所。
元は墓場だったらしい。
彼女はいったいどこを歩いていたのでしょう。
店長はいったいどこを歩いているのでしょう。
[Ptrash@u-netsurf]
人の集まる旅館やデパートには、悲しい出来事にまつわる話が多いですね。
3月の初め頃、ここで紹介されていた「大阪の犬鳴山」に深夜友人と2人で行ったそうです。
友人を車の中に残し、深夜0時頃から朝方まで犬鳴山の山中を散策しましたが、特に変わったことは無かったそうです。
ただ彼は、あろうことか山のあちらこちらに祀ってあるお地蔵様の中で「首の無いもの」を小脇に抱えて下山してきたそうです。
これを家まで持ち帰ろうとしたそうですが、友人に止められ仕方なく道ばたに置いてきたそうです。ほんとにしょうがない奴です(‥;)ase ase
車中で一晩を明かしたY君の友人はというと、NAVIのスイッチが勝手に入り、画面に人型のような映像や、どこかの橋のような映像が映ったのを見たそうです。
それから3日後、旧トンネルの方が霊が集まりやすい事を知った彼は、今度は単独で小雨の犬鳴山に行きました。
この時は車で行ったため、旧トンネルへと続く道に樹木が生い茂り、余りにも狭かったので途中で断念したそうです。
その翌日、今度は友人と2人で原付をトラックの荷台に積み、再挑戦したそうです。
時間も丁度丑三つ時を狙い犬鳴山の麓に到着したY君は「2人で行動すると出るものも出ないだろう」と思い、友人に10分遅れて出発するように告げ、先に出発しました。
トンネルへと続く道は何十年も使われていないのか地道で、当然街灯などは無く真っ暗です。
そして今度は樹木に阻まれることも無く目的のトンネルに到着しました。
当然のごとく深夜2時過ぎのトンネル内は真っ暗で原付のヘッドライトの明かりのみです。
ただトンネルの長さはそれほど長くは無く、出口がうっすらと見える距離だったそうです。
彼はためらわずにトンネルへと突き進みました。
距離からしてトンネルを走る時間が異様に長く感じられたそうですが(時間にして5分くらい)、その他は特に変わったことが無く、新道との合流地点まで進み、そこで友人を待つことにしました。
が、いくら待っても友人の現れる気配が無く、仕方なく携帯電話で連絡したそうです。
すると、友人は人を跳ねたらしく、跳ねられた人が見つからないので立ち往生しているとの返事が返ってきたそうです。
Y君は慌てて来た道を戻りました。今度はトンネルを抜ける時間は早く20秒ほどで通り過ぎたそうです。
そして、友人が待つ山道の事故現場へと着きました。
その時は友人の通報で警官も駆けつけ被害者の捜索をしていたそうですが、それらしき人の姿は見つかりませんでした。
友人の話では白っぽい着物を着た人が道路に立っていて、気が付いたときには接触して自分も転倒したということでした。
結局、被害者が居ないので簡単な調書のみで済んだそうです。
普通ならこれですごすごと帰るのでしょうけど、めっぽう強気のY君は「今度は2人で一緒に山道を走ろう」と友人に誘いかけ、深夜の山道を原付2台で走ったそうです。
暫く走ると友人が道ばたの方を気にしだしたので、停車して「どうしたの?」と尋ねたそうです。
すると友人は「道ばたになぁ、人が行列して歩いてるねん、みんな白い着物着て杖ついてはるわ」と答えました。
しかしY君にその姿が見えません。
次に友人は「あ!手招きしてる」と言いました。
Y君は「じゃあ、ちょっと見てくるわ!」と言い残し道ばたの畦を原付で走り出しました。
道がぬかるんでいてタイヤがスリップした拍子に転倒しそうになり、足をついて原付を支え停車したところに、何かが触れました。
それは前々回に来た時に捨てた「首のない、お地蔵さん」でした。
「え?何でこんな所に??捨てた場所と全然違う???」と思いながら、彼は手に取り確認しました。
間違いなく彼が山から持ち出し道ばたに捨ててきたものだったそうです。
それから数日が経ち、つい一昨日の話です。
