オートバイで炭坑に行った人が、病院跡の前でオートバイを発進させようとしたけど全然動かなかったそうです。
変だなと思い、後ろを振り向いたら、もの凄い形相をした看護婦が三人、オートバイの後ろを押さえていたそうです。
あと、もうひとつは、炭坑に向かう一本道で、追い越しても追い越しても必ず前を走る車があるそうです。
それは私も体験しました。
追い越したはずなのに少し行くと、またその車が走っていて、はじめは似てる車だと思っていたんですが。
2,3回繰り返した時、全く同じ車だということに気付き、そのままUターンして帰りました。
二度と炭坑に行こうとは思いません。
釧路の有名な話をもうひとつ。「田中さん…」という話です。
田中さんという男性が亡くなって、お葬式の時に彼の遺影の写真を撮ったのです。
すると、一枚目は何もなかったのに、二枚目の写真の彼の頭には毛糸の帽子がかぶってるのです。
その帽子は母親が編んだもので、全部編み終える前に彼は亡くなってしまったので、棺の中に入れたそうです。
この話はテレビでも紹介され、写真も鑑定していてトリックではないと証明されていました。
本にも載っていましたが、その中では実際の住所も紹介されていました。
今でも家族の方たちは釧路に住んでいます。
[らら@o]
私もその写真を見ましたが、結局、何だったのでしょうか。
夏休み・冬休みに泊まりに行くと「今でも汽車が走るんだぞ」と言われました。
何でも当時、白いSLが石炭車と客車をひいていたそうです。
いたそうですというのは、すでに廃線になった後だったからです。
祖父は時々窓から眺めていたそうですが、落盤で亡くなった人たちが乗って釧路に出てくるそうです。
遊びに来る人、家族に会いに来る人など色々。
祖父は60歳まで雄別炭鉱で働いていたそうです。
幸い番方が違い、事故を免れたこともあるそうで、「ひとつ間違えばお前は産まれていなかった」が口癖でした。
釧路に小さな古い家を持った数年後、閉山しました。
深夜走る幻の汽車には知った顔が幾つか見えるそうで、自分は年とってジジィになるのに、旧友はその時のままなのが何ともいえないと言ってました。
もう祖父も亡くなり、真実だったのか、早く寝かせる口実だったのかは不明ですが、時々線路跡のサイクリングロードを走っていると汽笛が聞こえるような気もします。
[ナマコ@ho]
どちらだったのでしょうか…。
あのカレンダーは今から20年程前のお話で、某信用金庫が実際に各家庭に配布していました。
ほんで、慌ててその事に気づき回収しようとしましたが、もう後の祭りでニッチもサッチもいかない状態でした。
そりゃ各家庭に配った日にゃあ回収なんて不可能ザンスよ。
カレンダーの写真の内容ですが、昼間の撮影にも関わらず、夕焼けというか血に染まったように真っ赤っか〜(現像の失敗か不明)でした。
そして、人の顔や人骨の形をしたものが壁面に30数体確認される、まさに写っちゃ嫌なモノのカーニバル状態でした。
追記:その10年後、自ら発見した心霊写真がエ●本によるものであったとは、当時小学生だった自分には知る由もなかったのであった。
[ぽてちゅう@]
カレンダーが、まだ残っている家庭もあるかもしれませんね。
ここは冬になると氷結した湖面に穴を開け、ワカサギ釣りに来る人が多い所です。
同僚のAは三度のメシより釣りが好きで、月7,8回の公休のほとんどを釣りに使うような奴です。
5年ほど前の冬もいつものように夜中から出かけ、夜明けを車の中で待ちながら釣りを始めました。
前夜は断続的な雪で、駐車場から釣り場まで釣り人の足跡だけが続くような状態。
Aは自分のポイントを持ってるそうで、他の人から離れてポツンと場所を取り、炭で暖をとり、半テントで風をよけながら釣果もそこそこ。
二月中旬にしては寒くなく、良いあんばいだとか思っていたそうです。
そうしてるうちに「おじちゃん、どう?」という子供の声が聞こえ、振り返ると3歳くらいの女の子が立っていたそうです。
「まぁまぁかな」なんて話しながら「どこから来たの?」と聞くと、アッチと指差した方はキツイ斜面。
そう、あっちの方の町なの?と聞くと「ううん、あの崖を下りてきたの」
まさか、キツイ冗談だろうと言うと「お父さんはお兄ちゃんをダッコして、お母さんが私をダッコして」
