日が落ちると誰かいるのか一箇所だけ明かりが灯いています。
でも…怖さを削ぐようで気が引けるのですが…ときどきホテルの前で乗馬をしている風景を見ると、なんだか和んでしまいます。
犬鳴村の話はよく聞きます。
村人らしき人に追っかけられて必死で逃げて、安全な所で車を確認したら、車の後ろが斧か何かでボロボロにされてたとか…。
聞いた話では、地図にも載っていないらしいです。
私は確認してないですけど。
[トコ@]
一ヶ所だけ、ですか…。
私は犬鳴峠から5,6kmほど直方側に下った所で生まれ育った者ですが、謎の犬鳴村の話は、時折聞いたことがあります。
現在、犬鳴ダムの湖底に沈んでいる場所に旧犬鳴地区があったのですが、それとは別に、車も入れないような山中に、周囲との交渉も殆ど無いような村がある。
その村は家というよりも、ムシロを棒組みに引っ掛けたような造りで、住人は炭を焼いたりして暮らしていると。
そしてつい最近も友人から、犬鳴の山中に『山窩』の集落が今でもあるらしいという話を聞きました。
そういえばまだ幼いころ(35年ほど前の話)、私のいた地区に、笊やショウケ(竹で編んだ作業用の大きな笊)、まな板なんかを担いだヒゲ面の男が来ていたことを思いだしましたが、あれも山窩だったかもしれませんね。
いずれ機会があれば、探索してみたいと思っています。
[さんぞう@]
迷い家のような光景ですね。
その時たまたま地元から同じように心霊スポット巡りで来ていた人の話では、右に進むと犬鳴村に通じるということでしたので、右に進みました。
結構、長い距離を進んだと思います。
やがて畑が見つかり、そこでキャベツが栽培されていたのです。
ここで俺達は一つ疑問が浮かびました。
ここ犬鳴村(でいいのか?)は外部と車で行き来することは不可能です。現に歩いて来るのにも苦労したのに。
考えられる事は
とりあえず、これに関して誰か詳しい地元の方はいませんか?
[冒険部員@]
トンネルの反対側は、どうなんでしょう…。
そこは以前から有名な所で、昔、山城があってずいぶん人が死んだ所とも聞いています。
また、つい数年前まで日が落ちた後は、路線バスは走らせないということにもなっていました。
道路敷設のために以前からあった祠が移動させられていたのです。
以前から気分が悪くなったり悪寒がしたりは時々あったのですが、ああいう体験は初めてでした。
この峠は国道3号線冨地原交差点を若宮方面へ上った所にあります。
行くときは、ヘアピンカーブがあるのでそこにもご注意を…。
[けぶやの姉@oc]
曰く付きの土地なのですね。
私も九大卒業生で、当時は米一丸踏切を渡って通学していました。
九大図書館に地図等が置いてある部屋があるのですが、そこには地域の伝承等が集められた本がありました。
米一丸の塔に関する話はそこで読んで知りました。かなり詳細に記載されています。
憶えているだけ書きます。
時は江戸時代、米一丸という若者がいて、美しい嫁をめとった。確か米一丸17歳、嫁14歳くらい。
彼の上司にこの嫁に色目を使う男がいて、あるとき米一丸にこう命ずる。
「私が以前博多に行った折り、大事な刀を質に預けてきてしまった。この金で質から取り戻してきてもらいたい」
米一丸は博多へ行くが、その刀は預けられた金ではとうてい取り戻せなかった。
仕方がなく米一丸は博多に留まることになってしまうが、その間にある芸子と懇意になる。
その頃、上司の男は美しい嫁に言い寄るが、貞操固く容れられない。
怒った上司は博多へ刺客を放ち、米一丸を亡き者にしようとする。
夜中に突然数10人の刺客に斬りかかられた米一丸は、お供の者と命からがら東の方へと落ちのびるが、箱崎の浜付近まで来たとき、もはやこれまでと切腹して果てた。
事件を聞いた博多の芸子は箱崎まで来ると悲しみの余り後を追って自害したという。
更に国元の嫁もはるばる博多まで来ると、米一丸最後の地で後を追って自害した。
これを見た地元の人々は、供養塔を建てて、米一丸らの魂を鎮めたという話。
今でも地元の方は米一丸さんを大事に供養していらっしゃいます。
知り合いの地元の人がそう言ってました。
踏切での事故多発をあまり米一丸さんとは関連づけて欲しくないのではないでしょうか。
[分析化学者]
近々、米一丸のお堂の横には線路はなくなるそうです。このような無理な関連づけも、きっと消え去っていくことでしょう…。
お話し、ありがとうございました。
そこで噂にきく、犬鳴村に行ってみようと思いました。
旧トンネルは、あまりにも有名ですが、そこへ入ってしばらくすると、あまりわからないだろうけど脇道があります。
その奥を進んでいくと車一台分の獣道になり、そこをかなり長くズンズン進むと、なんと本当に村があるのです!