空手の有段者のY君は大阪市内のT緑地へ深夜のロードワーク兼トレーニングに友人6人と一緒に行きました。
緑地の芝生でスパーリングを終え、3人は先に帰ったそうです。
その後Y君を含む残りの3人が緑地内をランニングしているときに、ある建物の前で体育座りをして野球帽を被った妙に顔色の悪い男性を発見したそうです。
深夜の緑地は人気が全くなく、変に思った友人の1人が「どうしたの?」と男性に尋ねました。
すると「前に、ここで人が殺された…」そればっかりを繰り返します。
実際にその場所で殺人事件があった事を私は知っていましたが、その3人は知らなかったらしく「何おかしな事言うてるねん。病院行きや!(笑)」と、相手にせずランニングを続けたそうです。
翌日から3人のうちの1人が何かに憑かれたようにおかしくなりました。
それを心配したY君が様子を見に行った話では「鳩や猫を見て捕まえて食べそうになる」「深夜に徘徊して、神社の前に座り込んでいる」「言動がまともでは無い」「動物のような振る舞いをする」といった具合だそうです。
犬鳴山は、字の通りその昔「犬を葬った」所だそうで、現在は霊山として修験者たちの、修行の山になっているそうです。
[わいず@threewebnet]
Y君が連れてきてしまったのかも。旧トンネルの方がでるというのは各地方にもありますね。
昔、関西に空襲があった時、沢山の人が六甲山へ非難しました。
その時、多くのお子さんが母や父の背中や腕の中で亡くなり、それを悲しんだ両親たちが、子供が成仏できるようにと地蔵を建てています。
また近年には、バイクの事故や自動車事故などが多く、若い人が亡くなり、その霊を慰めるために建てられているのもあります。
何故、空襲の時に六甲山に沢山の非難した人がいたか。
それは六甲には海外からの移住者が多く住んでおり、そこは空襲の被害がなかったからだそうです。
話が飛び飛びになりましたが、なんとなく解って頂けたかなぁ〜?
それでは(^^)
[姫子 HomePage]
近年における慰霊のためということですね。
車で走っていると、カーブのところにお地蔵さんがあり、そこを曲がっているとヘッドライトが動くので、お地蔵さんが手を振っているように見えるそうです。
それだけなら何の問題もないのです。手を振るだけなら…。
しかし噂では、おいでおいでをするというのです。
そして、おいでおいでをされると、そのままカーブに突っ込んでしまうと…。
もうひとつ、これは芦屋の山の方での話です。
夜中、友達数人と芦屋の方をドライブしていると、細い道に入ってしまったそうです。
Uターン出来ずにそのまま進んでいると、とうとう車では進めない細い道になってしまいました。
すると、その先に洋風の、割と新しそうな家があったのです。
何人かで声をかけてみましたが、誰もいないので靴を脱いで入ってみると、綺麗に掃除されていたそうです。
鍵をかけずに出かけたのかな? 道の奥の方だし、誰も来ないと思って鍵をかけなかったのかな?と思ったそうです。
そのときのメンバー全員が、その家が気になり、何度も何度も見に行ったそうです。
いつ行っても鍵があいており、誰もいないそうです。
ここは、別荘か?と思い、ある時テーブルにお菓子をひとつ、置いて帰りました。
次の日行ってみると、お菓子はなくなっていたそうです。
誰かがいるのです。
真っ黒に光る、埃ひとつないピアノ。綺麗に磨かれたシンク。
冷蔵庫には卵も野菜も。水も出ます。
なぜ、鍵をかけないのか…。誰が住んでいるのか。どうして姿を見ないのか。
あの家は、今もきっとあの時のままだろう、と友達は言います。
そういう雰囲気のある家だったそうです。
[ぷりん@]
六甲山は、お地蔵さんの話が多いですね。
他にクルマがいないということで、走り込みによく用いていましたが、一度怪現象を経験して(確か96年夏)それ以降は六甲山そのものから足が遠のいたままになってしまいました。
私の車を猛スピードで抜き去っていった銀色のインプレッサWRXが目の前で突然消えてしまったのです。