…。いくらなんでも、どうやって帰るつもりなんだ。ずっとその斜面を眺めている時、遠くで誰かの名前を呼ぶ声がかすかにしたそうです。
「はーい」今までそばにいた子の声がした。
そうか親が迎えに来たのか。声の方を向くと、もう子供の姿がない。そして親の姿も。
そして何より、雪の上には自分の足跡だけで、子供の足跡はどこにもなかったそうです。
[旭川のバスドライバー]
雪ん子、を思わせるような話でしたね…。
何年か前、このがんぼ岩をカレンダーに載せようと写真が撮られました。
その写真に無数の顔が写ってしまい、それがとてもよくわかってしまうものだったので、使うことが出来なかったという話を聞きました。
私は実際に見たことはありません。
そして、このがんぼ岩には、もうひとつの顔があります。
それは、ある名所なのです。私の両親が在住している間にもありました。
結構、事故が多いのです。
ただ、岩の下の方は草木が茂っていて、草を引き千切ったあとや、地面に引っかき跡が残っているそうです。
がんぼ岩の麓に施設があり、大抵、その辺にたどり着くようです。
霊感のある方は、もしかしたら怖い目にあってしまうかもしれませんね…。
責任は負いかねますが。
[さくら@]
無数の手ではなく、顔でしたか…。
現在は使ってない宿ですが、私達観光バスや個人タクシーの運転手達の宿として長年使っていた宿でのことです。
風呂に入ると先客がおり運転手仲間だと思い「お疲れでーす」と声をかけました。
先客は二人おり、髪を洗ってます。
返事はない。ときどき二人でヒソヒソ話をしています。
こっちに向い声をかけることはしない。
こっちが体を洗いながら、ゆっくりしてあがろうとして先客を見ると、まだ髪を洗ってる。
変な人なのか、きれい好きなのか、五分刈り程度の短髪なのに丁寧に洗髪するもんだと思いながら「お先〜〜」と声かけました。
やはり返事はありません。
浴衣を着ながら思い出しました。
二人が時々話すことは中国や朝鮮の人の話す言葉によく似ている。少なくとも日本語ではない。
そして、周りを見渡しました。
中に二人残ってるのに脱いだ服がない。
思いきって浴室のドアを開けたが、当然のように誰もいない。
そこの宿に泊まるときは風呂に入らないか、全く気にしないかが鉄則でした。
京都から坊さんの団体が北海道旅行に来た時のこと。
糠平湖に近付いたとき、一斉にお経をあげはじめました。
ガイドは何事だろうと思ったそうです。
すると「これ以上先には進まないでくれ」と言われたそうです。
湖畔には無数の怨霊がおり、バスに乗ってる30人や40人の坊さんでは供養しきれないそうです。
あまり生々しい書き方はできませんが、霊感の強い人は一度行ってみては。
ハズレなしの名所です。
[旭川のバスドライバー]
ガイドさんも、びっくりしたことでしょう。
最近は少し雄別もきれいになりました。
あまり霊感はないほうなのですが、霊感が強い人いわく、私は強いらしいのですが、まだ一度も見たことがありません…が、よく憑かれるらしいのです。
病院の地下は有名です。
地下に下りてチョット行くと、霊安室です。
何年か前に、そこに閉じ込められた人がいるのですが、今は釧路市内の某病院へ入院加療中との事…。
あまり行かないほうが良いのでは…と思いますよ。
[あひる]
私も、そう思います。
この人造湖は戸蔦別川にありますが、私が小さい頃(35年くらい前)同様の事件がありました。
この湖の上流約3km位の所に小さな取水用ダムがありますが、このダムの下流の滝壺でその昔、私が生まれる前、女性が身を投げたとのことです。
8月になると、この女性が男性ばかりをお迎えに来る、との言い伝えがあります。
7,8月には、少年だった私は怖くて川での水遊びは控えていました。
[ポロシリ怪人]
男性ばかりなのですか…。
特に病院と映画館は、どんなに霊感が鈍い人でもハズレなしに出会えます。
今では取り壊されてると聞きました。
ですから、今から実証するのは無理ですが、20年程前は仲間内では一夏に何度も出掛けていました。
今までに投書のあった件は全て本当です。
更に、病院の手術室と思われる部屋には、いつも数枚のポラロイド写真が落ちていました。
そこには、部屋の壁にしみついた人の顔がズラリ並んでいました。
映画館は、肝試しに最適でした。