その村は、何かに隠れるように静かにたたずんでいますが、その当時地図には無かった村を発見しました。
ここで気を付けてほしいのが、村に行く途中ではUターンが出来ない、また村でUターンする時、降りなければ道が分からない。
この時、降りた人は感じるはずです…、生きて帰りたい…と。
ちなみに僕はそれ以来、犬鳴村には、ぜっっったいに行こうとは思いません!
[ジェフリー@]
今でも在るのでしょうか…。
昼間、旧道の犬鳴トンネルの様子を見に行ったのですが、どっかの会社の営業?の車が止まっていて、昼寝したり漫画読んだりしていました(笑)
僕は犬鳴峠へ暇つぶしに行くくらい行き過ぎているせいか、恐怖感が無くなった(笑)
夜の旧トンネルは、暗いから気をつけた方がいいと思います。事故らないようにね。
この前、旧トンネルの手前の細い道で車が接触事故を起こしてた。
なるべく、軽自動車とかの方がいいと思います。
僕は怖くないといっても、夜のトンネル付近は怖いです(^_^;)
[でーすけ@mtci]
どんな場所でも、昼間と夜間とでは印象が違いますからねぇ…。
その友達は夜中に4人で車一台に乗り、旧トンネルに向かいました。
昼間でも気味の悪いトンネルに着き、話しに聞いたとおり車でトンネルの中に入り、半分位まで来た所で車を止め、ライトを消しました。
しばらくすると車が小刻みに揺れはじめ、だんだん揺れが大きくなりました。
怖くなって車のエンジンをかけ、逃げようとしてライトをつけたら、目の前に壁がありぶつかりそうになりました。
車の方向がその場で90度変わっていたのです。
ただ、その時は何も見えなかったそうです。
あと、新トンネルでも会社の先輩が親子連れで宙に浮いているのを見ています。
この時は、彼の息子も一緒に見ています。
[moo@]
向きが変わるほどの揺れ。トンネル幽霊では初めて聞いた現象でしたが…。
地蔵の森ですが、石碑の周囲の森全体(直径10mちょっと)が柵で囲まれたのは、10年位前に石碑の上の古木が倒れて怪我人が出ては困るという理由で、柵を廻らしたのです。
それ以前は柵はありませんでした。また最近、学生の憩いの場として開放しました。
この事については、九大広報1998年7月号に記事がありますので、以下に転載します。
『箱崎キャンパスの創立50周年記念講堂前の森は、小松山重盛院還国寺跡で、二代目福岡藩主・黒田忠之再建になる地蔵堂があったことから「地蔵の森」と通称されています。
この森が学生の憩の場として開放されました。
囲いの金網は撤去され、散策のための小道ができ、ベンチも置かれ、格好の思索の場となりました。
早々、緑陰の下で読書したり、談笑する学生の姿が見られます』
この記事から、刑場跡というようなことは考えられません。
名前から変なイメージを抱かれ易いのですが、私の在籍中に、怪しい事が起きたという話は残念ながら聞きません。
米一丸の踏切ですが、九大正門から200m位の所にお堂が、確かに踏切横にあります。
その昔、上司が米一丸の美しい妻を奪うため、以前、上司が都から太宰府へ行った時に忘れた刀を取って来させるという任務をわざと与えました。
米一丸が刀をもらって太宰府から帰る途中、上司がこの箱崎の浜(当時この辺りは海辺)で待ち伏せさせて、切り殺したということです。
こんな無念を鎮めるためのお堂の横に、偶然にも踏切がよくもできたなという気がします。
この踏切は鹿児島本線の箱崎駅と香椎駅の箱崎寄りにあります。
確かに、数年に一度くらいは踏切事故で死者がでます。
しかし、この箱崎駅近くには他に多くの踏切が数100m間隔であり、他の踏切でも死亡事故が米一丸踏切と同じくらいある踏切事故多発地帯です。
また、特に米一丸踏切の地点では線路が急カーブしており、踏切を渡る人には列車が近づいてくるのが確認しにくい所でもあります。
以上のことから、米一丸のお堂と踏切事故との密接なつながりは見つけにくいと考えられます。