相手が速すぎたのだと思っていましたが、終点に至るまで一台の車も見ることはなかったです。
この道は盲腸線で引き返してくるほかないため、そんなに速い車なら終点までの間にすれ違ってもいいはずです。
走り屋が走りやすいこの道に出没しなかった理由も、今はわかります。
多分、インプレッサWRXの事故があったのだと思います。車種から考えて最近の事でしょう。
同じスバル(レガシィGT/Bspec・色は同じライトシルバー)の私に警告をくれたのかも知れません。
同じようなことは京都の亀岡でもありました。
※Web『ちょー怪奇心霊倶楽部』に投稿して載せて頂いてます。
[Celestia@]
自爆事故には気をつけましょう…。
そして、光背が、そのまま仏像の後頭部に打ち付けられている救世観音(聖徳太子がモデルらしい)。
それは、長い布でぐるぐる巻きにされていて、近年まで「その布を取り去ると、巨大な地震が起こる」と言われていた。
法隆寺が聖徳太子一族の怨霊を封じるための寺であるという説もある。
[まる@cbabgebdf]
晩年の聖徳太子の話は、あまり耳にしませんね。今より大判の壱万円札が懐かしい(^^;
夜、21:30くらいに、近鉄の大阪側の始発駅である難波から電車に乗りました。
富雄駅の手前から生駒、東生駒、富雄と電車は止まります。
生駒を過ぎ、東生駒から女の子を連れた女の人が乗ってきました。
女の人は緑色の三角布を首の下で結んでいて、何重にもスカートをはいていて、床まである長さのものを着ていました。
何だか昔風の、最近の人じゃないみたいな感じでした。
女の子は首の上まで刈り上げたオカッパで、頭のてっぺんで噴水みたいに髪を赤いリボンで結んでいました。
服装は覚えていませんが、女の子も昔風の感じがしました。
そのときの車両は、ちょうどすべての座席に人が座っていて、不思議なことにみんな女の人でした。
私は、車両のなかの一番はしっこに座っていました。
その席は三人がけで、席の端に私が座り、真ん中を空けて別の端に若い女の人が座っていました。
その車両で空いている席はそこしかありませんでした。
東生駒から乗ってきた女の子を連れた女の人は、女の子を私のとなりに座らせて、別の席のほうにいき、その前で吊革を持って立っていました。
どうして女の子の近くにいないんだろうと思ったことを覚えています。
やがて、女の子は眠り始めました。
眠り出すとこっちのほうにコックリコックリと、もたれてきました。
それがイヤだったので、意地悪かったのですが軽く押し返しました。
すると女の子は別の端の若い女の人のほうに、もたれかかりはじめたようでした。
女の子はその女の人にも押し返されたようで、今度はもたれかからないで真ん中でゆらゆらと揺れながら「ママ、ママ…」と言いはじめました。
何度も「ママ、ママ…」と言うので、そのとき、どうして女の子の近くに来ないんだろうと思ったことを覚えています。
何度「ママ、ママ…」というのを聞いたでしょうか。
突然「やっぱりそうなるとおもってたんや」と低い男のダミ声がすぐ耳もとでしたのです。
「えっ!」と驚いて、女の子のほうを見ると、ニヤッと私のほうをじっと見ていました。
ゾオッとして、気がつくと降りる富雄駅だったのです。
飛び降りてからも、ゾオッとした感覚は残っていて、電車の中を見ることができませんでした。
あのダミ声は強烈でした。
[あずさ@inet-osaka]
とても怖い話ですね。皆さん、何が怖いのかわかりますか? 言葉の意味よりもむしろ…。
これは私が学生時代、かれこれ10数年前の出来事です。
当時、私は名古屋で下宿しており、盆と正月には決まって関西の実家に帰省しておりました。
ある正月休みに友人7人と連れだって12月31日の夕刻より伊勢方面へ初詣に行くことになりました。
私は友人AのマツダRX-7に同乗させて貰い、残りの5人は2台の車にそれぞれ分乗しました。
伊勢での初日の出、初詣と順調に予定をこなした私たちは1日の夕刻には西名阪自動車道を大阪方面へと向かっておりました。