夜、ランタンや食料持ち込んで決行しますが、水も電気も通じていないはずなのに、奥の部屋がほんのり明るくなったり、天井から水がしたたり落ちたり。
恐怖で逃げ帰った車の後部座席の足もとには赤い水が溜まっていました。
すべては本当にあったことです。
ただ、あのいつも煙を出していた煙突が、使われていないものだったとは初めて知り、あらためて恐怖を感じました。
[釧路住之江の元住民@]
落ちていた写真には何が写っていたのでしょうね。
例えば、夜中に一人で運転していて、何か気配を感じてバックミラーを覗くと、後ろに頭から血を流した男性が見えたとか。
冬にトンネルの出口で対向車がはみだして来て、ハンドルを切って事故を起こしたが振り返ると相手の車がいなかったとか。
バイクで深夜運転してたら突然首筋を冷たい手のようなもので撫でられたとか。
聞いただけでも10件くらいありました。
[taka@bivu]
峠とトンネルの話。なぜか外国人労働者がキーワードなのです。
そこは夜になると口では言い表せないくらい怖いそうです。
夕張〜芦別の国道462号と452号は通らない方がいいとのこと。
何を見るかわかりません。
特に途中の三笠市にある桂沢湖はすごいそうです。
勇気のある方は是非どうぞ…。
[ペンネ@odn]
怖さの内容とはいったい。
遠軽町の、とある会社が来年のポスターを作ったそうです。がんぼう岩をメインにして。
出来上がってから気がついたそうですが、その岩にはとても怖いものが写っていて、ポスターを作り直したとの事。
一体どんなのが写っていたのでしょうか…。
[ペンネ@odn]
無数の手とか…。
グループの一人が○○炭坑病院跡は凄いらしいという噂を耳にし、じゃあ今度はそこへ行ってみようということになりました。
○○は阿寒方面の炭坑ではありません。
前回に訪れた場所へ同行した女性の一人が、突然訳の分からない言葉を叫んで暴れ出したことがありました。
危険防止のため(そんな所に行くほうが危険だが…)グループの一人が知っていた、霊感の強いAを連れて行くことにしました。
当日、2台の車で総勢9人、私の車にはAを含んで5人が乗っていました。
数時間後、目的地に着き車を降りて、発狂した人もいるといわれている病院跡から探ることになりました。
嫌がるAを引っ張り病院に向かうと、入り口からかなり離れた場所で、Aが「もう、帰ったほうがいい。俺が目を離したら寄ってくる」と言い出しました。
皆、気にしない振りをしてそのまま進みましたが、Aがあまりにも必死に訴えるので、じゃ写真だけでも撮ろうということになり、数枚の写真を撮って引き返すことにしました。
霊感など皆無と思われる私でさえも「ここは、ヤバそうだ」と感じていたので内心ホッとしていました。
そんな時、Aが「ついてくる」と不気味な発言をしたと同時に、全員もの凄い勢いで車まで走り出しました。
すぐに車を発進させ、数10m走ったところで、Aが「ヤバイ! 轢いた」と叫びました。
後部座席でも「掴まってるよー」とか「駄目だ! 追ってくる」とか言いだしました。
何が?何が?と、どういう状況なのか把握できない(見えない)私に対して、その物体が見える友人等は「いいから走れ!」と言うばかりで、私はただ必死に運転していました。
しばらく走り、友人等が何も言わなくなった頃、車を停止させてAに事情を聞きました。
ついてきた何者かが車の進行方向に立っており、その中の一人をフロント左側で轢いたというのです。
また、後部座席の二人のうちの一人は(もう一人は見えてなかった)「左側のウィンドウに掴まってる手が見えた」と言いました。
もう一人は、もう一台の車を確認しようと振り向いた時に、その車の後ろから何人もの人らしきものが追ってきていて、半分囲まれたような感じだったと言いました。
もう一台の車はというと、人らしきものに囲まれていたというのに、それらには気づかなかったらしいのです。
何故なら、恐くて目をつぶっていたらしい助手席に座っていた一人を除いて、私の車の左側に掴まっていたという何かに釘付けだったからです。
今まで味わったことのない体験に、流石にみんな無口になってしまい、重〜い雰囲気が漂っていました。