この付近の踏切は交通量が多く、その緩和と踏切事故をなくすため、線路の高架工事を行っており、近い将来、米一丸のお堂の横には線路はなくなります。
[某]
詳細なお話し。感謝いたします。
米一丸踏切一帯は、もとは九大の敷地内(と言っても壁の外ですが…)で、踏切のすぐ横には「米一丸会館」という、九大の施設があります。
で、父がまだ若い頃、その会館には毎晩宿直が泊まることになっており、父も月に2,3回泊まっていたとのことです。
しかし、施設自体の重要性を考えると、毎晩警備に当たることがどうしても解せなかったそうです。
父はいわゆる幽霊話といった類は信じていないので、深入りしませんでしたが、どうやら、踏切に関わる様々な事件の霊障?を危惧しての宿直だったような気がしてならないのですが…。
父の所属はそれ以後転々としており、今でも宿直制度があるかどうかは、確かめることはできません。
ただ、その一帯は昼間でも薄気味悪く、気の弱い方が宿直に当たったりしたら、朝までビクビクしっぱなしであろうことは容易に想像がつきます。
それでは、今回はこのへんで。
[綾小路怨霊]
宿直って嫌ですよね。夜の友がカップ麺ならいいけど。
ある男性が、某デパートのトイレに入り用をたしました。
で、トイレから出ると、店の警備員に「おい、そこは立ち入り禁止だぞ!」と怒鳴られたのです。
「え?ここは客用のトイレじゃないんですか?」と聞くと、警備員は不審な顔で「トイレ?なに言ってるんだ、ここは倉庫だぞ」と言いました。
男性が振り返ってみると、確かにさっきまでそこにあったトイレが、忽然と姿を消しているではありませんか!
たった今、確かに用をたしたはずの、あのトイレが…。
その場所は今でこそ倉庫になっていますが、以前はちゃんとトイレがありました。
そこの男子側で悲しい事件があって以来、トイレは取り壊され倉庫になったということです。
しかし、その事件の被害者の仕業か、しばしば、元のトイレに姿をかえることがあるとのこと。
現在では、その場所自体が、立ち入り禁止になっているようです。
あくまで、人づてに聞いた話で、どのくらい信用できるかは調べることはできませんが…。
[綾小路怨霊 HomePage]
白昼夢だったのか、それとも…。
Aは一目散に逃げました。
で次の日、AはBのことが心配で見に行ったそうです。
すると車は崖の下、Bは行方不明とのこと。
私の友達は崖に落ちている車を見たそうです(今では撤去されたらしい)。
つい先程ですが、九州大学に通う友人Kさんと待ち合わせのついでに、構内にある地蔵森へ行ってみました。
以前、Kに教えてもらった時には、石碑の周囲の森全体が柵で囲われていて、かなり怪しげな雰囲気でした。
が、現在は森の真ん中を切り開いて道が造られており、明るくなったせいか、普通の公園のような感じになっていました。
因みに、Kが所属する学科の建物からは、地蔵森がよく見えます。
彼が先輩や友人から聞いた話では、かつての処刑場跡地であるなど、様々な噂があるようですが、本当のところは分からないそうです。
確かに「何か」あってもおかしくないような不思議な空間ではありましたが…。
建物の一つぐらい余裕で造れそうな面積がありながら、長い間立ち入り禁止のまま放置されていたこと。
由来が分からない石碑のおかげで、怪奇めいた噂が生まれたのではないでしょうか。
[Dusk]
地名百科事典には地蔵森は載ってないし…。
もとからの強烈なミステリーゾーンのすぐそばに、霊気を呼び寄せる大量の水を湛えた場所が存在するわけです。
ジメジメとした湿気を孕んだこの周辺は、それだけでも体感温度が周囲と違うんです。
何かそれ以外にも説明のつかない、真夏でも一種異様な寒気というか雰囲気がする場所です。
[みぃ@oofu]
ダム(人造湖)には不思議な話が多いようですね。
それともう一つ。知ってる人は少ないんじゃないかな?