殆ど徹夜で車を走らせた運転手を気遣って途中のSA(確か天理SAと記憶しております)で休憩を取ることになりました。
夕刻の山の頂上付近のSAの冷え込みはきつく、それぞれ缶コーヒーなどを買い、すぐに車に戻ると車中でしばし休憩しておりました。
同乗していた友人が「カメラのフィルムが余ってるから、ここで全部使おう」と言いだしました。
でも流石に車外に出るのは寒く、お互いの車を移動させ窓から身を乗り出して、乗車したままのシーンを撮影しました。
そしてカメラを他の車に順番に渡し私たちも写真を撮って貰いました。と、ここまでが前置きです。
翌日、私と一緒に乗車していた友人Aと飲みに行くことになりました。
行き先は大阪の難波。一軒目、二軒目と飲み歩き、道ばたのデジタル時計を見ると11:11(23:11)になっておりました。
更に難波の繁華街をぶらぶら歩き、何気なくさっきとは違う場所のデジタル時計を見ると今度は1:11になっておりました。
夜も更け帰る足を無くした私たちはサウナで泊まることになり、サウナビルに入る前にビルにかかったデジタル時計を見ると2:22、何故かこの日は時計を見る度にゾロ目でした。
そしてサウナで一風呂浴びた私たちは、だだっ広いサウナの休憩室で雑談をしながらビールを飲んでいましたが、ふと正面の壁に掛かっていたデジタル時計に目をやると「3:33」でした、とその瞬間!
私たちの目の前にあったテーブルの上の灰皿が30cmほど浮き上がったのです!!
「ええ? 今の見た??」と友人に問うと友人も驚いた顔をして大きく頷いておりました。
この晩はこれ以上変わったことが有りませんでした。
そして正月休みも終わり名古屋に戻ったある日、友人Aから電話がありました。
Aは「あの時に撮った写真に写ってるねん」と言います。
私が「何が?」と問いただすと「幽霊や!」と答えました。
驚いた私は早速その写真をAに郵送して貰い確認しましたが、二人乗車の車の筈が、私とAとの間に確かにおかっぱ頭の少女の顔がくっきりと写っていました。
その後は私にもAにも霊障などはありませんが、やはり憑いて来てたんでしょうね。
未だにゾロ目のデジタル時計を見るとゾッとします。
[わいず@niftyserve]
霊写真は何故かスポーツカーで良く撮られるらしい。
ゾロ目と霊との関係。霊がゾロゾロではないでしょう…。:-p
仲の良い女の子3人組が和歌山市加太の森林公園へ遊びに行きました。
疲れたのでベンチで休んでいると、真ん中に座っている女の子が急に「私らって友達よな?」と両脇の女の子に聞くと、両脇の友達二人は不思議そうに「当たり前やん、私ら友達やで」と答えました。
すると、真ん中の子が「私の足下見て」と言い、両脇の子が足下を見ると、地面から手が出ていて、真ん中の子の両足が掴まれていたのです。
それを見た二人は、慌ててその場を逃げ出したんやけど、しばらくしてから残してきた子が気に掛かり、ベンチに戻ると気が狂っておかしくなってしまい、現在も市内の病院に入院中というお話です。
池に立っているのは、昔、事件に遭った白バイ隊員の首のない体で、目はその人の頭です。
長くなるので、話は省略します。
軍服の下半身でなくて、和歌山の方で通称肘掛けババアと呼ばれる方のものです。
和歌山県海草郡の幽霊屋敷と和歌山県海南にあるBの森と呼ばれる所があります(カップル御用達の夜景スポット)。
そこから帰る時、左に曲がって行くのですが右に曲がって突き進んでいくと、スポットの意味が解ると思います…。
上の2ヶ所はあまり興味本位で近づいてはいけないという忠告です。
その幽霊屋敷は、宜保愛子さんが入れなかった所ですし、その森は、私の知ってる限りでは2組の別々のグループが行ったんやけど、その中の一人か、二人が何かに取り憑かれてしまう事がありましたので。
幽霊屋敷とその森の話は省略します。
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