が、私の車の後部に座っていた頑固爺のような性格のB(見えなかった一人)が「な〜に黙ってんだっ! 写真撮るぞ、写真! 何か写るかもしれないから早く並べよ〜」と一人で騒ぎ出しました。
Bはいつもこんな感じです。今でも…。
後で聞くと、皆「なに呑気なこと言ってんだ」と思っていたようですが、その時は何故かBの言うことに素直に従って、それぞれの車に乗ったメンバー毎に数枚の写真を撮り、札幌へ帰りました。
札幌に帰り2日が過ぎたある日。
Bから「写真、明日取りに行くから、みんな集まれよ」と電話がきました。
翌日Bの家に集まりました。
この2日間、みんなそれぞれ体調不良や不思議な現象に遭った(霊障というものなんでしょうか?)という話をボソボソと語り出しました。
あの日の記憶が蘇ってきた時に、Bが「見るか?写真。俺もまだ見てないけど」と、出来上がった写真をメンバーの一人に渡しました。
写真を真ん中に、みんなで輪になって最初から見ることにしました。
5,6枚目くらいまでは全然関係ない写真で、次からの写真が問題でした。
病院を写した筈の写真には、黄・赤・緑・紫と何だか訳の分からない色が写っていて、病院の形など、まるで分かりません。
それから何枚か後、その写真を見た時、みんな一瞬凍りつきました。
あの時、Bに言われて撮った写真に何やら写っているのです。
1枚は、私の車のバンパーの前に私がもたれ掛かった感じ、残りは横に左右に二人ずつ立っているという写真でした。
フラッシュをたいたので、フロントガラスにはその反射が見て取れましたが、それとは別に、車の中に青白く明らかに人の顔と思われるものが5つ。
しかも後部座席(多分)の真ん中の顔は、わざわざ私の頭を避けて右に寄って写っているのです。恐すぎる。
もう1枚は、他の4人が車の前に並んでいるという写真でした。
全体的に青白いモヤに包まれているような感じでした。
前の写真があまりにもはっきりしていたので最初は気がつきませんでしたが、その写真をじっくりと見ていた一人がいきなり「うわ〜」と声をあげたのです。
みんなビックリして「脅かすなよー」と言うと、「違うっ! でかい顔が写ってる」と言うのです。
それは、写真を真正面から右に約90度回すと確認できました。
確かに人の顔のようでした。
その後、豊平区の某所に住んでいる札幌では有名な霊能者の元へ行き、車共々みんなで御祓いをしてもらいました。
写真も処分してもらいました。
驚いたのは、私達がその霊能者の部屋へ通された途端に「面白半分で行くからそんな目に遭うんだ!」と怒鳴られた事です。
霊能者なんていうのは、殆どがいい加減な奴等だと思っていたので、本物もいるもんなんだなと感心してしまいました。
それと、これは全く偶然だと思うんですが、写真を見た後で物体を「轢いた」ことを思い出し、車を調べてみました。
するとフロントバンパーの左側のちょうど曲がってるあたりに、何かに擦ったような薄い白い痕がついていました。
何処かの壁か何かに擦ったのを気づかない(それほど薄かった)ままだったのか、それとも…。
非常に長くなりましたが、以上が私達が体験した話です。
それ以来、少なくとも私は、そのような場所には意識的に近づかないようにしています。
あの体験と写真は、それほど強烈でした。
私には見えませんでしたが(^_^;)
[病院は恐い@bfohipoe]
写真が物語る出来事。集団催眠ではないようだし…。大変な目に遭いましたね。
今から20年近く前、中標津開陽台で体験したことです。
私は一人オートバイで日本一周ツーリングをしていました。
途中出会ったツーリストから、全周地平線が見渡せる絶景ポイントがあると聞き、そこを訪れました。
今では立派な駐車場や展望台ができて、すっかり観光地になっています。
しかし当時はただの野原で、私のように口コミで此処のことを聞きつけたツーリスト達が、テントを張ってたむろしているだけでした。
バイクで頂上まで上りテントを広げていると、たむろしていた連中の中から三人ばかりがこちらへやってきます。
そして、声をかけてきました。
「この場所のことを何処で知ったの?」。
旅の途中で会った人から聞いたんだけど、ここから見る景色は最高だって。
「困るんだよな、あんまり人に言いふらされると。見物人が増えちゃってさ」。
その言い方にカチンときたので言い返しました。
ここは、おまえの土地か?