実は新トンネル、旧トンネルの他にもう一つ実物のトンネルがあります。
筑豊側から福岡側に向かう新トンネルの入り口の下に、一番霊気のすごいトンネルがあるんだよ。
丁度、公衆電話があった下の方。
下を覗くと川なんだけど、見えにくいだろうな。
そのトンネルの中には、当時工事をしていたおじさんが霊を見て逃げ出しましたが、亡くなったそう。
その時のおじさんが持っていたツルハシは、今もまだ残ったまま。
もちろん、掘りかけのトンネルも…。
[ren@so-net]
もう一つトンネルがあったとは初耳でした。
早速ですが、中間市のトンネルに関する投稿(観葉植物さん)があったので、そのフォローを。
私の祖母は生前、そのトンネルの付近を歩いていると、前の方から男の子が歩いてきました。
しばらく行くと、また、さっきと同じ子が前の方から歩いてきたという体験をしました。
祖母は「狐に化かされた」と言っていましたが、やはり、あのトンネルには何かがあるのでしょうか?
もう一つ、佐賀県との県境付近の「幽霊ホテル(みっちゃんさん)」についてのフォロー。
私は、そこが幽霊ホテルと呼ばれているとも知らず、友人と野球をしたことがあります。
今からちょうど10年前の話です。
直接幽霊と結び付けるというのも短絡的ですが、その時、怪我をしたのを覚えています。
私の両親は現在、九州大学に勤めております。
「地蔵森」についても、何か知っていることはないか、帰省した時にでも聞いてみることにしましょう。
それでは、また。
[H.Michael HomePage]
はじめまして。追加情報を期待しております。
現在九州大学に勤務しており、地蔵森の整備に携わっています。
このホームページをみて今後の私の対応策を考えていますが、とりあえず箱崎宮にてお参りをしようと考えていますが、他に何か良い対策があるでしょうか。
整備完了後は、地蔵森内部に歩道ができ、石碑の周り以外は自由に出入りできるようになります。
当然学生たちも、この事を知らなければ地蔵森内に足を踏み入れることでしょう。
あー心配だ。
[大棚町@bd2a2f]
御世話になります。
石碑に限らず何でも粗末に扱わなければ良いと思います。小規模な工事でも地鎮祭って行われるのでしょうか?
改めてページを読んでみると何やら不思議な空間ですね。石碑の由来は一体なんでしょう。
ダンナいわく「オレが小学生の時からこうだった」との事。
ダンナは今33才ですので、およそ20年以上もあのままだったという事でしょう。
言われてみれば、建物自体も怖いは怖いです。
が、あれをこんな長期間に渡って放っておくオーナーの感覚の方がもっと怖いです。
生きてる人間の方が怖いって事でしょうか?
お願いだから早く壊して〜!!
[i.k@nisiq]
はじめまして。人それぞれ、色々と諸事情がありますからね。
そろそろ壁の染みについての噂がたつころかもしれませんね。
そこの福岡側の麓に、一軒の家があるそうです。
そこには1本の枯れかけた大きな木があるのですが、雨の日になると、そこの枝と幹の又のところに女の子の首がのっているのが見えるそうです。
ずっと以前にここに住んでいた家族の一人に女の子がいて、よくここの木の下で遊んでいたそうです。
ある雨の日にボールで遊んでいた女の子は、木の枝にボールが引っかかってしまい、そのボールを取ろうとして木に登り、そして足を滑らせて落ちてしまいました。
で、その時木の又に首が引っかかり、可哀相なことに亡くなってしまったそうです。
[料理長@lvsjibsb]
御冥福をお祈りいたします。
トンネルを3分の1くらい来たとき、自分の列(後ろの列だった)の女の子が急に立ち止まったので「どうしたの?」と聞くと、「私たちの前に二人の人が歩きよる?」と聞くのです。
懐中電灯を持っていた奴が、その方向を照らしてみると、何も見えません。
自分たちの車しか停まってなく、ここまで歩いてくる奴もいないだろうと、みんなで話していると、その子は「いや、確かに私たちの前からこっちに歩いてきよった」と言うのです。
次の瞬間、皆、車の方へダッシュで逃げていきました。
車に飛び乗り、旧道から少し下に下り、自動販売機があったので、そこで休憩することにしました。
皆で「嘘言うなって。全然こわないやん」とか言っているとき、自分がふと車のリアガラスのところを見ると、そこには人の顔の全体、つまり眼、鼻、口、耳、わかります?、が…。
ガラスは平面ですよね、そこに球面をした人間の顔が、左右対称に耳の形までくっきりと付くと思いますか?
皆の顔は、その時かなり青かったです。
次の日、皆でお祓いに行きました。
それから何日かたち、バイクのレース当日でした。
一台のバイクを2人で交代で乗り、周回数を競うというもので、自分のパートナーが、そいつだったのです。
コースはいつも走っているとこだし、楽勝だと思っていたら、向こうの方で誰かがコケて単車が大破している。
まさか!?とは思っていたが、やはりそいつがコケていた。
瀕死の重傷だったものの一命はとりとめ、面会できるようになったので見舞いに行き「なんで、あんなとこでコケたん?」と聞いた。
すると「おまえらは絶対に信じらんっていっても、俺はしっかり見たんやけ」。
「なにが?」。
「コーナーの入り口のとこに人の姿なんやけど、全身黒い人間が立っとたんよ」。
「お前、外科やなしに精神科行くか?」。
そいつは退院後、お祓いに4,5回行ったらしい。
まだ、いろんな話があるのですが、それはまた今度、長々とすみません…。
[後ろの桃太郎@cadbdgbgf]
あまり近寄らない方が良いですね。
たまたま福岡出張があり、仕事が終わった夜に大学構内に忍び込みました。(注:別に忍び込まなくても入れます)
まず正門正面の地図で場所を確認し、目標の地蔵森を発見。(そっか、ちゃんと書いてあったのね)
現場は高さ1m程度の柵で、10m四方が囲われている場所でした。
で、その中に数個の石碑を集めたもの見つけ、周りに人がいないのを良いことに柵を乗り越え近寄りました。
持参したマグライトで調べてみると、どうやら昔の祠の跡をまとめた感じで、礎石や不動明王などの確認ができました。
たぶん、大学ができる前の街道沿いの祠があったのではないでしょうか。
事前の情報では、石碑自体が囲われているイメージだったので、これが謎の石碑なのか確信が持てないのですが…。
とりあえず石碑に手をあわせて脱出しました。
翌日は時間があったので、宗像大社に寄って高宮と神宝殿を見学しました。
高宮は社殿ができる以前の古い神道のかたちを伝え、神宝殿では「海の正倉院」と言われる沖津島から出土した様々な国宝が展示されています。
あまりの国宝の数に、くらくらしてしまいました。
興味のある方は一度行ってみてください。
[みっちゃん]
探検?ありがとうございます。
米一丸さんという人が、詳しくは知りませんが平安とか桃山とか結構前の時代にいらっしゃいました。
そして、可哀相なことに奥さんを寝とられ、九州に島流しにされ、挙句の果てに『あいつが殺しに来るから』といって復讐を恐れた恋敵(この場合はこう呼んで良いものかわかりませんが)の放った刺客に殺されてしまったそうです。
それで、供養塔の様なものが建てられているのだとか。
この踏切のそばのお墓とお墓近くの家には、怪現象が起こるということで、数年前、峰竜太さんが案内役の情報番組で言っていました。
すぐそばの鹿児島本線の警報機だけの踏切で起こる、死亡事故の話も良く聞きます。
九大の工学部本館横に、地蔵森と呼ばれている一角があるのですが、そこに手をつけようとすると人が死ぬそうです。
大学内の広い敷地をただ遊ばせておくことはできないと、何度か建物を建てる計画が出たそうですが、だめだったようです。
なんでも、この九大の敷地は以前刑場だったとかで、大学の建物を建てるときに遺骸を地蔵森の所にまとめたのだそうです。
まあ、そこで酒飲んで宴会したこともあったらしいのですが、そういうのは許してくれるようで、祟りは無かったようですが。
最後に、犬鳴峠について。
ここの新しいトンネルの方は、数か月前はじめて通りました。
トンネル自体は普通でしたが、道の両脇に切り立った崖というか灰色の山肌がみえ、採掘場の跡のようなものがあったりして、昼間で車も割と走ってはいるのですが、とにかく薄気味悪い所でした。
昼間でもこの様な感じですし、ましてや夜、ましてやヤバイと言う旧道のトンネルには、ひやかしに行くなんてことはしたくないと思いましたよ。
そうそう、最近かどうかは詳しく聞きませんでしたが、この旧道のトンネルの中かそばで、若い兄ちゃんか姉ちゃん達が、事件を起こしたとかっていう話も聞きました。
先日聞いた怪談話はこれだけです。
あと、私も詳しくは知らないのですが、この箱崎の九大からもっと北九州の方に行った所に香椎という町があり、その近くだと思うのですが、鎧塚、兜塚という心霊スポットがあるそうです。
以前、深夜番組でもやっていたのですが良く覚えていません。
どなたか、教えてくださいませんか?