そうじゃないなら誰が来ようと、そいつの勝手だろ。
強い調子でそう言うと、すごすごと引き下がっていきました。
何日もここに泊まって主のような顔をしているバカと、その取り巻きがいる側は気分が悪いので、私は少し離れた所にテントを張りました。
その夜、いつもは一旦寝たら滅多なことでは起きないのに、急にトイレにいきたくなりました。
闇の中に出て小用を足していると、ふいに前方に光りが浮かび上がりました。
何だろうと目を凝らすと、宙のある一点から光りが滝のように流れ落ち、宙に吸い込まれるように消えていきます。
背筋が寒くなりテントに駆け戻ると、シュラフに潜り込みました。
ですが寝られず、震えていました。
その間ずっと、テントの周りを誰かが歩きまわっているのです。
空が白々とする頃、足音は途絶えました。
夜が明けきって、恐る恐る外を見ると、足跡はどこにもありません。
まだ他のテントは寝静まっていましたが、私は一刻も早くここから逃れたく、さっさと荷物をパッキングするとオートバイに跨り、開陽台を後にしました。
その時、奇妙な事に気づきました。
ここにたむろしている連中は、狭い範囲に密集させるようにテントを張っているのです。
よく見ると、低い石垣のようなものが築いてあって、その中にみんなテントを張っていました。
その石垣の外側に張ったのは私だけでした。
その後、旅を続けている間、いろんな人にその体験を話しましたが、誰も知りませんでした。
あれは自分が寝ぼけていたんだなと思い始めていた頃、根室で地元のライダーと話しをしていて、何気なくその体験を話しました。
すると「あんた、石垣の外にテントを張っただろ」と言うのです。
そして彼は、開拓時代に開陽台で5人の若者が吹雪に遭って亡くなり、その霊がいまだにうろついているのだと言いました。
「頂上から少し下がった所に慰霊碑があっただろ」。
確かに石碑があったことを思い出しました。
数年前、再び訪れると、もう石碑はありませんでした。
私が光りを見たキャンプサイトは大きく広がって、石垣もなくなっていました。
遭難者の霊達は、賑やかになって喜んでいるのでしょうか?
長々と失礼しました。
[U.K@dti]
長編、ありがとうございます。
無造作に転がっている物。何かいわれがある物かもしれませんね。
数年前、川をせき止めて拓成湖という人造湖ができました。
渓流下りや川釣りができる、アウトドア派には見逃せない場所です。
この小さい湖ができてから不思議なことに、毎年8月上旬ごろになると必ず若い独身男性が水難事故に遭います。
去年は男性が、さして深くないこの湖で、履いていた胴長に水が入って湖底に引きずられ、水深1mそこそこの所で亡くなりました。
その前は学生が、湖で乗っていたボートが転覆して、堰堤の放水口にはまり亡くなりました。
他にもこの湖から100mほど上流にある川で遊んでいた学生が、川底にある取水口にはまり亡くなっているのです。
また、近辺の森では自殺者がいたりして、この一帯はまさしくミステリーゾーンです。
[秀太くんのパパ@]
いつもお話し、有り難うございます。
人造湖は何故か事故が多いようです。こうも続くと不可解ですね。
私の出身は東京なのですが、私の父は釧路育ちで、親戚も北海道に散らばっています。
実は、その雄別で父は生まれたのです。
何年か前に家族旅行を兼ねて北海道を訪れました。
私達が訪れたとき、住居跡は荒れ果ててひどかったのを憶えています。
私達は、親戚の車でそこへ行ったのですが、5人乗りの自家用車にきっちり5人乗ったのです。
なぜかというと親戚曰く、私達が訪れた雄別のその付近には、ある言い伝えがあるそうです。
「車でそこを訪れる時は、車に空席を作って訪れてはいけない。雄別の炭坑で亡くなられた方々の霊が、乗ってきてしまう」のだそうです。
途中、山道を車で走っていくと、道の向こうに小さな橋のような物が見えました。
目的地までに迷ってしまって、なかなか到着できなかった私達は、フッとその橋を渡るつもりで近づきました。
しかし、近づいたとき皆、ハッと息をのみました。
橋など全く存在しておらず、垂直に近い崖があっただけでした。
幸い、山道でスピードを出していなかったのと真っ昼間だったので、車は崖から落ちずにすんだのです。
あれが夜だったら…と思うと、ゾッとします。