霊感のない私にとって怖いのは、身近にいる物凄く悪いという人間に悪さをされることです。(幸い何にもありませんが今のところ)
学生は、いろいろ災難に遭っているそうです。
うーん、やっぱり今のところは生身の人間が怖いです。
目に見えるもの見えないものとも、上手く付き合っていけたら良いですわ。ほんと。
では。
[逢久幻朋@bd2a2f]
恨みは、なかなか消えないのでしょうね。
旧トンネルの入口までの道のりは、一車線で木々が道の両側から覆い繁り、車のライトを消すと助手席に座っている友人の顔さえ全く見えないようなところです。
10分程走り、入口寸前で車を止めて左側の壁を見上げると、そこには髪の毛の長い白い着物を着た(帯を巻いている)女性の姿がくっきりと浮かび上がっています。
天候に左右されず(特に雨の日は恐ろしい程くっきり)その形相には何かを訴えている様にも見えました。
その先は数百メートル程のトンネルですが、このトンネルも現代人には理解出来ないような物で岩肌がゴツゴツと剥き出しになっており、話によるとこのトンネルの建設には沢山の人夫さん(男女問わず)を工事に当たらせ、それもノミとハンマーで掘ったとのことです。
そのときの落盤事故で多くの方々が亡くなったとのことです。
壁は未だに成仏出来ない魂が、像として浮かび上がっているのかも知れません。
あれから10年、今どの様になっているか定かではありませんが、興味のある方は一度行って見てはいかがですか。
お便り待っています。
[博多中州@bgeahba2b]
10年ひと昔といいますが。どのように変わっているでしょうか。
福岡に来て1年目、最初に借りていたアパートが最寄りの駅や大学から離れていたうえ、自転車を2回も立て続けに盗まれ嫌気がさしていた私は気分転換も兼ねて引っ越す決心をしました。
今度住む所は絶対に急行の止まる駅の近くでオートロックのマンション、しかも新築などと勝手な妄想を膨らませつつも、そんなとこ住めるわけねーだろと自分につっこみ入れたりしてたのです。
が、なんと2,3日後にほぼ思い描いていた物件があっさりと見つかってしまいました。
しかもケーブルテレビが完備、近くにコンビニと、マンションから半径5〜60メートルのなかで大体のことはできてしまうと、本当に夢のような環境を私は7万円で手にいれることができたのでした。
しかし、今考えると疑問に思えることも結構ありました。
隣が病院ということもありますが、もともと、そのマンションは賃貸物件ではなく分譲物件だったらしくバブル以降に建てたせいもあってか売れ行きはよくなく、結局は賃貸物件にしてしまったらしいのです。
にもかかわらず、各階には、かなりの空き部屋があったように思えました。
入居当日、そんなことは一切気にせず私は友人と2人で一気に引っ越しを完了させ、夕方には友人も帰宅、私は一人でテレビを観ながら夕食をとっていました。
観ていた番組は怪奇特集のようなもので、再現フィルムを流していました。
で、そろそろそのフィルムもクライマックスを迎えようとしたと同時にテレビ以外の全ての電化製品がストップしてしまったのです。
呆気にとられた私は今現在自分の置かれている状況がまったく理解できず、しばらく茶碗を持ったままじっとテレビをみつめていました。
その後すぐにブレーカー等を調べてみましたが特に問題はありませんでした。
ただ、取り替えたばかりの蛍光灯が既に切れており、なによりもテレビだけが映っていたというのも納得しがたいことでした。
その日以来、さまざまな現象が起きはじめました。
金縛りは当然のようにほぼ毎日なり、日がたつにつれ事態はどんどんエスカレートしていきました。
金縛りが生活の一部となったある日、私はソファーでうたた寝をしてしまいました。
そーするといつものように金縛りにかかってきました。
気にもしないでそのままうたた寝に興じていた私はその日に限り電話が鳴っているのに気付いたのです。
こんな時電話してくれても出れるわきゃねーだろと思いつつも、この日は何故か反抗して体を動かしてみたくなりました。
ところが、なんとかながらも動くんですよ!
そして電話口にでた私を待っていたのは、すすり泣くような笑っているような何とも形容しがたい女性の声でした。
ものの2,3秒のことでしたが今でもはっきりと覚えています。
その後もロフトから蹴落とされそうになったり、足をひっぱられたり、急にのしかかられたりということが頻繁に続いたのですが何故か出ていく気にもなれず、とりあえずは友人にすすめられて毎日お水をお供えはしていました。
気分的には楽になりましたが、相変わらずその手の現象は延々とつづき、いよいよ卒業となり私は上京することになりました。
既に引越先は一か月半まえに決め、あとは引っ越すのを待つのみとなったある夜、ついに出ました…。
仰向けになって寝ているといつものように金縛りになりましたが気にせず寝ていると耳元で誰かがしゃべっているように思えたのです。
何気なく目を開けてみると、もう鼻と鼻がぶつかるくらいのとこに凄い形相をした髪の長い女の人が私を睨みつけていました。
さすがにその時は心底恐怖を感じ、すぐに目をつぶり心のなかでお経を唱えていました。
気がつくと汗だくで朝をむかえていました。
現在、そのような現象はもうほとんどおこらず平和に暮らしておりますが、あの当時わたしの隣の部屋の入退居が異常に激しかったのも今となってはうなずけます。
[ペロリンガ@so-net]
何の因縁で現れるのでしょうか。病院と関連があるのかも知れない。
・米一丸踏切
私も大学時代この踏切のすぐ側に住んでいて、事故や自殺が多いとの話を聞いています。
しかし、ここから北に500m程行くと、墓地の脇に警報機だけの踏切(車は通れません)があります。
私の友人が実験が終わった午前2時ごろ、家への近道のこの踏切をわたって10mほど歩いたとき、後ろで一回だけ「カン」と警報機が鳴ったことがあるそうです。
それ以来、彼はその踏切を通っていません。
・工学部の石碑
ゆうさんが書いていましたが、今度大学に遊びに行くついでに見てきたいと思います。
だいたい、どのあたりにあるのでしょうか?
・九大大型計算機センター
これは伝説ではないのですが、大型計算機センターの脇にひろい空き地があります。
実は最初はここにセンターを建設していたのですが、建物が完成する前に米軍の戦闘機が突っ込み、横に新たに建てたそうです。
・犬鳴山の旧トンネル
福岡と筑豊方面を結ぶ犬鳴峠には2車線の長いトンネルがありますが、その上に数百メートルの旧トンネルがあります。
ここは地元では有名な心霊スポットです。
・幽霊ホテル
博多から海沿いの国道202号線を西の唐津の方へ行くと、県境付近に潰れた大きなホテルがあります。
夜、この前を通ると建物の中に人影が見えるとの噂を聞いたことがあります。
今年の正月にツーリングでたまたま通りがかったのですが、まだ取り壊されずに残っていました。
私が学生の頃からあるので10年以上もほっておかれているのですが壊せない理由でもあるのでしょうかね。
[みっちゃん@mei]
ついでに、どなたか投稿されてないでしょうか?
九州大学の工学部の中庭の一画に何か石碑のようなものが祭られているのですが、周りをケージで囲み近寄れないようになっています。
何か非常に妙な感じがするのですが、調べたことはありません。
数年前に転勤したので今更、気にするのも変なんですが…。
[ゆうさん@saganet]
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