親戚は、その崖の話を知っていて「あー、だまされそうになった!」と言っていました。
ここは、私達のように遠い距離からは橋やら道が見えて、それらがあるつもりで突き進んでいき、崖から落ちてしまう車が多いそうです。
事実、私達は車が落ちたであろうと思われる、タイヤの跡を見つけました。
ただ、そんなに落差のある崖ではないので、落ちても大ケガをしてしまう程度だそうです。
叔母の知り合いも、そこの崖を道と間違えて転落してしまったそうです。
今は、サクでも立てられているのでしょうか。わかりません。
帰りは、その雄別の跡地から、なかなか脱出?できずに、不思議と同じ所ばかりグルグルと走り回っていました。
行きは、30分もかからなかった距離を、帰るときは1時間半近くもかかってしまいました。
迷っている時に、私達の目に必ず入ってきた物は、今は誰にも使われていない病院に立っている長い煙突でした。
その時、ふと見たその煙突からは、うっすら白い煙が立ち昇っていました。
そこは、もう誰にも使われていないはずなのに…。
[Sunny]
北海道というと開拓時代の労役者の悲話が沢山あるそうです。
北海道の東に「北見」という所があります。
そこから電車で網走方面にちょっと行ったところに「常紋」という駅があるそうです。
その駅の側のトンネルは昔、人柱をたてて造られたそうで、今でも人影を見る人が後を絶たないそうです。
そこを通る電車も必ず「誰かいる!」といってトンネルの中で止まるとか。
家の主人は昔JRにいたとき、毎月一回常紋駅に泊まらなければいけない決まりがあって、それはそれは怖かったそうです。
普段は無人駅で、また周りに民家などひとつも無い…。
勇気のある方は是非どうぞ。
[てんちゃん@odn]
人柱は日本の悲しい風習ですね。大正3年に…。
様々な建物は、どれも地元のヤンキーどもに落書きされ、内装も破壊されており、建物自体の情緒といったものは皆無でした。
しかし友人曰く、てんこもり状態だそうでブルブルしてました。
近くの川の流れと茂っている木々のせいで、僕もかなり怖かったのですが、何も見えないし聞こえなかったので万人向きの所ではないと思います。
見所は、病院の入口を入った正面のスペースで、下から気持ち悪いモノがわき上がってくるそうです。
この正面スペース奥から、離れに通じる廊下があります。
何も感じない人は、そこはかつて何だったんだと考えると気持ち悪くなる所だと思います。
小雨の日か霧の出てる日なんかに行くと、良くも悪くも来た甲斐あったと思うでしょう。
あと、煙突が帰り道にあったのですが、上の方に広がって見えると良くない事が起こるらしいです。
映画館では天井の方で、フワフワしたモノがフワフワしているそうです。
週末、生身の人達で結構にぎわっていたのが印象的でした。
[とかちっち@bficai]
廃墟の街。徘徊するには勇気が要りますね。
私も洞爺湖の方を見たとき、洞爺湖の上(いわゆる湖の上です)に人が数人立っているのを見ました。
[うほっ@bunri-c]
湖上に浮かぶ人影。何を求めているのでしょうか。
それを聞いた知人が、暫くして(さすがに一人では無い)出かけてみたらしいのです。
昼間に行っても薄気味の悪い所ばかりで、特に病院跡は何か出てもおかしくないほどだったそうです。
その病院の地下室に入ってみると、水浸しになっていて不気味な雰囲気だったそうです。
大の男でもそんな気持ちになる位ですから、一人夜を過ごした彼女…何を見、そして感じたのか気になります。
夫の家からかなり離れている所ですが、今度連れていってもらおうかな…と考えています。
勿論、喧嘩などしないように気をつけて!!
[saso@meshnet]
地下室って怖いですね。街の入り口に立つとそこには…。
また、支笏湖のとある場所で写真をとると、湖から幾本もの手が伸びた写真がとれたそうです。
支笏湖は自殺遺体が上がらない湖で有名らしいので、そのへんと関係あるようです。
より以上の詳細は詳しく知っている方に譲ります。
[秋元憲一@tut]
名前のついた個人宅は、あまり紹介したくないのでスポットからは割愛しております。
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